第2話 仮想通貨の女 A美 54才

a美とサシで飲んだのは何年ぶりだろう。


彼女とは独身時代、海外旅行に何回も


行ったし、とても気が合う。


二人の息子を育てながら、


添乗員とホステスの仕事を、掛け持ちし、


美容にとてもお金をかけている。


夫は一流メーカー勤務で、


年収は1000万超だ。


それでも彼女が働くのは、根っからの家事嫌いと、仕事が好きだからだ。


『たとえ宝くじで三億当たってもあたしは添乗員とホステスだけはやめない。天職だから』


そう言ってはばからない。


年に何度も家族で海外旅行をしては、


サーフィンを楽しむような、


そんな幸せな家庭を築いてきた。


いつもの居酒屋で案内されたのは


窓にくっついた向かい合わせの


二人席で、なんだかとてもスースーして寒かった。


『なんか、ここ寒くない?』


『うん、ここは嫌だ。中の方がいいよね』


体感温度的なものが合うのも


長く付き合える秘訣だと思っている。


席について、a美と生ビールで乾杯をする。


昨年、c子と3人で飲んで以来、


約一年ぶりのことだ。


少し前に目の網膜の病気をしたという


のはラインで聞いていたが、


まったくそんな風に見えないし、


韓国でコラーゲンを入れてきたという目元には、張りがあった。


目の病気自体も薬や注射でコントロールされているらしい。


そもそも目の病気になった頃、


彼女は最愛の両親を立て続けに


病気で亡くした。


強いストレスに晒されていたのだと思う。


しかし、a美は辛さや

悲しさを表に出さずに耐えていた。


葬儀に駆けつけた時でも、


背筋を伸ばし、弔問客に挨拶し、


微笑みながら涙をそっと拭うような


気丈な態度を見せた。


人はいざという時、その真価を表す


というが


a美の場合には、


大変な時にも他人への気遣いができる


のだな、と感心させられた。


両親との別れ、目の病気を経て、


半年前には義母の死去があったという。


そして何より驚いたのは、


二カ月前に夫が早期退職をしたらしい。


『お義母さんが亡くなって、預貯金が

入ってきたのもあるのか、働く気が失

せたのかな。早期退職の募集があって

俺もう、やめようかなって言うから

どうぞって感じ?』


どうぞって感じって...。


『でね、退職金と、給料三十五カ月分

で、3000万くらいもらったのね。

だから、1000万くれって言ったの

に、俺、1500万円借金があったんだよって言うの、

もうびっくりしたよ』


『なにそれ.,.って、ちょっと待って。

a美んちは家のローン終わ

ってるんだっけ?』


『残ってるよ。でもお義父さんが亡く

なったらどうせ遺産が入るから、

そんなのは良いのよ。

あと生きても四、五年ってとこだから』


『そう...。

っていうか、なんの借金なの?』


『知らない、積もり積もったって言うけど、積もり積もったっていう額じゃないって、長男も呆れてさー笑』


『...』


『借金返しても、まだ残るから、300万円もらったのね。

それで目のこともあったし、

ホステスの仕事は辞めたんだ。

17年やったよ。あたし』


『長かったね、よく掛け持ちしたよ、

おつかれ様。世界一周旅行でもしてきたら?』


『それ本気で言ってる?世界飛び回って仕事してるあたしにそれ言う?

旅行は仕事で金もらいながら行くから十分なのよ笑』


『そうだった、あははは...』


『そうよ。ホステスもさ、目のことがなかったら続けていたと思うけどね。...実はさ、店で知り合った金融関係の社長さんが仮想通貨やってて

150万預けたのね。そうしたらすぐに倍になったの。ねえ、信じられる?』


『そうなの?』


『日本は遅れてるんだって。不労所得を得る方法があるならそれを生かさないとね。...30でも50でも遊んでるお金があるなら、社長に預けてあげるけど?どう?』


『うーん。ありがと。...考えておくよ』


私がそう言うと、一瞬、


持っている者が持たざる者を見る目を


したような気がした。


『ほんとに働かなくていいんだよ。今も10万下ろしてきたけど、

10万稼ぐのってほんとに何時間もかかるよね。なのに何もしないで預けてどんどん増えていくなんて

やらない理由がわからないよ。』


a美は言った。


仮想通貨で稼いでいる人はたくさんいるらしい。


a美もその蜜の味を知ったのだろう。


騙されているのではないの?


ほんとに大丈夫なの?


そんなことは言えない。


a美は私のような保守的な女とは違うのだ。


15年以上囲っている一回り以上年下の恋人がいて、


仕事で世界を飛び回り、


夜の仕事で財界の一流人との人脈がある。


夫が早期退職をする、と言っても


出張に行ってきます、と言われた程度の反応をする。


1500万の借金も問い詰めない。


もっとも問い詰めると、問い詰められるから、という、


駆け引きもあるのだろうが。


子育ても終わり、夫も退職金を手にし、あとは義父を見送るのみ。


a美は自由にやればいい。


少しずつ合わない部分が増えたって


私達は親友だ。


『あたしさ、69才で死のうと思っているんだよね。

衰える前に逝きたい。

となると、あと15年なんだよね。

本気で好きなことしかしないつもり。

仮想通貨を始めたのも、その社長さんと、自分たちの理想とする老人ケアマンションを作りたいからなんだよね。

最後パパが入った時、色々思うところがあったわけ』


a美は自分を説き伏せるように、うなづきながら話す癖がある。


『利用者はもちろんだけど、そこで働く人が少しでも楽しくなるような場所、作りたいんだよね。まぁ理想っちゃ理想なんだろうけど。それに大体二億必要なんだよね。だからまともに働くだけじゃ稼げないからさ』


ああa美よ。


両親を見送り、義母を看取り、

もう自分の締切日まで決めてしまったんだ。


54才。


私はまだ、世界一周旅行を夢見て、


両親のスネも時々かじっている、


80も90才もこのまま元気でいけると能天気に信じている。


a美のどこか覚悟を決めた目で話す姿に、


私は少し自分を、恥じた。


a美に置いていかれている感じがした。


だけど、仮想通貨のために


a美にお金を預ける気には、


やっぱりなれないのだった。









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