こっくりさんの言う通り!

夕野草路

第1話

「……暑っいなあ、暑い。嫌になっちゃうよ」

 グラウンドでは、球児たちが白球を追っていた。彼らは、そのひた向きさ、誠実さ、爽やかさ故に、高校生にして球『児』と名乗ることを許された逸材たちである。汗くさいことこの上ない。

 俺はそんな球児たちに引け目を感じながら、背中を丸めて、グラウンドの脇の坂を上っていた。坂は、このまま裏山へと続いている。その終点には古い神社があった。

「うふぃー」

 我ながら変な声を出してしまった。俺は神社の縁側に倒れ込んだ。しかし、寝転がっていると蚊の羽音が耳についた。

「ヤバい、ヤバい。忘れてた」

 持参した虫よけスプレーを、俺はこれでもかと撒いた。ちょっと地球に優しくないくらいの撒き方をした。さらに、アロマキャンドルの代わりに、香取線香に火を点ける。これほど夏を感じさせる香りは無いだろう。

 夏の凶暴な日差しだが、濃い緑陰を抜けるうちに、驚くほど優しくなる。風も同じくだ。セミの声は騒々しいが、自分しかいない境内の寂しさと打ち消し合って、プラマイゼロである。これで、俺の癒しの空間が出来上がった。

 サイダーのペットボトルを取り出す。表面に、びっしりと雫が付いていた。蓋を捻ると、何とも言えない音がする。しかし、横からにゅっと飛び出した白い腕に、そのボトルは奪われた。

