Scene:14「安息」

 その夢を見たのは久方ぶりだった。

 夢の始まりはいつも同じ。自身が戦場跡に立ち尽くす所から始まる。

 気が付けば歩き出しているのもいつも通りなら道中に転がる遺体が全て『知り合い』なのもいつも通りだ。

 一緒に偵察に出た二つ年上のお兄さん。運転席で娘が生まれたと喜んでいたおじさん。孫を守りたいと弱った体にむち打って現役を続けていたおじいさん。他にも恋人の意志を継いだというお姉さんや他の人の姿もある。

 やがて、遺体の数は増えてくる。見慣れないのは恐らく自身が殺した人達なのだろう。

 意識はこれが夢だと理解している。けれども、夢から覚めたいとは思わない。覚めるという選択肢が思い浮かばない事もあるが、この光景から目を逸らしていけないという本能にも似た無意識が囁いてくるのだ。

 自分のせいで死んだ。自分のために死んだ。自分の手によって死んだ。いずれにしても彼らは死んだのだ。自分と関係して。

 最早、彼らに未来はなく、そしてその犠牲の果てに未来である今の自分が立っている。


 自身の今にそれだけの価値があるのか?


 そんな疑問を抱くのはこれで何度目だろうか。何度考えようとその疑問に対する答えは思い浮かばない。

 あるといえば傲慢な気がするし、ないと言ってしまえば、これまでの犠牲はなんだったのかと考えてしまう。

 どちらを選んでも納得できない。それがシュウの偽りざる現在の”答え”だった。

 やがて、進む先の果てが見えてくる。

 白い光の穴。そこに近づくたびに意識がクリアになっていき――


――そうしてシュウは意識を覚醒させたのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 目が覚めて最初に見たのは見慣れない、けれども知っている天井。

 ここは集落で唯一の診療所……といってもいくつかの薬と多少心得のある人間がいるだけの小さな建物で本格的な治療ができるような場所ではない。

 シュウはその診療所の二つしかないベッドの一つに横になっていた。

 ここで寝ている理由は覚えている。狙撃によって負傷した左耳を治療するためだ。

 治療したのはノエル。彼女の異能によって傷は塞がり、左耳も元の形に近い状態までには戻った。

 とはいえ、帰った直後は大変だった事を思い出す。

 ストラに戻った直後、包帯を巻き、その隙間から血を垂らすシュウの姿を見て、リーネとノエルは驚愕。さらに治療のために包帯を外した際にはその生々しい怪我を見てノエルがたじろいでしまったのだ。

 それでもどうにか持ち直して異能による治療を敢行。そうして今に至るのであった。

 視線を天井から横に移す。

 映るのは棚とその中にある量の心許ない薬、そして椅子に座った状態でこちらに倒れ込むノエルの姿であった。

 瞳は閉じられており、口元から聞こえるのは寝息。傍には水と薬と包帯がのったお盆が用意されている事から何かあってもいいように看病してくれていたらしい。

 その事にシュウは内心感謝しながら身を起こす。

 その揺れで刺激されたのだろう。それまで閉じられていた彼女の瞼が薄っすらと開き――そうして集点の定まっていない瞳がシュウを捉えた瞬間、彼女の意識は覚醒した。


「シュウ!!」


 大きな声を上げて顔を近づけてくるノエルに若干気圧されるシュウ。その中には顔立ちの綺麗な女の子に迫られた事に対するどぎまぎも多少混じっている。


「大丈夫? 痛くない?」

「あ、ああ。大丈夫だ」


 実際、多少の痛みはあれど無視できるレベルである。普段の生活をする分には問題ないだろう。


「――正直、昨日のあの姿を見た時は頭が真っ白になった。危ない場所だってのはわかってたつもりだったけど、テレビのドラマやアニメでしか見ないような怪我が実際に目の前で、それも知り合いに起こるなんて思ってもいなかったから」


