第35話 夕鶴の妻

何年かぶりに、夫が弁当を持っていきたいと言い出した。

昔は毎日作っていた。

早起きしての弁当づくりは不安だったが、

やってみれば、なんてことはない。

楽勝だった。


ただし、短い時間で作らないとならなかった。

その朝も、いつも通りぎりぎりの弁当作りであった。

与えられた時間は五分。


なぜなら、それまでに起きてはならないからだ。

夫は『夕鶴』なのか、朝のストレッチを私に見られるのを拒む。


だったらさぁ、自分の部屋でやってくればいいでしょう。

どうしてリビングでやろうとするの。

ストーブと床暖房でほかほかのリビングは、

そりゃあ気持ちがいいけれど・・・。

自室にベンチプレスと腹筋マシーンがあるでしょう。


ていうか、『自室』じゃないしね。

娘の部屋だしね。


一人暮らしで出て行ったからって、まだちょいちょい帰ってきているし、

これって、占領よね。

侵攻っていうのかしら。


なんて言えないしね。


というわけで、私が弁当作りに使える時間は五分。


肉と卵を焼く。

あとは夜に茹でたブロッコリーと、冷凍のソースかつがマストだ。


リビングの扉を開けると、お姉さん座りをした夫が不服そうに、

こっちを見る。

別にあなたのことなんか、見てないし・・・。

約束より一分や二分早く起きたっていいでしょうよ。

夕鶴は人に見られるとストレッチができないシステムらしく、

ヨガマットをそそくさと畳む。


そして私は手だけを洗うと、フライパン二台に火をつける。

弁当箱にご飯をよそう。

大体250グラムだ。

そこに紀州産の大きな梅干をのせる。

のりたまふりかけをかける。

油を熱し、豚肉とネギを炒める。


卵を二個ボールに割って、砂糖としょうゆとめんつゆ少々を入れる。

厚焼き玉子を焼く。


夫が玄関で、スーツのベルトをしめている。

焦る。


おかず入れに肉、卵焼きをいれる。

レタスにソースかつを二枚。

仕上げに福神漬けを入れる。


完成・・・。


保温バッグに入れて、

箸を忘れないように・・・。


夫がリビングに来る。


『はい』


弁当を渡す。


『お、早いね!ありがとう。楽しみだ』


夕鶴はけっこうかわいいことも言う。


で、その日、昼に珍しく夫からの電話。


『あのさぁ、弁当ごちそうさま。・・・卵にさぁ、塩、入れた?』


・・・。


『めちゃくちゃからくてさぁ。塩だよなぁ。俺、味覚おかしくないよなぁ』


主婦歴は長い。

こんな失敗は初めてだ。

やはり、五分ではこういうミスが出てしまう。


しかし、ちょっとおかしかった。

なんか漫画みたいで。

塩と砂糖を間違える人なんか、ほんとうにいるんですね。

って、私・・・なにやっているの・・・。


ごめんね、夕鶴。


それにしても、甘い卵焼きが好きな夫のために、

そうとう入れたよ・・・。


『よく食べられたね』

夜、夫に謝った。


『腹減ってるからさぁ、ん?ん?ってはてなマークで食っているうちに、

なくなった笑』


夕鶴のために、五分で完璧にできる弁当を、研究しなきゃ。









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