「おい! 返せよ!」

 サイダーが、みるみる飲み込まれていく。

「はあ、染みるっ!」

 サイダー泥棒が言った。本当は、俺が言いたかったセリフだ。

幼馴染と言うヤツなのだろうか。アカリとは長い付き合いだった。そのそのため、彼女は、俺に遠慮が無い。

「しゅーちゃんさぁ、暇だよねー」

 アカリが言った。

「うるせえ。アカリだってこんな所に来て、暇じゃねえか」

「暇じゃないよ。部活帰りだし」

「家庭科部だっけ? 部室で喋ってるだけじゃん……」

「部活に行ってるだけマシでしょ。しゅーちゃんは、他に行くとこないの?」

「無いよ。こんな田舎」

「勉強とかスポーツとか、何かすればいいのに」

「勉強しても、どうせうちの酒屋を継ぐだけだし。体育会系のテンションは苦手だし。そもそも、運動が嫌いだった」

「つまんないの」

「ほっとけ」

 アカリが、俺の横に座った。今日は、妙に距離が近い。

返却されたボトルには、三分の一ほど、サイダーが残っている。俺は侘しい気持ちになりながら、サイダーを煽った。

「そういえばアカリさ、炭酸ダメじゃなかった?」

「……暑くて、喉が渇いてたから」

「そう」

 アカリは、舌がざわざわするから炭酸は苦手だと、常々、言っていた気がする。忘れたけど。

「それより、しゅーちゃん。暇なんだけど」

「ああ。暇だな。でも、良い事じゃないか」

 ゆるゆると、夏の午後は過ぎていく。

 大人になれば、暇な時間は嫌でも無くなるのだ。限られた暇な時間を、思いっきり楽しまなければ損だ。言うなれば俺は、何もしないことを、している。

 ふと、アカリがカバンの中身をガサゴソといじりだした。

「……お前、何してんの?」

 ちょっとね、と言いながらアカリはルーズリーフにボールペンで何やら書き込んでいく。

「あいうえお表?」

「違うよ」

 紙の端っこに、「はい」と「いいえ」の文字。そして、鳥居のマーク。何故だか、デフォルメされた狐の絵も描かれていた。妙に巧い。

「もしかして、こっくりさん、ってやつ?」

「そうそう」

 こっくりさんと言えば、いわゆ占いの一種だ。細かいやり方までは忘れたが、早い話が、子供だましである。

「こっくりさん、やってみない? どうせ暇なんでしょ」

「急に、何だよ」

「だって、ここ稲荷神社じゃない?」

 言われてみれば、確かにそうだ。

「……ガキじゃないんだから」

「うるさい! やるの!」

 無理やり、腕を掴まれて指先を十円玉に乗せられた。

「痛い、痛いから!」

「もう始まってるよ。途中で止めると呪われるからね」

「わ、分かったから。腕を話してくれ」

 なし崩し的に、俺はこっくりさんに興じることになった。俺の、暇な時間は、

終わってしまった。

「こっくりさん、こっくりさん。おいでください」

「あれ? 始まったの今だよね!?」

「うん、今。ごめんね」

 悪びれもせずにアカリが言った。

「それで、この後、どうすんだよ?」

「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたか?」

 十円玉が、ずず、ずずず、と動いた。そして、はい、の文字の上で止まった。

「おい、アカリ。動かすなよ」

「違うよ。こっくりさんだし」

「はいはい。じゃあ、質問してみろよ」

 どうせ、答えられないだろうが。

「うん。いくよ。……こっくりさん、こっくりさん、畑中家の、昨日の晩ご飯のメニューは?」


( か  れ  え  ら  い  す )


「どうなの? 当たってるの?」

「……当たってる。だけど、十円玉、お前が動かしてるんだろ?」

「だから、動かしてないって。だいたい、しゅーちゃんの晩ご飯なんて、あたしは知らないし」

「本当か?」

「じゃあ、しゅーちゃん以外知らないことを訊くよ」

 戸惑う俺をよそに、アカリは質問を重ねる。

「こっくりさん、こっくりさん。しゅーちゃんは、どこから身体を洗いますか?」

「しょーもないな。こんな事訊いて、呪われない?」

「なに? 信じてるの?」

「信じてねえし」

 十円玉は、ずずずず、と動いた。


( ひ  だ  り  か  た )


「どう? どうなの?」

「……当たってるけど」

 正直、認めたくは無かった。

「今のは、しゅーちゃんしか分からない質問だよね。……あれ? お母さんと一緒にお風呂、入ってるんだっけ?」

「入ってねえよ! ……まあ、確かに、今のは俺しか分からないな」

「っていうか、しゅーちゃん。お風呂に入る時、歌声漏れてるよ」

「マジかよ」

「お母さんなんか『あらー、今日もライブが始まったわねー』とか言ってるからね」

「なんか、照れるな」

「上手いとか、そういう意味じゃないよ」

「え、違うの?」

 じゃあ、どういう意味なの?

「それより、しゅーちゃん。まだ信じてない感じ?」

「いまいち、信じきれない、かな」

 子供のころ、こっくりさんが流行ったことがあった。しかし、大抵は、誰かがインチキをしていた。しかし、アカリは無邪気に笑いながら、質問を続ける。 

「こっくりさん、こっくりさん。しゅーちゃんのエッチな本の隠し場所はどこですか?」

「おい、ちょっと待てよ! こっくり! 今の質問は取り消しで」

 しかし、十円玉は動いた。心なしか、今までよりスムーズに動いた気がする。


( ふ  ゆ  よ  う  の  ふ  と  ん  の  あ  い  だ )


「これは、おばさんに報告だわ」

「いや、マジで勘弁して」

「当たってたの?」

「いや。それは……」


( き  ょ  に  ゅ  う  も  の  お  お  し )


「そこまで訊いてねえよ!」

「今日のこっくりさんはサービスいいね」

「え、なに? こっくりさんにも、個人差みたいなのが有るの?」

「まあ、多少は有るでしょ。それで、信じたの?」

 認めたくはなかった。本当に認めたくはなかった。

「…………ああ。もしかすると、今日のは、本物かもしれない」

 俺のエロ本の隠し場所を知っているくらいだし。ならば、訊くことは決まっていた。

「こっくりさん、こっくりさん。アカリの弱みを教えてください」


( し  ね )


