Scene:30「変装」

「――お待たせしました。コーヒーとフレンチトーストです」


 軽やかでいて明るい声が店内に響き渡った。

 長い黒髪、スッと鋭さのある青い綺麗な瞳。それを併せ持った少女は周囲に綺麗と評されても誰も反論する事はないだろう。

 とはいえナンパをするには流石に幼すぎる容姿だ。

 見た目から窺える年齢は十一歳を超えた辺り。

 その彼女にそれ目的で声を掛けたなら、たちまち周囲から白い目で見られる事だろう。

 精々が将来に備えて唾を付ける辺りが限界であった。

 そんな客達に笑顔と口八丁で対応していく少女。

 その様はすっかり手慣れている感じだ。

 知り合いの紹介で店長を頼ってこの集落へとやってきたという少女。

 名前はシャル。彼女は一週間前からこの飲食店で働いていた。


 この集落は北の方、セルキスやベルクランクの間に広がる無所属の勢力の集まりこ一つなのだが、中立の生産工場地帯として、大勢力を始めとした他の勢力と商売をする事で発展し、同時に自分達の身を守ってきた。

 お陰で外からの人の出入りが多く、また物が入っては出て行く事から、そういった物や客目当てにやってきた客を相手にする商人がさらに店を開いていき、そうして今に至るのであった。

 その為、ここでは外からの客なんて珍しくもない。

 加えて大勢力が貨幣代わりに発行している証文も最近、対応できる事になった事からこれからはセルキスやベルクランクの客が増える事が予想されている。

 そんな事情があるので、余所者だからと目立つ事はなく、またいろんな勢力の人間が訪れる場所という事で勢力同士の会合や交渉の場として用いられる事も多い集落だった。


 慣れない作り笑いに内心で四苦八苦しながら昼食時間の客達を捌き切る事に成功したシャル、もとい女装したシュウ。

 店長はヒストゥーから移り住んだ人間だが、シャルが男である事も、彼の本当の目的が何であるのかも、全く知らない。

 彼がシャルを雇ったのはただ彼女がヒストゥーでの恩人の紹介状を持っていたからに過ぎない。

 その紹介状を渡した人物がそういう目的の為にコネクションを広げている事等知る由もないだろう。

 シュウがここに来たのはヒストゥーから依頼を受けた為である。

 その時の事をふと、思い出した彼は続いて窓硝子に写る自分の変装姿に目を向け、そうして思わず大きな溜息を漏らすのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――スパイ?」


 その話を聞いたのは訓練中にイリスに呼び出せれて会議用のテントに入った直後だった。

 テントにはイリスの他にリーネやアマネの姿もある。

 どういう訳か二人共ぎこちない笑みを浮かべており、それでシュウは何かあると警戒度をあげた。

 だが、話にでてきたのはヒストゥー側にいるスパイを見つけたいというものだった。


「先に言っておくが、カルセムのではない。恐らく繋がっている先はセルキスだ」

「あそこですか」


 セルキスは大勢力の中で唯一の宗教勢力でもあった。

 宗教の名前は『セルキス教』。

 元はこの大陸に古くから続く歴史の長い宗教で過激な思想もなく広く信仰されていた事から、植民地支配していた当時のフランチェス大陸側の面々も刺激して反抗されるよりはと信仰を認め放任する方針をとっていた。

 そのあり方は植民地支配から解放されてからも変わらない。

 人々が社会的に虐げられた日々も、飢饉に苦しんだ日々も、セルキス教は暴力に訴える事なく、ただ黙って人々の生活に寄り添って存在してきた。

 変化が起こったのは異能者という存在が世に現れて数年経った頃だ。

 その日、戦略級の力を持つ異能者が目覚めた。

 件の異能者はセルキス教の司祭の娘だったという。

 司祭が何を考えたのかは噂ではわからない。

 しかし、世間に回っている情報によるとこの後、司祭は他の司祭や司教を説得しに回ると、数日後には己の娘の力を周囲に公表。

 以来セルキス教は異能者を『神からのギフト』と称し、『彼らを正しき使命へと導く』事を言い分に積極的に異能者を集める活動を始めた。

 それから彼らを危険視した政府や軍と敵対しだしたのは言うまでもない事だろう。

 彼らのスタンスは内乱がひと段落しても変わらない。

 勢力の影響内外関わらず異能者を見つけたら保護を言い分に自陣に招き入れる。

 奴隷商人からも積極的な買い漁っているという噂だ。場合によっては襲うケースもあると聞く。

 正直、シュウとしては彼らの『保護』という言葉を胡散臭く感じていた。

 この地に来て、この生きるのにも苦労する場所で長い間過ごす事で、かつて居た何の不安もなく平穏に過ごしたあの場所がどれだけの労力や対価の果てにあるのかを知る事ができた。

