第2話 マイハウス! ユアハウス?



 結果から言おう、――乙女の尊厳は守られた。

 フィリアは英雄の想像より軽く、首に彼女の腕が回され甘い匂いがクラクラと。

 柔らかい体と、頬を赤く染めて我慢の表情の彼女の姿に、謎の扉を開きそうになったとか。


 トイレから出た彼女が数分の間、顔を耳まで真っ赤にして手で隠して睨んできたのはともあれ。

 精神を復帰させた彼女は。


「それで? 母屋は何処だ、犬の姿も見えないが……」


 開口一番がそれであった。

 確かに英雄の安アパートは狭いしボロい、風呂とトイレが付いているのがせめてもの救いではあるが。


「マイハウスイズノット犬小屋! ――今からでもあのボーボーハウスに帰る?」


「金持ちジョークだ、和んだだろう?」


「無表情で言うな、マジに聞こえる。んでもって、這寄さんは冗談について学び直すべきだね」


「点数にすると?」


「オマケして二十五点、赤点だよ」


「せめてもう少し――、っと靴箱に入れた方が良いか?」


「好きにして、少ししか使ってないから余裕はある。ああ、ソファーなんて高級品はないから、その座布団の上にでも座っててよ」


 家を焼け出された女の子を招いた場合、何を用意してあげればいいのか。

 興味深そうに部屋のあちこちを眺めている彼女を放置して、洗面所に向かう。

 それにしても、自分の部屋に女の子が居るというのは感慨深い。


(掃き溜めに鶴って感じだね。――使ってないタオルがあったよね、飲み物は…………未開封のペットボトルでいいか、いいよね?)


 他に必要なモノは何だろうか? 英雄は戻ってスマホの充電器を手に取る。

 するとそこには、ちゃぶ台の前にちょこんと座るフィリアの姿が。


(ああ、うん、良いねこの光景。黙ってれば綺麗で可愛いのになぁ……、ちょっとそわそわしてるのがグッとくるね!)


 天敵ではあるが、相手の美貌は本物だし罪は無い。

 ずっと見ていたい衝動にかられたが、下心丸出しで格好悪いというものだ。

 英雄はにやけた顔を戻すと、持っていた品をちゃぶ台に置く。


「これ、必要だろ? 好きに使ってよ。でも充電器は一つしかないから交代でね」


「感謝する、ところで晩ご飯はまだか?」


「……結構図太いよね這寄さん、もやしと豚肉炒めでよければお裾分けするよ。ちょっと待ってて」


「重ね重ねありがたい――、しかしその前に、話し合わなければならない事があると思わないか?」


「這寄さんがお腹空いていないなら良いけど、……で、何?」


 英雄が座ると、フィリアは人差し指を立てて。


「先ずはそれだ、這寄さん。――私に対して呼び捨てにしないのは君の美徳だが、こうして一つ屋根の下で寝る身。堅苦しいと思わないか? 私はこれから君を英雄と呼ばせてもらう……さ、どうぞ?」


 次は英雄が這寄フィリアを名前で呼ぶ番だ、と腕を組んで。

 彼にしたら、何気ないポーズも様になるし、割とエロいと思ったが言わぬが花よ。――もっとも、フィリアの方は視線を敏感に感じ取っていたが、それもまた言わぬが花だ。

 そうとは知らず、英雄は期待に答えて口を開いた。


「では這寄?」


「もう一声」


「フィーリりん!」


「行き過ぎた、バックしてくれ」


「オーライオーライ、初めまして這寄フィリアさん」


「戻りすぎだ、進んでくれ」


「這寄さ「――――フィリアと呼ぶがよい!」


 えへん、と大きな胸を張る彼女に、英雄は苦笑しながら頷く。


「オーケー、了解だよフィリアさん」


「フィリア、だ」


「はいはいフィリア、話はそれで終わりかい? なら晩ご飯つくりたいんだけど……」


「はいは一度にしろ。そして、まだだ英雄」


 満足気な彼女は、部屋の隅に畳まれた布団を指さして。


「問おう――――、布団は一つか?」


「ああ、こないだメントスコーラで遊んで駄目にしたからね、あれが予備でこの家にあるたった一つのマイ布団さ」


 二人の間で火花が散る。

 気づいてしまったのだ、布団は一つ、枕も一つ、ならば……、布団で寝ることが出来るのは一人。

 どちらか一人だけなのだと。


「これは確認だが……、客に寝床を提供しない家主は存在しないな?」


「ああ、確認だね。この寒空の中、家に入れて貰って布団を奪う客はいないって」


 見つめ合う二人、英雄としては、あ、まつげ長い、などという感想を持ったが。

 それはそれとして、甘さが混じらぬピリピリとした空気。


「単刀直入に言おう、寒いのは苦手だ。――布団を寄越せ。君の汗と臭いが染み着いているという点を我慢して、美少女である私が使ってやろうではないか。付加価値が付くぞ、感謝しろ」


