普通の人間

 胸の前に手を当てて、会釈する。


「ここからはすべて私に任せてもらおう。キミたちは大人しく事の成り行きを見守っ

ているといい」


 もう一度会釈する。


「な……んだと……。それは……どういう事だ!」


 どれだけ力を入れても、あれだけ自由に扱えていた炎の欠片も出てこない。怒りと焦燥、それらが混じり合った顔色で閻魔につかみかかろうとするが、足が上手く動かずによろけてしまう。


「お前……俺たちになにをしやがった! これは……一体どういう事だ!」


「これは実験だったんだ。人を双つ影と呼ばれる存在にして、その先がどうなるか。私はそれを知りたかった。結果は大成功だ。こんなにも素晴らしい力を育ててくれて、本当に感謝している」


 広げた右手から炎の柱が立ちそびえ、右手からはムチが伸び出てくる。


「だが安心した前。受け取ったこの力たちを持って私はこの世界を変えてみせる。それが終わったら各々にこの力を返そうじゃないか。それまでの我慢だ。しかし」


 神楽坂に向けられていた無表情な視線が、反対側の笹良と飛鳥に向けられたときに

は鋭く尖り始める。


「その前にあと2つ、やらなくてはならないことがあるようだ」


 飛鳥はヒザを突き、下方から閻魔を睨み上げていた。その横で、笹良は当たり前のように立ち続け、冷や汗掻きながら閻魔をにらみ返す。


「やはりキミはあまりにもイレギュラーだった。だからこそこちら側に引き込もうとしたがそれも出来なかった」


 周りの状況、自分以外の人たちの双つ影としての力が根こそぎ吸収されてしまった。しかし自分だけはその影響下にはない。


「つまり、オレの力は対象外だったわけか?それともよく似た力だったから相殺でもして効果がなかったのか?」


 手を握って、満足に動かせることを確認する。


「これがアンタの言うイレギュラーか?」


「そうだ。なにか持ってここから逃げたものを追うのはあとでも出来る。今は、今ここでやれることをしておくとしよう」


「オレと闘うって事か?」


「それしかないだろう。それとも力をなくして立つこともままならない仲間にその役目を負わせるのか?」


 閻魔の言葉に笹良は薄く笑って否定して、地を蹴って右の拳を繰り出し、避けることも受ける動作もしないままただ手を伸ばし、閻魔の手のひらから湧き出る炎。こちら側に反応する間を与えずに笹良の体は炎に包まれようとしてしかし、包むはずだった炎が流されるように左へそれて消える。

 無表情のままの閻魔に今度は笹良が炎を飛ばし、同じように閻魔が炎を受け流す。

 閻魔がムチをしならせて瞬間だけ音速を超えて笹良を遅い、ムチが到達するよりも早く頭頂部にケモノの耳を生やした笹良が素早すぎる動きでビルの側面を歩いて背後に回り込んで、それを予想していたかのように振り返った閻魔の拳の一撃に慌てて身を伏せてかわす。その姿勢のまま投げられたナイフが微かに頭の位置をずらした閻魔の目の前を上空へと通り過ぎ、閻魔を中心として辺りを焦がすように燃え上がった炎の柱を飛び去った笹良の視線がとらえている。

 ビルの側面を駆け上がって屋上まで到達し、地上の閻魔を見下ろして


「そうか。オレたちは似ているんだな。オレもアンタも他人の力を使うことが出来る。ただし違うところは、オレは相手の力を吸収する。ようやく直接じゃなくても、そこにいるだけで吸収出来るようにはなったが、力そのものは奪わない。

 だけどアンタのは力の根本から強制的に奪い取る。これは長引きそうだ」


 地表を力強く蹴り上げ、閻魔の体が一息に笹良に接近、すると同時に炎が巻き付いたムチが両側から襲いかかり、それとは別にナイフが飛び出す。すべて受け流すのはひと手間かかるだろうと踏み、後方に飛んで重力に従ってビルから落下。建物の途中でムチをさらに後方のビルの一角に巻き付けてビルの谷間に消える。それを追う閻魔。


 2人の闘いは場所を変え、残された面々の表情は人それぞれ。なんとか体を起こして改めて座り込んで


「さて、私たちはどうするかな」


「決まっているでしょ! っと」


 勢いよく立ち上がった風だったが、立ち上がった途端に強いめまいに襲われて嶄と凛華に肩を支えられる。その2人もかなりキツそうに


「行っても……邪魔になるだけだと思う」


 弟の言葉に睨みつけるが、


「凛華もそうだと思うな。だって、今の凛華たちが言ってもなにも出来ないでしょ? それどころか邪魔しちゃうかもしれないし」


 妹の言葉に表情を曇らせる。


「それが賢明だと思う。今の私はなにも力のない者たちだ。たとえばここでビルが崩れだしたとしても、それから自分の身を守る術すら持たない。弟の敵を取れるチャンスがこうしてあるというのに、いまの私ではどうすることもできない」


 まだ立ち上がれずに無様に寝転がっている神楽坂を見下ろし、視線をはずして苦笑いをうかべる。


「その気すらあの男に奪われた、そんな感じもする」


 2人が消えていったビル群を見上げ


「久々に感じる。これが普通なんだな」

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