 そうなるとなんの労力も対価なく安心して暮らせる場所があるとは思えないのだ。

 別にシュウは利用する事自体を悪だとは思わない。保護だってただではない以上、対価を求めるのは当然だと思うからだ。

 けれども、騙して利用しようする事は間違いなく悪だ。

 それは騙した相手を対等な人間ではなく格下の家畜のように下に見る行為に他ならないのだから……


「セルキスとはカルセム程、争っている訳ではないが、最近、陣営外での異能者の勧誘を巡っていざこざが多くてな」

「そういうのって即決するものでは?」

「横取りされたという訳ではない。断られた相手が数日もしない内にセルキスから勧誘を受けるケースが多いという話だ。しかも、内情も大方を把握した上で」


 それになるほどと納得するシュウ。

 それなら確かに状況的にスパイによると情報の横流しを疑うだろう。


「秘密裏に捜査して容疑者と思わしき人物は特定した。後は証拠を押えるだけだ。その役割をお前に頼みたい」

「人選の理由は? 普通なら身内のそういう部隊に任せる作戦だと思いますが……」


 シュウはヒストゥーの人間ではない。なので、本来、こんな漏れたら困るような件に関われるはずがなかった。

 それを無視して頼んだという事はなんらかの事情があるという事だ。


「今回に適した連中は全員、別のより重要度の作戦に着いている。動かせない。お前に頼んだのは相手に間違いなく顔が割れてない事とお前の能力向きだと判断したからだ」


 要するに手が足りないという訳だ。

 その上でここに適した人物がいたのでお鉢が回ってきたらしい。


「目的は証拠を押えるだけでいいんですか?」

「ああ、対象を監視しスパイであるという証拠を押える。始末の必要はない。当たりなら泳がせて釣り糸の先を確かめるつもりだからな。お前もこういう作戦の経験はないのは承知している。無茶を頼むつもりはない」


 この様子なら段取りや手回し等も用意するつもりなのだろう。

 実際、隠密で施設に潜入する経験は数あれど、こういった特定の人物を調べるという内容の作戦は初めてだ。

 助けは間違いなく必要だろう。

 それに連合はヒストゥーに多くの面で助けられている。

 共通の目的があるとはいえ、貸しが多い現状、少しでも返しておくのが後々の為だった。


「わかりました」

「そうか、引き受けてくれるか……では、まずは変装を定めよう」

「……変装? 顔が割れてないなら変装の必要はないのでは?」

「ばれた際にわざわざ相手にストラの異能者だと教える必要はないだろう。ストラや連合に下手な恨みを向けられたくないなら、変装は必須だ」


 それは確かにその通りである。

 しかし――


「アマネとリー姉……なんで嬉しそうなの?」

「えっと、それは……」

「変装するなら、本人から遠ければ遠い方が良いよね?」


 最後のアマネの台詞に不吉な予感を感じとるシュウ。

 状況と二人の態度。そこからある可能性が浮かび上がった。


「言い忘れたが、既に大方の作戦案と手配は済んでいる。その都合上、性別を偽る部分は動かせない」


 その上で逃げ場もないらしい。

 楽しげなアマネと申し訳なさそうだが、興味津々のリーネが近づいてくる。

 フィアとノエルの姿がないのはせめてもの慈悲だろうか。

 何にしてもこのまま二人の着せ替え人形になるのは避けようがない。

 思わずため息が漏れる。

 窓の外を見れば晴れ晴れとした空。

 吸い込まれそうな青々とした空は現実逃避には丁度いい。

 そのまま女性二人に囲まれて小さなファッションショーが始まったのはいうまでもない事であった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 こうしてシャルという人間が誕生した。