「冗談キツいよフィリア? 布団は僕の友だ、友達を渡す男は居ない」


「はっ、布団が友など寂しい男だ。この布団次郎も私に使われて嬉しいと思っているに違いないさ」


「僕より先に名前を付けたな! 布団次郎にはレディ・フートンという名前を考えていたってのにっ!!」


「五点、赤点だ。ネーミングセンス最悪、やはり私に譲るといい」


「君なんか零点で落第だっ! 将来子供が出来ても名前を付けない方がいいねっ!」


 ふしゅー、がるがる、枕に手を延ばし抱きしめるフィリアに、掛け布団を体に巻く英雄。

 このままでは埒が開かない……訳ではない。

 考えるまでもなく、相手は不幸に会ったばかりの女の子だ。


「――……はぁ、まぁ今日ばかりはしょうがないさ」


「ふむ?」


「フィリアが布団を使いなよ、僕は夏用のタオルケットを使うさ、男の子の意地ってね」


 肩をすくめる英雄に、フィリアもまた告げた。 


「奇遇だな、私も似たような事を言おうとしていた。――――二人で使おう」


「ああ、そうだね。フィリアならそう言うと………………あれ? 今なんて言ったの?」


「二人で、使おう」


「使う、二人で?」


 美少女と。

 しかも胸は大きく、腰は細く、臀部は程良く、太股はむっちりと。

 おまけに、ほのかな甘い匂いもする。


「………………は? え? 一緒に、寝る?」


 良いのか、そんな幸運があって良いのだろうか?

 全世界の男子高校生の夢が、叶ってしまうのか?


(これってもしかして――いやいやいやっ!? フィリアはただ僕を信頼してくれているだけだって、ちょっと人寂しい気分なだけだって、断るべきさ、何だったら寝付いた後で布団から出て行けばいい――)


 悲しきかな、童貞故にフリーズした英雄に、フィリアはもう一つ付け加える。


「そうだ、後で洗って返すからジャージとか無いか? 寝間着が欲しい。何なら長袖のYシャツでも良い」


「わ、わいひゃつならありまふゅっ!!」


「ありがたい、ならば下着……、は流石に無理か。男一人暮らしの部屋に女性モノが在るわけないな」


 英雄は聞き逃さなかった、小声で「付けなくても良いか……」などと言った事を。


(なんだコイツっ!! 無防備過ぎるぞっ!! あれか? 僕の事好きなのかっ! そんな訳ないさっ! ちょっと夢見ただけさっ、でも男の子的に刺激強すぎるんですけど!!)


 それから先はあまり覚えていない。

 食事を一緒に作って、テレビを見て、ただ、湯上がりのしっとりとしたYシャツ姿だけは脳裏に焼き付いて。


「ふむ……、庶民の暮らしも中々どうして……、俗に言う同棲生活というのはこんな感じなのだろうか?」


「ふぇい! しょうなわけにゃあですはいっ!!」


「……大丈夫か? 先程から呂律が回ってないように思えるが――くんくん、くんくん」


「っ!?!?(顔近っ!! 僕のシャンプー使ってる筈なのに良い匂いって反則じゃない!! 胸元気をつけて、魅惑の谷間で、僕が滑落死しそうだよありがとう!!)」


「こっそり酒を飲んでいる訳でもなさそうだ。ああ、そうか。火事を目にしたんだ、気も動転しているだろう、そろそろ寝るか?」


(それこっちの台詞ーーーーっ!!)


 そして就寝。


(寝付き早っ!! 五秒で寝たぞコイツっ! ああもうっ! わざとやってるのかっ! 胸を押しつけるな足を絡ませるなっ!! 脱出っ、脱出ぅ!! …………無理ですねこれ)


 明日の朝には正気に戻り、ビンタの一つでもくらうかもしれないが。

 ともあれ、生殺しの幸福に包まれながら英雄はぐっすり寝た。


「…………五分で寝たか。寝付きの良い奴め」


 ところがどっこい、実は寝ていなかった者は一人。

 その人物は、英雄のほっぺたをつつき。


「ヘタレ、こっちは恥ずかしいのは苦手だというのに、まったく……」


 その表情は普段通りの仏頂面であったが、その頬はうっすらと赤く染まって。

 その声は普段より優しげで。


「ばーか」


 ぐーすかぴー、と寝ている英雄は残念ながら見ることも聞くことも出来ず。


「…………ふむ? これはもしかしてチャンスなのでは?」


 彼女は枕元のスマホを手に取ると、即座にカメラアプリを起動。

 その瞬間、連続撮影開始。

 しかも何故か、シャッター音は無くて。


「ふふっ、無防備に寝ているのが悪いのだ」


 上から下から横から斜めから、接写&接写。

 そんな事が十分あまり続いて、今度は犬のように臭いを嗅ぎまくり。


「――――ミッション、コンプリート」


 そして、今度こそ本当に起きている者はいなくなった。


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