 実際、ノエルが人の死傷を見たのはこれで二回目だ。一回目は当然、強盗に襲われた時。ただ、あの時は死んだのが自身を奴隷として扱う加害者側の人間であった。

 だから、人の死に驚きはしてもどこか他人毎みたいな感覚があったのだろう。

 けれども、今回は身内が大怪我をした。だからこそ彼女の心は大きく揺り動かされたのだ。

 ノエルが自身を身内と見ている事に内心喜びを感じつつ、シュウはそんな彼女に声を掛ける。


「悪い。心配掛けたな」

「……次からは気を付けて」

「そうだな。そうする」


 そうして両者は互いに微笑みあった。


「――なんていうか、まだ慣れない」

「口調の事か?」

「うん」


 フィアがシュウの家に訪れたあの日以降二人は口調を変えて会話をしているのだが、ノエルはまだ慣れていないらしい。

 その感覚はシュウもわからなくもない。なんというか見知らぬ相手に己をさらけ出すような感じがあって恥ずかしいのだ。


「まあ、その辺は時間が解決するだろ。寧ろ慣れたならそっちの方が自然とでてくるだろうし」

「そういうものなの?」

「俺がそうだった」


 ここにきた当初はシュウも割と丁寧な口調でストラの人達に接していた。

 理由としては余計な波風を起こさないため。長期的に過ごす所でわざわざトラブルを起こす理由はどこにもない。だから彼は相手を不快にさせないようそういう風に対応する事にしたのだ。

 だが、それも少しの間だけだった。

 リーネに導かれ、仲間として受け入れられていけば自然と相手に対して遠慮がなくなる。

 それは下に見ているからではない。このくらいなら大丈夫だと相手を信頼しているからだ。

 最もフィアに関しては例外だと彼は考えている。彼女の場合、呆れが勝った結果、おざなりな対応になったのだと。


「相手に対して辛辣な言葉出るようになったらまず馴染んでると言っていいだろうな」

「それって相手が傷ついているんじゃ?」

「どっちかというとそれを自然と言えるくらい相手への怯えや警戒がなくなっているって事を言いたかっただが……」


 その返答にノエルはああ、なるほどと得心する。


「まあ、今はいろんな人と交流するのが一番いいんだろうな。そうすれば大まかな事がわかるし」


 会話や返答から相手の傾向や性格を把握する事ができ、それによって相手の応答を推測する事ができるようになる。

 相手がどんな反応を返すかある程度わかっていれば返事や話しかける時に不安を覚える事もない。

 そういう手法を無意識に行う事によって人は他者を知っていく訳である。


「――まあ、要するにこのまま続けていけばいいって事だ」

「……そうなんだ」


 実感がともわず納得しきれないのだろう。なんとも言えない声でノエルが返答を返す。

 そんな彼女にシュウは苦笑を浮かべ、そのまま二人は話を続けるのだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 その後、昼食を持ってきたリーネから目新しい情報がないという報告を受け取ったシュウ。

