第3話 彼女が居る部屋



 目が覚めたら、大きなマシュマロに包まれていた。

 ――――なんて事はなく。

 英雄は味噌汁の匂いと、トントンという包丁の音で目が覚めた。


「起きたか」


「んー……、おはよう。――七時? 今日って日曜だよ!? 早くないっ!?」


「健全な肉体は日頃の生活習慣からだ、私は六時には起きていたぞ、これからは英雄も同じ時間に起きるがいい」


「気持ちはありがたいけどね、今日ならお金の都合が――――」


「うん、どうした? ああ、エプロンを借りているぞ」


 その光景で、いっきに目が覚めた。

 制服にエプロン、英雄の高校はスカートが短くするのが主流で、お堅いフィリアとしても例外ではなく。

 つまり、朝日より眩しい。


(ふおおおおおおっ!! なんだこれっ!? 見慣れてる制服の筈なのに、エプロンでローアングルってだけでこんなに――――!?)


「冷蔵庫のあまり物が無かったからな、簡単な物だが作った。もう直ぐ出来るから食べよう」


「ありがとう。っていうか、料理出来たんだ」


「何を馬鹿な事を、昨晩だって一緒に作ったではないか? ははぁ、さてはまだ寝ぼけているな? よし! 洗面所まで駆け足! 顔を洗ってこい!」


「はいはい、おぜうさまのご所望のままに」


「はいは一回、そして名前で呼べと言った」


「はい、おはようフィリア。――これで良いかい?」


「ああ、満足だ。おはようヒデオ」


 彼女の作る朝食は、普段、自分で作るより格段に美味しかった。

 その後、再び台所に立って片づけを始める背中に、英雄は問いかける。

 何故だか、気分は新妻を眺める夫。


「ねぇ、この後はもう出て行くの?」


「専属の弁護士と連絡が付いたのでな、火事の処理だ。新しい住居かホテルの手配をしなければならないし、学校と担任にも連絡しなくてはな」


「つまりは忙しい、と」


「そう言う事だ、――うむ、完璧だ。どうだ見て見ろ、君がろくに手入れしていないシンクまでピカピカに磨いたぞ! これで一宿一飯の貸し借りは……無しだ」


「一宿ニ飯だと思うけどね」


「朝ご飯は私が作った、一宿一飯でいい」


 エプロンを片づけ、スマホを取るため前屈み。

 思わず英雄は、体ごと顔をローアングルに。

 だって男の子だもの。


「む、何を変な格好をしている?」


「あ、ああ! 畳の目を数えたくなってーー!!」


「成る程、てっきり私のパンツを狙っていたのかと思った」


「ははは、まさかそんな事……」


「ズボンにテントを張っているぞ?」


「馬鹿な、こんな事で興奮――――っ!? 謀ったなフィリア!」


「失望したぞヒデオ、だが寛容なる私は許そう。何故ならば、君の行動は私の女性的魅力に屈したことを意味するからな!!」


「僕が……負けたっ!? ありえないっ!! ふぎゅっ、もがもがもがっ!?」


「ならば、下から覗くのを止めたらどうだ?」


「――ぷはっ!? フィリアが僕の目から足をどけたら考えてもいいよ」


 そして顔から離れる足裏の温もり、英雄は紳士なのでちゃんと目を閉じて彼女が数歩下がるのを待った。


(ちょと刺激が強かったけど、なんだかんだで楽しかったなぁ……、フィリアが扉を出てしまえば、この楽しさは終わっちゃうのか)


 そう考えると、彼女をそのまま返すのは惜しい気がしてくる。


「――なぁ、新しい住居って言っていたけどさ。宛はあるのかい?」


「ないな、学生寮として指定されているアパートには現在空きが無いし、この辺りにはホテルが無い。そして…………君には意外かもしれないが、私が自由に出来る金銭、私の学生生活を送るための諸経費は厳格に決められていてな」