 生き別れの両親を探して各地を転々としている設定で、今回も両親を探す為、知り合いからこの店を紹介してもらったという形となっていた。

 作戦が完了すれば『ここを紹介した知り合いから『両親の手掛かりを得た』という連絡をもらったからそこへ向かう』という体でここから離れる予定となっている。

 ちなみに今の姿はアマネやリーネが選んだものではなく、シュウ自身が思案を重ねた末に至ったものだ。

 言い訳こそあったが、リーネはともかくアマネがシュウをからかおうという意図があるのは間違いない。

 抵抗した所で向こうに正当な理由がある以上、おもちゃにされるのは変わらない。しかし、だからといって何もしないのも悔しい。

 そこで彼は笑われるのではなく驚かれる方になる事でアマネに意趣返しをしようと考えた。今回で言えば女装の質を高めようとしたのだ。

 女性の衣服や特有の仕草、さらには化粧やアクセサリー等、いざ知識を入れようとすれば想定したよりも項目が広く多い事には驚かされたが、それでも覚えていった。

 と言っても出発まで時間がないので今回は範囲を絞ってだ。

 先に変装の設定や性格を練り、そこから関連しそうな衣装や化粧、アクセサリーの知識を覚え込んでいく。

 残りの知識は作戦が終わった後に、徐々に覚えていくつもりだ。

 そうして練りに練った女装の出来はアマネが目が点になり、リーネは目を丸くする程の会心の出来だった。

 元の素材が良かったのもあるのだろう。この時ばかりは中性的な己の相貌に感謝した。

 笑うタイミングを失ったアマネをシュウが内心でほくそ笑んだのは言うまでもない。

 ともかく変装も完了した彼はヒストゥーの車両でこの集落の付近まで移動。

 後は徒歩で集落へと入場を果たして事前に教えてもらっていたこの店へ手紙を持ってやってきたという訳であった。

 店長は手紙とシャルの話を聞いて彼女を快く迎え入れた。

 丁寧に仕事の内容とコツを教えてくれる様子から、結構な頻度で訳ありを迎え入れているようだ。

 給仕は初めてなので最初は戸惑いも多かったが、ある程度仕事の流れとパターンがわかってくれば後は予測で対応できるようになった。

 イレギュラーも基本的な対応を覚えて、各ケースを整理すれば早々大きなトラブルになる事はないだろう。

 そうして仕事に余裕ができるようになれば視野も広がり、ミスも減る。

 こうして一通りの店の仕事をシャルは把握したのであった。

 作戦の方はまだ始まっていない。

 事前に聞いた話だと対象は数日後にやってくるそうだ。

 シュウを先行させて潜入させたのは時期を怪しまれない為と当日までに変装に慣れさせるためだろう。

 特徴と段取りは既に頭に叩き込んでいる。

 後は怪しまれないようにする行動する事と本番に備えて手札をしっかりと準備するだけだ。


「シャルー!!、注文頼む!!」

「はい!! ただいま!!」


 異能によって変えた少女声で返事を返してシャル――シュウは裏方から戻っていく。

 今度の客は男性二人。

 予想される会話パターンを想定しながら駆け寄っていく。

 店は今日も盛況であった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 給仕の仕事をしていて思ったのは意外と体力仕事な点と接客が思って以上に気を使う仕事だという点だ。

 お客様には次回も来てもらう為にもできるだけ言葉回りには気を付けないといけない。

 特に気を付けないといけないのは酔っ払った客だ。

 正常な判断ができないので何の言葉に過剰に反応するか予測がつかない。

 ご機嫌ならおだてれば悪い方に行くことはないが、不機嫌だと最悪何を言っても悪いようにとって逆上するケースが多々ある。

 あまりにも態度のなってない客は他の客の迷惑にもなるので店長からも『お帰りいただくように』と言われている。無論、手段は問わずにだ。こういう所は荒んだ場所だなと思わず苦笑してしまう。