「俺、死ねって言われた! 神様に、死ねって言われた!」

 いいえ、が用意されてるのに、よりによって死ねって。いいえ、で良くないか。

「変なこと訊くからだよ」

「じゃあ、こっくりさん、こっくりさん。俺の前世はなんですか?」

 ずず、ずずずず、ずず。


( し  め  じ )


「嘘だ!」

「確かにー。言われてみれば、そんな感じするかも」

「どんな感じ!?」

 俺の驚く様を見て、アカリはくすくすと笑った。こう、無邪気に笑われると、毒気が抜けてしまう。

「次は、あたしね。こっくりさん、こっくりさん。しゅーちゃんの好きな人はだれですか?」

「おい、アカリ。俺、好きな人とかいないぞ」

「それは、どうかな?」

「な、なんだよ……」

 アカリが、ちょっと不敵な感じで笑う。そして、十円玉が動き始めた。

するすると、十円玉が紙の右上へと向かう。いない、だろうなと予想していた。しかし、十円玉は、い、の上で止まらなかった。

「ん? ちょ、ちょっと待てよ……」

 十円玉が、予想外の位置で文字を差した。


( あ か り )


「……これって、そういうことなのか?」

「そうでしょ。……だって、こっくりさんが言うんだから」

「嘘だ。全部さ、お前が動かしてたんだよな?」

「どうだろ。……私が、動かしてた、かも」

「なあ、アカリ。付き合う?」

「どうしよ」

「俺、お前の事が好きみたいだし」

「そっか。じゃあ、仕方ないな。付き合ってあげるよ」 

それだけ言って、アカリは走り去ってしまった。



 

 俺は家に帰って、晩ご飯を食べて、風呂に入った。特に何が変わったわけでも無い、いつも通りの夜だ。しかし、今日は妙に虫の声が耳について、眠くならないのだ。布団に寝転がったまま、天井の木目を眺めていた。

 考えてみれば、悪い話じゃないのかもしれない。

 アカリは、小さいころからの腐れ縁だった。だから、俺の事を良く知っているし、俺もアカリの事を良く知っている。アカリには、下手に気を使う必要がない。背伸びしてカッコつけなくてもいい。自然体でいられるのだ。

 よくよく見れば、顔だって悪くない。目は大きいし、なんていうか素朴な感じだ。

それに、意外と可愛いところも有った。

「……こっくりさんで、告白かよ。罰当たるって」

 思わずニヤけていた。

 しかし、俺の事を良く知ってたよな。風呂の事とか、エロ本の場所とか。流石に恥ずかしい。たぶん今、顔が赤い。

「おい、アカリ」

 いてもたっても居られなくなった俺は、部屋の窓を開けて、アカリを呼ぶ。

「なにー? もう十時だよ」

 隣の家の窓が開いて、アカリが顔を出した。

「まだ寝ないだろ」

「そうだけどさあ。何か用?」

「……いや、なんていうかさ」

「何?」

「あのさ、今度の日曜!」

「え? 日曜?」

「映画……でもさ、行かない?」

「へ? 急に何で?」

「何でって、デートだよ。言わせんなよ」

「はあ!? 何で、あたしがしゅーちゃんと、デートするの?」

「付き合ってるんだから、デートくらいするだろ」

「誰が、誰と?」

「俺と、アカリが」

「付き合ってねーし!」

 アホかよ、とアカリが言う。真顔だった。

「いやいや。今日の昼、神社でさ」

「は? 神社? あたし、今日の昼間はミキとハルカと一緒に、街まで買い物に行ってたんだけど。帰って来たのも夕方だし」

「嘘つけ。こっくりさん、しただろ?」

「なにそれ? しゅーちゃん、寝ぼけてるの?」

「いや。寝ぼけてないけど」

「だいたい、今日しゅーちゃんと喋ったのは、今が初めてだし」

「いや、そんなはずは……」

 おやすみー、と言い残して、アカリは部屋に引っ込んでしまった。

 何が何だか、分からない。残された俺は、アカリの部屋のカーテンと睨めっこしていた。開いた窓から、蚊が入って来たらしい。鬱陶しい羽音がする。

「俺、きつねにつままれたの?」

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