第8話 回想(3)

ジャックの拳は容赦なくバーンを痛めつけ続けた。痛みが身体を貫き、それが心に蓄積されていくのがわかった。これまで経験したことのない感情がバーンの中に芽吹き始めた。どす黒い、ドロドロとした感情だった。抑えようとすればするほど自分の中で大きくなっていくある感情。痛みがそれを増長させていった。

(なぜ?僕は…殴られているんだろう……?僕がジャックに何をした?

僕が…ジャックに? 僕が……ジャックに? …ジャックが…僕に…)

口のなかは切れて、血の味がした。血の味は鉄の味。流れる血は自分の中の何かを変えていく。

(許さない・・・!!)

バーンの中で何かが変わっていった。

何かがはじけた。

それは『理性』と呼ばれるものかも知れない。

逆に火が衝いたものがあった。

それは『宿業』と呼ばれるものかも知れない。

ギリギリと重い音をたてて、これまで回ることのなかった運命の輪が回り始める。回るのを「理性」という鎖でつなぎとめていたがそれを「痛み」が引きちぎった。体の奥底から湧き上がってくる一本の槍のように赤黒い「感情」が彼を支配した。

身体を貫く痛みより、流れ出ずる血よりも、強い「怒り」に体の中が煮えくりかえり、眼の前の敵を「殺したい」という衝動にかられていた。

うつむいていた顔が上がった。蒼く腫れた頬が痛々しく見えた。

しかし、右眼は、金色の瞳は眼の前のジャックを憎悪の眼で凝視していた。



「ん!?」

飲み物を片手にようやくやって来たアレックスは、視界に入ってきたバーンの姿に驚いた。

「おめえら、何してる!!」

そう叫ぶやいなや飲み物を放り投げて、全速力で走っていった。

「ジャック! やばい!! アレックスが来たっ」

ディルが叫んだ。

「逃げよう!」

「………」

けれどジャックは何も答えなかった。他のふたりもジャックの異変に気がついた。バーンの顔を見つめたまま硬直してしまっている。まるで魂が抜かれてしまったようだ。目の焦点が合っていない。

「バーン!」

アレックスが弟の名前を呼んだ瞬間。

バーンまであとわずかと近づいた瞬間。

ビュッと空気を微かに裂く音が耳に届いた。アレックスの頬を何かがいくつもかすめていった。

(!?)

両手両足の自由を奪われていたバーンの足元にあった小石も、ものすごい勢いでジャックへ向かって飛んでいった。

「なっ!?」

言葉ではない、言葉にならない悲鳴が辺りにこだました。ジャックは右目を押さえて悲鳴を上げながら、その痛みに転げ回っていた。血が指の間からドクドクと流れ、土に吸い込まれていく。

ニック達もその血を見て、バーンをつかんでいた手を無意識に放した。血が目に入った途端「うわわああぁ」と叫び声をあげ、下にへたり込んでしまった。

一瞬、アレックスは何が起こったかわからなくなっていた。

(何でジャックはのたうち回っているんだ!? 誰が・・・こんな?)

バーンの方を見ると、ただただジャックを恐ろしいまでの形相で見下ろしていた。冷酷なまでに冷たい視線で見下すように。

(こいつは、誰だ?バーンなのか? 違う!! こいつはバーンじゃねぇ)

「おい! バーン!!」

アレックスはバーンのそばに来ると、肩をつかんで揺すった。

ハッと我に返ったように、彼を見返した。

「兄さん…?」

辺りを覆い尽くす叫び声がバーンの耳に届いた。そして、血だるまになっているジャックの姿も。それを見てバーンは青ざめた。

ニックもディルもジョンも怯えた目で彼を見ていた。自分たちの理解を超えた怪物。人間ではない何か。化物を見るような目でバーンを食い入るように見ていた。彼らのその表情を見て、バーンは状況は理解したが、原因は理解できなかった。記憶を辿ろうとこの出来事の直前、一瞬前を思い出そうとする。一体何があったのか?自分は彼に何をしたのか?何を考えていたのか?ついさっきのことなのに、まるで霧がかかったように思い出せなかった。自然と足が後ろに動いた。叫び続けるジャックの悲鳴から逃れるように両手で両耳を覆った。顔から血の気が引いていく。逃げるように一歩一歩、アレックスのいる場所から後ずさっていく。

「ち、ちがう。 僕じゃない……僕はしてない。」

目に涙を浮かべ、首を横に振りながら、バーンは消えそうな声で訴え続けた。驚いた顔で自分の顔を見ている兄。その視線の先にいる自分が嫌だった。誰も何も言わなくても、これを引き起こしたのは自分自身に他ならない。そのことだけは理解できた。「なぜこんなことをした」と責められている。「お前がこんなことを引き起こした張本人だと」「人間ではない」と思われているその視線に耐えられなかった。

「そんな目で…僕を見ないで…」

ただ、驚いていただけのアレックスはバーンがそう感じていないことを悟った。

バーンは自分を責めていると理解した。自分自身が許せなくなっているのだと。怒りに身を任せた結果が人に重大な怪我を負わせたんだとそう思っているのだ。

(違う。悪いのはお前じゃない。バーン)

アレックスは、そう伝えたくて彼に手を伸ばした。

「兄さん、信じて。僕じゃない!!」

疑われているんだと思ったのか悲しそうな眼でバーンは叫んだ。逃げるように走り出そうとするバーンをアレックスは両腕で捕まえた。言葉で何を言っても今の彼には「嘘」にしか聞こえないだろうと思った。だから、その思いを自分の両腕に託した。力一杯、弟を抱きしめた。

「バーン。バーン?」

彼の腕から逃れようと必死で振り解こうとしていた。アレックスはそうさせまいと更に力を込めた。熱くなったバーンの体温がアレックスの腕を通して伝わった。なだめるように何度も弟の名前を呼んだ。

「バーン……。大丈夫だ。…逃げるな。俺がいる…」

「僕じゃない…僕じゃない…」

「わかってる。落ち着け」

バーンはアレックスに支えられたまま、正気を失ったように泣き叫んでいた。

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