「要するに、金が無いと?」


「正直、この部屋レベルに妥協したとしても、当面はもやし生活かもしれない」


 仏頂面の中に、途方に暮れた目。

 クラスメイト(天敵)といえど、一夜を共にして窮地を知ってしまった事であるし。

 彼女の住居探しや、日用品を揃えるのを手伝うのもまた楽しいかもしれない。

 だが――――。

 英雄はゆっくりと起き上がり、フィリアに笑う。


「常々思うんだよ、人生は楽しくなくっちゃって」


「程度、節度という物を考えて欲しいのだがね、それは良い心がけだ」


「んでさ、短い時間だったけど。こう思った訳、――フィリア、君と二人で過ごした時間は楽しかった」


「そうだな、私としても悪くは無かった」


 そして、英雄は言った。

 言い換えれば、口説いたといっても良い。


「どうかな? ホテル暮らしはお金がかかるでしょ、新しい住居が見つかる間だけってしても結構な金額だ」


「ふむ、言わんとしている事は、何となく分かる。だが、決定するには理由がもう少し足りないな。続けて」


「ここなら、学校に徒歩で行ける。スーパーだって近くだ。服とか雑貨は……、まぁバスに乗らないと駄目だけど」


「うむむ、もう一声」


「家賃と食費光熱費は折半! 布団はもう一組買おう! 僕が出す!」


「では、君のメリットは何だ? 今のでは私のメリットしかない。――年頃の男女が親に無断で同居、否、同棲するというリスクはあるが」


 英雄のメリット、思わぬ言葉に意表を付かれたが。

 しかし、そこで口ごもる英雄ではない。

 何故なら、彼のモットーは人生エンジョイ! 楽しむ為に苦労は惜しむな! である。


「――フィリア、君という存在だ」


「キザったい、もう少し詳しく」


「男子高校生のステータス……、それは彼女! 人生エンジョイにも必要不可欠な存在! 僕の知る中で性格はアレだが一番綺麗で可愛い子と同棲してみたいっ!!」


「同棲とは、恋人同士がするものだ。私を君は言わば天敵同士、恋人以前の問題では?」


「ちっちっちっ、分かっていないな、僕は――いつも仏頂面で鉄面皮で、少し睨むだけで威圧感があるクールと言うには鋼鉄の女であるフィリアを! 口説いて、メロメロにして! デレさせてみたいっ!! 僕のテクで堕としてみせるぜベイビー!!」


「興味本位では無いかっ! しかも欲望丸出しだっ

! 完全な体目的ではないかっ! 誰がそんな提案に乗るか馬鹿者がっ! 私は清く正しく生きて、出世街道を邁進するのだっ! よし! その提案に乗ったぁっ!!」


「いえーい、ハイタッチーー!」


「イエーイ!!」


 ぱしんと手と手がなって、がっちりと握手。


「…………あれ? なんでその台詞で話乗ったの?」


「うむ、英雄の言うことも一理あると思ってな」


「その心は」


「私の学生生活を邪魔する汚点である君を、管理し支配におく絶好の機会であると認識した」


「本音は?」


「ははっ、コイツは私に惚れてやんの! 好きなだけ貢がせて、体に指先一つ触れさせないでポイ捨てして、泣き顔を堪能してやろうという長期的計画だっ! 君を矯正させた事で私の評価はアップ! 女としても箔が付くというものだっ!」


「酷くないっ!?」


「それはこちらの台詞だ……」


「あ痛っ!? そんなに力を込めて……、ぐぬぬ、負けないっ!」


 二人は何故か、全力で握手を始めて。


「くそうっ!? 意外と力強いぞ!?」


「はっはっはっ、鍛えているからなぁっ! 君程度には負けない……」


 ぐぎぎ、ぎりぎりと、互いにメンチを切って睨み。


「私はこれから、君と一緒に住む準備を始めよう……、覚悟、して、おく、事、だなぁ!!」


「フィリアこそ……、僕に、メロメロに、させられるっ、事、をっ! 覚悟して――――ギブギブギブぅ!!」


「やったぞっ!! 私の勝利だっ!! それ見たことかっ!!」


「ど畜生うううううううう!!」


 失意体前屈を披露する英雄の頭を、フィリアはぐりぐりと踏みつけにして扉へ。


「では、言ってくるぞダーリン。――ぷぷぷ、くははははっ、君をダーリンと呼んだら、世の恋人夫婦たちに失礼だな」


「ええい、とっとと行ってこいってば! 昼飯は要る?」


「帰りは夕方になるだろう、食材は買ってくるので部屋の掃除とクローゼットを一部空けておけ! では行ってくる!」


「いってらっしゃいな!」


 ぱたんと扉が閉まり、直後、英雄は涙を流してガッツポーズ。


(夢にまで見た、可愛い女の子と同・棲ッ!! 性格はホント、アレだけど。同棲! 同棲! 同棲! 僕ってばリア充してるぅ!)


 これで、学校生活もエンジョイしやすくなれば申し分ないが。

 ともあれ、扉の外ではフィリアもまた静かにガッツポーズ。


(やった! やりましたお母様、お父様! 清く正しく手段は選ばず、恋は戦争、大金を叩いてでも勝ち取れ! ああ、この家訓を私は心から誇りに思います…………)


 そして我に帰ると、ウキウキルンルンで歩き出す。


「そうだ、明日は月曜日。……腕の見せ所だな。ふっふっふっふっふっ」


 手作り弁当を持って行ったら、英雄はどんな顔をするだろうか。

 フィリアは微笑んだ。

 ――見知らぬ者から見れば、悪事を企む顔であったが。

 確かに、心から微笑んだのだった。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼っ!! もうっ! 絶対に離れないぞっ!! 逃がさないっ! 逃がす訳がないっ!! くくっ、あはははははっ!! この命果ててもっ! 逃がすものか脇部英雄ォッ!! もう、人生丸ごと、私のモノだ――――!!)


 心の底から、微笑んだのだった。


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