 昼食が終わるとそのまま彼女は後片付けをして引き上げていく。

 そんな彼女と入れ替わるように一人の男性が入ってきた。

 体躯は細身。純朴そうな顔立ちに縁の細い眼鏡が掛かっており、初めて彼を見る人は優しそうな人だと評するだろう。

 マルロス・リヴェル。今年二十八歳となるこの診療所の主である。


「マルロスさん」

「元気そうだね」


 帰ってきたマルロスは手に持っていた鞄を机に置くと、シュウの元へとゆっくりと駆け寄り彼の左耳を見分する。


「うん、大丈夫そうだね。いや、しかし治療系の異能は便利だね~。あんな傷、僕じゃあお手上げだったよ」

「いえ、そんな……」


 褒められて顔を赤らめるノエル。

 そんな反応を横目にマルロスはシュウの体を確認していく。


「他の所は怪我らしい怪我もないし……とりあえず今日一日は様子を見て何もなかったら退院かな」

「わかりました。ありがとうございます」


 礼を言うシュウにマルロスは右手を軽く上げて応えると、机の方へと戻り椅子に座る。


「そういう訳だからノエル。シュウの世話を頼んだよ。僕は回診結果をまとめ終えたらオルストさんにシュウの件を伝えにいくから」

「わかりました」


 そうしてマルロスは机でデスクワークを始めた。

 室内に響く電子音。その音を聞きながらシュウとノエルの二人は互いに顔を見合わせる。

 だが、言葉が出てこない。

 言うべき事を言ってしまった現状、何を話せばいいのかわからないからだ。

 これがフィアならシュウは間違いなく皮肉の応酬を繰り出したであろう。リーネであれば体を休めるために一言謝って眠っていたかもしれない。

 ただ、ノエルの場合はそういう訳にもいかない。正直に言えば話したい事はあるのだ。より詳細な以前の生活、今の生活に不満はないか等。

 彼女はここに来てまだ日は浅い。だから、これから慣れてもらうためにももっと彼女の事を知っておくべきだとは思うのだ。けれども、それを本当に聞いて大丈夫かと迷い中々、口に出せない。

 駄目で元々、当たって砕けろという言葉もあるが、断られるだけならまだしもひょっとしたら不快にさせるかもしれない。そう考えるとシュウとしても聞くのをためらってしまうのだ。けれども、その一方でやはり気になりもする。

 同郷、歳が近い事、そして誘った責任。そういったいくつもの動機がシュウを彼女への興味へと誘う。

 一人悶々と考え込むシュウ。その一方のノエルの方はというと彼女もまたシュウと似たような理由で頭を抱えていた。

 この集落にある程度、慣れてきたとはいえ、その中で一番親しい相手となるとやはり同郷で年齢の近いシュウとなるだろう。そして親しい相手をより知りたくなるのは自然な事。けれども、不躾にならないかと尻込みしてしまうのもまた当然の帰結である。

 興味と遠慮の板挟み。そんな苦悩を互いに顔には出さないまま続け、それから数分後……ようやくシュウがその口火を切った。


「……今の生活は大丈夫か?」

「うん、大丈夫。大変だけどやれそうな実感はあるから」


 どうやら手応えは感じているらしい。声色にも力がある事から誤魔化しているという事もなさそうだ。その事実にシュウは心の中で安堵する。


「それなら安心だな。この生活が短い間で終わるって事はないだろうから、しっかり慣れた方がいいだろうしな」


 彼女の返答に対してそう返したシュウ。ところがその返答を聞いてノエルの表情が途端に曇っていってしまった。


「ノエル?」

「――ねえ、シュウは帰れると思う?」


 疑問に思ったシュウが彼女の名前を読んだ直後、ノエルは震えるような声でその問いを発してきた。その問い掛けに顔をしかめるシュウ。

 恐らくきっかけは先程のシュウの言葉。『短い間で終わるって事はない』それはつまり、しばらく故郷に帰れる事はないと見通している事を示している。

 それ故に彼女は不安に駆られたのだ。『自分は本当に帰る事ができるのか?』と……

 正直に言えばわからない。そもそもシュウに限っていえばここにきた経緯が経緯なのでそれ程強い帰郷の思いを抱いていないのだ。

 しかし、ノエルを始め、さらわれてこの地にやってきた異能者の少年少女達は多かれ少なかれ彼女と同様の思いを秘めている事は容易に想像がつく(そういう意味ではフィアのケースもかなり珍しいケースだと言える)。

 きっと、ここで言うべきなのは『きっと帰れる』という言葉なのであろうが、現状それを実現するための難易度が途方も無い事がわかってしまうシュウとしては安易に口にしたくない。なんというか最初から破る事を前提で約束を交わしているような感じがして嫌なのだ。どうせするなら果たすための道筋をしっかりと用意した上で約束を交わしたい。

 そのため彼はそれ故に別の言葉を探す事にした。

 けれども、思いつかない。浮かぶ言葉、言葉が何かしら問題を含んでいたり、しっくりとこなかったからだ。

 そうして気がつけば数十分が経過。流石にこれ以上は会話が途切れるのはマズイだろという事でシュウは思いついた中で一番ベターだと判断した言葉を口にする事にしたのだった。


