晴れ間

鬱病の生活は天気と似ている気がする。

私の場合は大半が曇り空で、焦燥感やなんだか落ち着きがなくドキドキするかんじ、が一日中続く。体の不調も、絶不調まではいかないものの、なんだかお腹が痛かったり、なんだかうっすら頭痛がしたり、なんだか身体が重たかったり…。「なんだか」調子が悪い。


でもまだ曇りだから、必要に追われれば出歩くことも可能。ただ、元気な人のペースに無理に合わせようとしたり、神経を使ってしまうと、どっと疲れてその後は大雨警報。


曇り空はちょっとしたことで雨が降ってしまうようで、例えば駅でスッと横入りをしてきた人に酷く嫌気がさしたり、祖父と待ち合わせて珈琲を飲む約束をしていたのに上手く待ち合わせできず帰られてしまったり。(80歳のおじーちゃんとスマホでやりとりしているのだから、ある程度諦めなきゃいけない)


そんな、普段ならもう!と鼻をふんすか鳴らせば気が済む事でも、とてもとても悲しく寂しい気持ちになってしまうのだ。



言わずもがな、曇り空からきっかけがあって雨空、荒天へとスイッチしていくのだが、そのきっかけっていうのはこの程度。もしくはそれ以上、会社などに居る人はもっと爆弾の様なストレスを日常的に浴びている。私は今休職中なので、人間界リハビリ中と言ったところで、ここまでの大きな爆弾をぶつけられることはない。



では晴れ間は。晴れ間は不意にやってくる。そして激レアだ。家に帰ると母がハンドセラピーをやってくれたり、普段ツンケンしてる妹と仲良くお茶をしたり。親友が夜の海に連れ出してくれて深く呼吸をしたり。思考をストップさせて、ただ愛の温もりと安心を感じる。そうすると、そわそわと続いていた焦燥感やドキドキはスッと楽になる…事がある。


事がある、というのはやはり、土砂降りのなか傘を差し出されたとて暴風や叩きつける雨にびしょ濡れになってしまう様に、何段階もすっ飛ばして、いきなり心がリラックス出来る瞬間は現れないのだ。


睡眠が取れて、ストレスに触れずに心が平静を保てて、ちょっと顔を見せようかなと思えるだけの調子が整わないと、最終的な雲は払えないのだ。



気づけば一週間くらいかけてじわりじわりと、分厚かった雲が薄らぎ、昨日は家族のおかげで晴れ間が広がった。久しぶりの晴れ間は本当に清々しく、家族や親友が愛おしく、本や趣味への興味も湧いて嬉しい。


鬱は決して良い物では無いけれど、曇り空が長い分、晴れ間が格別に感じる。昔よりももっともっと愛おしいという感情が鮮やかになった。


出来れば曇天のモノクロの世界を感じずに、毎日晴れやかに生きたい。だから、心療内科には通うし、鬱を治す努力はする。


けどもこれは一生付き合っていかなければいけない、私の生まれ持った特性なんだとしたら。


理解を深めて、コツをつかんで、上手く付き合わなければいけないのかもしれない。

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フィルター 白櫻詩子 @shrozakura_utako

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