ゆるすためです

賢者テラ

短編

 都市部からは少し離れた、閑静な住宅街の中にあるキリスト教会。

「ちょっとちょっと、牧師さん!」

 留守番のために教会につめていた主婦の信者・松尾孝子は、一本の電話を受けると大急ぎでこの教会の牧師、山田誠二のもとへ走ってきた。

 教会に多くの人が集まるのは、礼拝がある日曜日だ。

 平日の今日は、夕方4時から一時間の聖書研究会の予定があるだけで、昼間の今は人もおらず、教会はひっそりしている。

「ああ、何かあったのですか?」

 ちょっとしたことでも大騒ぎするのが好きな孝子の人柄を知っている山田牧師は、苦笑した。牧師は40過ぎであったが、そこそこのイケメンであった。

 結婚をしていないのが、まったくもって不思議である。

「そ、それがですね。若そうな男性の方から電話がありましてね、キリストの話を聴きたいんだけど行っていいか? って言うんですよ! どうしましょう?」



 別にこの教会に限ったことではないが、ここ最近では、若者のキリスト教の信者数は伸び悩み傾向にある。

 若い人の信者数が減少し、教会内でも高齢化現象が進んでいるのである。

 理由は幾つか考えられる。

 昔なら、若者はまだ人生について考えたり、真理とは何か、愛とは何かなど追及したりする中で教会の門を叩く者もいたのだが、今の世はそんなことを考えさせない程に刺激的なものに満ちている。

 テレビゲーム・ケータイ・アニメやマンガ。

 きらびやかな服やブランド物、異性とのデート、セックス——

 モノや誘惑にあふれたこの世界で、あえて神や清い愛を求めるなんて、彼らにはくだらないのである。日曜の半分を犠牲にして教会で過ごすなんてバカらしい、友人か彼氏(彼女)と街へ繰り出して遊ぶほうがよっぽど楽しい、というのが彼らの偽らざるホンネであろう。



 また、日本という国が抱える独特の文化・風俗的問題もある。

 もともとキリスト教文化圏である欧米とは違い、それを受け入れる文化・思想的土壌がない。神とかキリストという単語を聞くだけで拒否反応を起こす日本人は多い。

 また、怪しい新興宗教が乱立し、社会に問題を起こしているということも一役買っている。お陰で『宗教は胡散臭い』というイメージが浸透し、人々は必要以上に宗教に対して構えてしまう。真面目に細々と頑張っている普通のキリスト教会は、そのわりを食っているのである。

 例えていうなら、一部の学生が事件(不祥事)を起こしたために、その学校の生徒全体が悪いイメージで見られてしまう、というのに似ている。



 信者の主婦連中が、そういった話題で『本当に困ったものよねぇ』『いやな時代よねぇ』などと愚痴を言い合っていた時でさえも、山田牧師は優しい笑みを浮かべてこう諭すのだった。

「ハッツハッツ。どんな時代でも、神様の愛は変わりませんよ。表面的な社会の出来事に惑わされないで、私たちは一人でも多くの若者が救われるように、祈り続けましょう——」

 すると、お調子者の孝子は、その場の主婦達を仕切ってこう言い出した。

「んまぁっ。牧師先生ったら、ほんとに素晴らしいことをおっしゃる! では皆さぁん、さっそく今日の夜にでも、若者の救いを祈る特別祈祷集会をやりましょう!」

「ええっ!?」

 孝子は、何でも思いついたら即実行の人だった。

 結局、みな旦那と子どもに大急ぎでメシを食わせて、皿洗いもそこそこに教会堂に集い、賛美歌を歌ったり祈祷をしたりして、愛の冷えた迷える若者の救いのために心を合わせて祈ったのだった。



 そんな折であったから、若者のほうから教会に来たい、などという電話を受けて孝子は興奮した。あわよくば、若者の信者を獲得できるかもしれない。

「へっへっへ。若い男の子が来る~ イケメンかしら?」

 孝子の頭の中には、ジャニーズ系のタレントの顔が渦巻いた。

 ……ハッ いけないいけない!

