双つ影

 自分の首をつかもうとした腕が根本から切り落とされて、座り込んだ笹良の体の上に落とされた。不思議と血は一滴も流れていなかった。それでもそれは切り落とされた人の腕。だけど笹良の視線はその腕よりも目の前の光景に縛り付けられていた。


 腕を根本から切り落とされた人物が無い腕を掲げるように天を拝んで、低い声を上げている。その姿勢のまま後ろへと下がって、元々その人物がいた場所には代わりに1人の少女が立っていた。


 動きやすさを追求したかのようなパンツスタイルで上着も少女の細い体つきがよくわかるようなほっそりとしたもの。肩に届くか届かないかぐらいのショートカットで、笹良から見えるのは少女の後ろ姿だけで、それでもあと一つ目に入ってくるものがある。少女が右手に持っているその刃物。日本刀から鍔を取り除いたような刀を持ち、少女はまったく笹良の方に振り返ろうとしないで刀を肩の高さに構える。対面する人物は右腕を切り落とされた事を恨んでなのか、少女を睨んで左腕でつかみにかかった。その左腕が、少女をつかみかかる前に切り落とされて上空に飛ばされてはるか後方に落下する。やはり傷口から血が流れるような事はない。


 両腕を切り落とされてなおその人物は少女へと迫り、胸の真ん中に刀を突き刺されてようやくその動きを止めた。背中まで突き出た刀が少女の腕の動きに抜かれて、支えているものが無くなって正座をするように地面に倒れ、そのまま正座の形に座って首を垂らして動かなくなる。


 事切れた事を確認してから、刀を腰の鞘に入れるような動作をするが、少女の腰元には鞘のようなものは見あたらない。それなのに刀を鞘に入れた動作が完了するといつの間にか手元の刀が消えて無くなっていた。少女の細い体つき、どこに刀を隠したようには見られない。


「……あ」


 消えた刀の行方が気になって、少女の体をきょろきょろと眺めていた笹良の視線が、振り返った少女のソレを交わる。笑みなどひとかけらも存在しない、冷たい視線。


「……あはは」


 見られると言うよりは睨まれている視線に乾いた笑いが自然と漏れ、それでもまったく表情を崩さない少女に乾いた笑いすらも凍りついてしまう。


「今の……見ていたよね?」


 女性にしては少し低く良く通った声。それも表情を変えずにいきなり口にされたものだから笹良は目を丸くして、少女の問いかけの意味を理解するのにまず数秒要した。それから。


「い、今のって?そ、その男を殺したってことか?」


 少女は頷いて


「そう。私はこの男を殺した。ただし、1つ勘違いをしてほしくない。これはもう人ではない。人でないのならこれは殺人にはならない」


 後ろを指さすその先にあるのは、笹良の目で見る限り事切れたの死体。


「それは言い訳なのか?それともそう言う事にしないと、オレまで口封じに殺すつもりなのか?」


 例えそこでyesだと返答されても、今度は少女に道を邪魔されていて、満足に逃げる事も出来はしない。しかし少女は首を振って


「違う。これは事実。私は人は殺さない。そして私もあの男も人ではない」


「キミも?人ではない?それはさっき刀をどこかに隠した事と関係あるのか?ちょっと待って!」


 ふところから手のひらサイズのメモ帳を取り出して


「オレは怪しいものじゃない。アプリでニュースサイトの記者みたいなコトしているんだ。あぁこれオレの名刺」


 メモ帳の中に挟んであった名刺を一枚取りだして少女に差し出す。少女はそれを受け取り、名刺に目を落とす。


「でさ、新宿に来たのがその男、多分いま新宿で起きていた一連の殺人事件の犯人だったと思うんだけど、その人物をオレの目の前で殺して、それでそいつが人ではないというんだ。キミのその根拠、良かったら聴かせていただけないかな?」


 続いて胸元からボールペンを取り出して、メモ帳に走り書きする準備は整った。渡された名刺をくまなく見回して、一字一句メモしようとスタンバイしている笹良に視線を落として、「忘れて」そう一言だけ呟いて、名刺を足元に捨てて背中を向ける。


 呆然と少女の言葉を受け取った笹良にさらに言葉を伝える。


「今ここで起こった事、見た事、聴いた事、それらを総て忘れて、なにもなかったようにここを離れて二度と来ないで。それがアナタが今まで通り時を過ごせる唯一にして幸せな選択肢」


 背中越しに言葉を浴びせて、男の死体を通り越して角を曲がろうとする少女に、笹良は鼻で笑ってみせる。その音が耳に入って足を止める少女。立ち上がって


「総てを忘れる事がオレにとって最良の選択肢? そんなの誰が決めた? オレか? いや違う。アンタだ。今であって間もないまだ名前も知らない、オレより年下の女の子のアンタが決めた事だ。アンタにオレのなにが判る? オレは端くれだろうが記者だ。その記者が求めるのは真実だ。真実とはなんだ?総て忘れてしまう事が真実か? 違う。そうじゃない。ここで今見た事を忘れてしまうのは真実とは言わない」


 止めた足を動かし、体の正面を笹良に向け直す。


「真実を暴こうとした結果が、自分の死だとしても、それでもなお真実を求めるの?」


 背中に寒気を感じさせる言葉に、しかしにやっと笑って見せて


「その結果がオレの死だとしても、オレが殺された事によって誰かがそのことに耳を傾けるかもしれない。そいつが今度は暴こうとする。その連鎖をいつまでも断ち切れると思うな」


「つまりここでなにを言おうと忘れる事をしないで、ここで口封じに殺したとしても意味はないと?」


 あぁと頷く笹良に、少女は口元を歪めた。


「面白い男だな、お前は。今まで何度か事を見られた者には出会ってきたが全員が全員、忘れろと言ったら頷いたというのに」


 少女の、年相応な笑顔につられるように崩し


「普通の人間じゃこんなことやっていられないよ。で、オレをどうする? 連鎖覚悟で始末するのか?」


「先ほど言っただろう? 私は人は殺さないと。私が相手をするのは双つ影ふたつかげの連中だけだ」


 特に書く事もないだろうとしまいかけていたメモ帳を再度取り出して、いま少女が口にした単語を書き記してから


「その双つ影ってのを詳しく教えてくれるか?それはなにかの集団の名前か? この殺人事件はどこかのグループ同士の抗争なのか?」


「……知りたいのか?」


「もちろん。中途半端に知った事はとことん追いつめたい性格でね。せっかくそれについて知っているであろう人物が目の前にこうしているんだ。この機会を逃してどうする? それこそ記者失格だぜ」


 その言葉に少女は口元に手を当てて考え込んで、ため息ついてから


「判った。ならついてこい。こんなところで話すのもなんだからな」


「どこか人目のつかない場所まで連れて行って始末するってのは無しだよ」


「しつこい! 人は殺さないと何度も言わせるな!」


 頬を赤くして向きになって否定する少女に怒られて、それに苦笑した笹良を見てさらに怒る少女だった。

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