第4話 三万五千円集めたらなんかあるんか?

 早速和夫は辺りを見回し、十数メートル先の薬局の前に一人の中年男性を見つける。猫背で目線もやや斜め下に向けながら、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。歳のころは50代前半といったところで、頭頂部の毛髪が少し控えめな感じになっている。


 和夫はそちらを指さし祐奈に告げる。


「おー、あのおっさんええやん、えー感じにショボくれてるやん」


 祐奈はその男性の方を見て和夫に批難の声を上げる。


「ちょっとやめーや、しつれーやで? 優しそーなおっちゃんやんかぁ」


 フォローを入れてはいるが、それが誰を指しているのか一発で気づくあたり、どちらかと言えば哀れみまで見せる彼女の方が失礼な態度をとっているといえよう。


「よし、じゃあ俺ちょっとあのおっさんいくわ!」


「え? カズくんがいくん? 大丈夫? シバかれへん? 通報されへん?」


 意気揚々と言う和夫を祐奈はたしなめる。和夫がこれまでもこういった後先考えない行動で、泣きを見せてきたシーンをたくさん見てきた祐奈にとって、これは当然の反応である。


「まかさんかい! それはもうなんやかんや俺のナイスな作戦でやな……、ナイスな作戦、……ナイスな」


「なんもないんやろ?」


 言葉に詰まる和夫に、祐奈はいぶかしげな視線をおくる。


「あるわ! あるからちょっと待てや!」


「はよせなおっちゃんどっか行くで~」


 焦る和夫がなんだおかしくて、祐奈はニヤニヤしながら和夫の肩をポンポンと叩く。


「いや、もうすぐ、もうすぐ出るから、出てくるから!」


「あれがあーなって、……こーなって、あれで、んー、……せや!」


 うんうんとうなっていた和夫が急に”ぱぁ~っ”と音が聞こえてきそうな恍惚の表情を見せる。彼がこんなウカレポンチな顔をした時の思い付きは大抵ロクでもないものであることを祐奈は知っているが、とりあえず先を促す。


「なになに? どしたん?」


「祐奈、俺の後ろでスマホもって俺を撮影してるフリしといてくれ」


 突然の意味の分からない要求に、祐奈は頭にはてなを浮かべながら首をかしげる。


「え? なんで?」


「えーからえーから」


 和夫は何も説明せずにおっさんに向かってずんずんと歩き始める。祐奈は、『あ~、これ絶対あかんやつや』と思いながらも、革製のショルダーバッグからスマートフォンを取り出すと、それを和夫の方に向けながら後ろに続く。

 

 和夫は楽しくなさそうにゆっくりと歩くおっさんに近づき、努めて明るくはっきりとした声をかける。


「あのー、すいません、ちょっと今時間大丈夫っすか?」


 いきなり話しかけられたおっさんは、少し困ったように固る。しかしそれは、レッサーパンダのような赤茶に染めたソフトモヒカンに、まるでシャープペンシルで書いたかのような薄く細い眉毛のやたらに小さな男を、ボロボロかつ無駄にオーバーサイズなスウェットを着た金髪の女が撮影している、というこのうさんくさい状況に対して極めて的確な反応といえよう。


「お、おお、ちょっとだけやったらええけど……、なに?」


 おっさんは訝しみながら問い返すが、こんな怪しげな二人組に時間を割いてくれる彼は飛び切りのお人よしである。和夫は無駄ににこやかな表情を張り付けたまま続ける。


「あのー、ユーチューブってよく見られます?」


 祐奈はスマホを構えながら顔をしかめる。おっさんは少しめんどくさそうに言う。


「あー、まあ、たまにパチンコの動画とかなら」


「実は今、ユーチューブの収録やってましてね? ズバリ『道行く人に35円ちょーだいって言いまくったら何円集められるでしょう!』っていう企画なんすけど、そんで、……そのー」


「……いきなりで悪いんすけど、僕に35円くれないっすか?」


 あろうことか、どうやら彼はユーチューバーのフリをしてお金をもらおうという作戦らしい。それならば絶対に若者に声をかけた方がいい。その嗅覚すらないあたり、彼にはユーチューバーの才能はまるでないといえるだろう。


 それを聞いたおっさんはもはや迷惑そうさを隠しもせず、口をあんぐりと開けて和夫を軽くにらむ。それを聞いた祐奈は顔を赤くしてうつむき気味になる。うさんくさいうえに滑りまくりなこの作戦に、参加させられている自分が恥ずかしくてたまらないのであろう。しかし、祐奈はこんなにも頭の悪い男と、長年つるみ続けた自分の身から出た錆のようなものであることに思い至り小さく落ち込んだ。


「……はぁ、なんでまた35円……? 1円とか100円にした方がインパクトあるんちゃう?」


 当然生まれるであろう疑問を返された和夫はその場でひどく狼狽する。そこを突っ込まれることを全く想定していなかったのであろう。


「そ、それはそのー」


 当然、ドモり始めた和夫を、おっさんは更に怪しみ始め、少し語気を強めて言う。


「にーちゃんあれか? 金欲しいだけ? カツアゲ的なやつか? それやったらおっちゃん警察呼ばなあかんくなるで?」


「ちゃ、ちゃうんすよ、その、ほら! 35円もらうと、……1000人に35円、もらったら、三万五千円になるから!」


 完全にテンパってしまった和夫はもはやおっさんからすると意味の分からない弁明を始める。祐奈はもはやスマートフォンを一応は和夫の方に向けながら、『家賃 滞納 居座る方法』で検索を始めている。


「……三万五千円集めたらなんかあるんか?」


 これまた当然の指摘に、和夫は言葉に詰まる。


「そ、それは……」


「それは?」


「………………家賃が払えるねん」


「……カズくん全然あかんやん」


「…………」

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