 最も狭い集落だ。

 客は基本顔なじみなので、そうそうトラブルになる事はない。

 ミスをしても笑って許してくれる。それくらい馴染んだ客達だった。

 料理と酒を届けたシャルは『ごゆっくりどうぞ』と告げてテーブルを後にする。

 彼女が去った後、客達は今日一日の疲れを忘れようと飲んで騒いで盛り上がっていく。

 話の主役は集落の景気が良いという話だ。

 どうやらセルキスやベルクランクからの注文が増えてきたようで、客達の工場は大忙しらしい。どこか嬉しそうな表情で仕事の過酷さを愚痴っている。

 そんな会話を異能で聞き取るシャル。

 別に情報収集をしているのではない。情報収集の練習として客の会話を異能で拾っているのだ。

 方角や位置を条件にその条件に合致する音だけを増幅させる。それで気になる会話だけを拾う事ができる。

 ただ、それだけでは情報収集の効率は良くない。全ての会話を聞くという芸当は流石に大変すぎるからだ。

 そこで現在、特定のワードの音だけを増幅させれないか挑んでいた。

 だが、これが存外苦労している。

 言葉とは音の連続なのだ。

 例えば『愛』という言葉を増幅しようとする。

 シュウが最初に浮かんだ手法は”あ”と”い”の音をそれぞれ条件にして増幅しようしたもの。

 ただ結果は増幅された様々な”あ”と”い”の音がシュウの耳に入り乱れて飛び込んできた為、本人が混乱する事になってしまった。

 単純な条件付けでは外れの音が多くなってしまう。

 この外れの音をできるだけ少なくする為、シュウは試行錯誤を繰り返した。

 最初の音を条件付けした後に最初の音の位置や方向を条件付けとしたもの加えたり、最初の音が消えないよう音の移動を一時停止させたり……

 音の操作は物理的な威力になる程の増幅はできないが、それ以外の事なら大半は操作できる。

 音の増幅、減衰、音質の加工はもちろん音の移動の停止や加速、減速、方向転換や拡散、収束等々……

 異能の効果範囲こそ『体内と身体の表面上から数センチ』と狭いが、そこに音が入りさえすれば彼に扱えない項目はない。

 とはいえ、任意の結果を得るための条件付けはかなり複雑かつ難解で、最終的には完成こそしたものの、扱うにはかなり精神的に疲れるものとなってしまった。

 現状は各行程を意識して行う事でようやく実現できるレベルであり、工程を無意識的に行うにはかなりの練習が必要そうであった。

 とりあえず現状では練習はすれど常用は諦める事にする。

 使えれればいろいろと便利ではあったが、嘆いても仕方がない。

 できない事をできるはずだと信じ込んで、ぶっつけ本番で使おうとする事の方が危険だ。

 作戦で使うならそれを用いる事に集中できる環境である事が条件だろう。

 客がやってきたので、空いたテーブルへと案内する。

 席に着くと同時に注文をしてくる客。どうやら食うものを事前に決めていたらしい。

 店長に注文を伝えて、別の客の去った席の後片付けを始める。

 周囲を見ると、常連客の一人のジョッキが空になりかけていた。

 あの客はよく酒を何度も頼んできている。恐らく時期におかわりの注文が飛んでくるだろう。

 他に優先すべき作業もないので、その常連客の方へと向かう。

 テーブルに着いた頃にはジョッキの空に気づいた常連客が酒のおかわりを頼もうとしている所だった。

 丁度、やってきたシャルは笑顔で空のグラスを受け取ると、カウンターへと戻りジョッキに酒を注ぎ込む。

 店長の方を見ると、時期に料理が完成しそうだ。

 ジョッキを客に届けて、それから皿を準備していく。それが終われば他の客が席を立つ頃だろう。

 事前に大方の予定を頭に描きながら、酒を注いでいくシャル。後は頭に描いた通りに動くだけだ。

 そうして彼女はテキパキと仕事をこなしていく。

 内心ではいろいろ考えているシャルだが、淀みなく作業をしている姿は客達にとってはとても頼もしく見えるもの。

 常連はこの集落に慣れてきたなと感慨深い気持ちになり、初めてきた客は対応が上手い店員さんだなと感心していた。

 そうして昼のかきいれ時を捌き一段落した所で店長からお使いを頼まれる。

 料理の食材が足らなくなったらしい。

 材料代をもらい、店から出ると彼女はまっすぐ食材を取り扱う店へと向かった。

 道中思うのはやはり工業地帯という事もあって工場が多いという点だ。

 空には黒煙がいくつも上がり、向上特有の甲高い打撃音や怒鳴り声、それに車両の行き交う音が辺りに響いていた。

 活気のある音は人々が元気で明るい事の何よりの証だ。そんな雰囲気につられてシャルの頬が緩む。

 店に来る客はそういった工場で働いている人がほとんどだ。

 力仕事も多く、そのため量の多い料理を注文する事が多かった。

 後、なんだかんだで祭り騒ぎが好む人が多いような気がしないでもない。

 騒ぎが起ころうものなら、仕事中でも野次馬に行こうとする人が多い印象だ。それで親方に怒られるまでがセットである。

 休憩中なのかお店のテーブルでカードに興じている人達もいた。

 当たり前のように金を掛けている辺りに思わずため息がでてしまう。

 ただ、そういう事を気楽にできるくらいこの一帯には余裕がある事が伺えた。

 ここの存在を大勢力に認められているのはここが従順に依頼を果たしている事もあるのだろうが、セルキスやベルクランクの中間地点のせいで互いに手を出しにくいという事情もある。

 政治と商業と資源と技術によって細い糸の上にある独立を維持している小勢力。

 それは残念ながらストラやフォルン、連合内の他の小勢力では真似できないやり方であった。

 同様の事をしたくても何もかもが足りないのだ。

 せめて、リーネへの土産話としてそういう場所だったと紹介しようと記憶に留めておく。

 そうしてシャルは目的の店へと辿り着いた。

 店主に頼まれていた材料を告げ用意してもらう。

 用意してもらった材料を受け取る際、ふと思いたって笑顔を振りまいてみた。

 その途端に頬を緩ませる店主。だらしない店主の様子に傍にいた奥さんがげんこつを見舞う始末だ。

 少しやり過ぎたかと反省するシャル。

 そうして彼女は店を後にしたのであった。 

 


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Scene:30「変装」:完

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