「結果を出すには力がいるが、力を得るための努力には動機が必要だ」

「え?」

「――でないと、モチベーションが続かないからな。帰りたいと願って帰れる訳じゃないけど、帰るためには帰りたいと願わないと始まらない」

「――――」


 返答は無言。ただ真っ直ぐな視線は話の続きを促すように細められシュウの瞳を射抜いてくる。


「要するに諦めたら帰れなくなるって話だ。帰りたいならちゃんとその事を願い続けてできる事を積み重ねていく。そうすれば――」

「――帰れる?」

「――可能性は残り続けるだろうな」


 それに対して返ってきたのは不満顔。『そこは嘘でも帰れるとカッコをつけるべきなのでは?』という内心がしっかりと表れたその表情に対して『仕方ないだろう。確約なんてできる訳ないんだから』と声には出さず心の中だけで反論するシュウ。

 そこに第三者の噴き出す声が響いた。


「ごめんごめん」


 声の主は先程までデスクワークをしていたマルロス。

 彼は二人に謝ると、立ち上がりコーヒーを入れて二人の元へと持ってくる。


「まあ、シュウを許して上げてくれ。ノエルとしては帰れるという安心が欲しかったんだろうけど、シュウは誠実な子だからあまり出任せな事を口にしたくなかったんだ」

「それはわかってます」


 コーヒーを受け取り口に含みながら返事を返すノエル。

 そんな彼女を眺めながらシュウもコーヒーに口をつけた。

 熱い。湯気を登らせたコーヒーは淹れたてという事もあってその熱が舌をひりつける。そうしてその後にやってくる苦味が弛緩していた精神を刺激し、自然と引き締めていった。


「とりあえずまとめ終わったからこれからオルストさんの所へ行ってくるよ。ノエル。後は頼んだよ」

「はい。わかりました」

「いってらっしゃい。マルロスさん」


 そうしてマルロスは診療所を後にする。扉が閉まると二人はそのままコーヒーの続きを飲み始めるのであった。


「――何にしてもこれで強盗団の件は片付いたんだよね?」

「――まあ、強盗団の方は終わったな」



 コーヒーを飲み終えて出てきた問いは会話を続けるための繋ぎの意図があったのだろう。

 シュウは少し視線を泳がせた後、そう返す。するとノエルはほうっと安堵の息を吐いた。


「よかった。なら、もう大丈夫なんだね」

「そうだな。これで展開が来る事はもうないな」


 肯定しているようでいて逃げ道のある返答。

 確かに強盗団に襲われる事は今後ないだろう。だが、別の勢力に襲われる可能性までは否定していない。

 しかし、現状は可能性だけだ。いたずらにノエルを不安にさせる必要はどこにもない。ひょっとしたら何も起こらない可能性だってあるのだから……

 けれども、シュウは来ると確信して警戒している。

 これまで手に入れた情報が、そしてシュウの感が『それがある』と告げているためだ。恐らくオルストやオルクス達も同様にその可能性を前提に警戒をしていると思われる。

 古今東西、戦いにおいて攻める側には圧倒的なアドバンテージがある。その一つが『勝てる状況で戦いを仕掛ける事ができる』という点である。

 時間を掛けて敵を調べ上げ、そうしてその情報を元に勝てるだけの戦力を用意し仕掛ける。そうすれば勝てるという訳だ。

 数字は現実であり冷酷である。勝てるだけの数値が出ているのなら覆す事は難しい。

 その状態で守り側ができる事といえば『相手のミスを誘う』か『暴かれていない数値を使う』ぐらいしかない。つまり、相手がしっかりと情報を集めミスをしないのであれば、どうしようもないという事だ。

 寧ろ、確実に対抗するなら相手の準備中に仕掛けるべきであるだろう。

 そのため、ストラもフォルンも警戒や索敵を密にしているようで、先程から異能を使って耳を済ましてみるといつもよりも車両の行き交う音が多い気がする。

 恐らく全快すればオルストから周囲の索敵の作戦を言い渡されるだろう。なら、それに備えて体調を整えておくべきかもしれない。


「……シュウ?」


 しばらく考え込んでいたせいでだろう。黙り込んでしまっていたシュウにノエルが声を掛けてきた。


「――なんでもない」


 それに微笑みながら返事を返すシュウ。そのまま二人は夕方まで雑談に花咲かせたのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Scene:14「安息」:完

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