「ああ~ 神様イエス様、悔い改めますっ。こんな罪深いワタシをおゆるしくださいませっ!」

 信者になる前はヨン様(ペ・ヨンジュン)を追っかけ、熱狂的なイケメン好きであった孝子は、必死で悔い改めのお祈りをした。

 ただ彼女の場合はあまり 『改まらない』 ので——

 悔い改めというよりは、ただの『悔い』であった。



 さて。

 例の若者は電話で昼の一時に来る、と言っていた。山田牧師は、これから彼を迎えるにあたり、主を信じて救われますようにと祈り始めた。

 孝子は、来た若者をもてなそうとお茶菓子の手配をし、平日のこの時間でも来れそうな信者に電話をかけ、新規の訪問者の歓迎会要員を募った。

「先生。何とか、5人集まりますっ。私今からちょっとお菓子買ってきますっ」

「ご苦労さん。いってらっしゃい」

 バタバタと駆け回る孝子に、山田牧師はねぎらいの言葉をかけた。


 ……本当に、これがよいきっかけになれば—— 



 約束の時間。

 教会の入り口の前で待ち構えていた牧師と孝子を含む5人の主婦たちは、信じられないものを見た。

 これは悪い夢ではなかろうか、と思った。

 実は、遠くからすでにその集団がこちらへ歩いてきているのは見えていたのだが、約束の人物に関係があるとは、はなから思っていなかった。

 主婦だけではなく牧師でさえも、その集団は無視してまだ来ないのか、と他へ目を走らせていた。誰もが、その集団は教会の前を通り過ぎると思った。

 しかし。

 おもむろに、教会の正面でターンし、ドヤドヤと門をくぐって入ってきた。

「おおっ、ここやここや。皆失礼のないようにな!」

 電話の若者と思われる男は、後ろからついて来ていた派手な恰好の十数名ほどの女の子たちに声をかけた。どう見ても、二十歳前後の若さだ。

「へぇ~ なかなかええとこやん。カワイイ教会やわぁ」

 迎えた一同は、しばらくはどう反応してよいか分からなかった。



「あ。オレ大阪のミナミで風俗店の店長をやっとるもんです。今日は急に押しかけてすんませんです。今後とも、よろしゅうたのんまっさー」

 どう見ても25歳程度にしか見えない男は、名刺を差し出してきた。



 イメージヘルス 『ホワイトエンジェル』

 店長  南 信吉



「んで、コイツラはオレの店で働く女の子たちですわ」

 ヨロピク~、と頭を下げた後にギャハハとバカ笑いをかます女の子たち。

 図らずもバカさ加減を露呈してしまっているが、風俗の面接を通るだけあって、見た目は容姿端麗だ。

 要するに、風俗店の店長とその風俗嬢たち。総勢18名。

 皆、茶髪。店長はアルマーニのスーツに真っ赤なネクタイ。

 女性たちは皆、一流ブランドで身を固めた垢抜けしすぎの恰好。

 教会の歴史の中で、こんな人種が関わったことは……ない。

 主婦たちは青ざめたが、山田牧師に迷いはなかった。

「さぁ、どうぞ。お入りください。大歓迎です」



 彼らに、宗教的な話を聞く素地、思想的土台は皆無だった。

 どうして、教会に来てみる気になったのかを、牧師は信吉に問うた。



「……いやね、ウチの店に来る子はね、みんなかわいそうなんっすよ。

 親がいなかったり貧乏だったり、ってのはまだマシなほうでね。

 中には親から犯罪の片棒担がされた子から虐待を受けていた子、近親相姦された子までいるんっす。

 オレは店長として、時々この子らの悩みとか心の内を聞いてあげるんですけどね、まずオレ自身が、そんなにできた偉い人間でもない。人生経験だって、女の子たちとそれほど変わらない。

 だからアドバイスするにも慰めるのにもオレなんかじゃダメだ、と思ってね。

 なら教会の牧師さんなら、この子らの必要に答えてあげれるんじゃないか、って思ったんですよ」



 色とりどりの派手な服と茶色い頭の人間が礼拝堂にズラリと並ぶのは、まことに壮観であった。

 女の子たちも、口々に言った。

「そうそう。同じ行くのでもさぁ、お寺とかって何か雰囲気的にさぁ……違うなぁってカンジなのよね。そこへいくとさ、キリストさんって西洋の神様じゃん? ホトケさんより垢抜けてる、ってカンジ? 私的にはぁ、何かそっちのほうがしっくり来るのよね~」

「だよね! 十字架のペンダントとかつけてひざまずいたりとか、かっこいくね?」

「同感~♪」

 女の子たちはギャハハと笑いながら、手を叩いてウケている。



 ……この子ら、ゼンゼン分かってへん!



 孝子は一瞬そう思ってイラッとしたが、自分が初めて来た時も似たようなものであったと思い出した。当時はイエス様よりもあきらかにペ・ヨンジュンとチャン・ドンゴンと嵐の二宮君を愛していた。



 牧師は、キリスト教について簡単な説教を皆の前で行った。

 シズカが手を挙げて、牧師に質問する。

「キリストさんは何も悪いことせえへんかったのに、死刑にされたん?」

「……そう。ただ、人々に神様の救いを説いただけなのに、当時の権力者はイエス様の人気を恐れた。そして当時の宗教指導者たちは、イエス様が今までの既成の教えや価値観を覆すような大胆なことを言うので、教えそのものの価値を見ようともしないで、目の上のたんこぶとして煙たがったんだな」

 ムチャクチャや、と風俗嬢たちは口々に憤慨した。

「今も昔も、人のすることは変わりあれへんな」

 イエスが処女のマリヤから生まれた、というところでは皆がエーッとか嘘やろ~とか声を上げた。

「エッチなしでど~やったら赤ちゃんできるん?」

 集まった5人の主婦たちは、こめかみのあたりをピクピクと引きつらせたが——

 主に祈ることで、最大限の笑顔を何とか浮かべていた。



 右の頬を打たれたら、左も出せ。

 下着を求める者には、さらに上着をも与えよ。

 求める者には与え、借りようとする物を断るな。



 レイが茶化して言った。

「左の頬を打ったら、次は右。そしてまた左・右! こうして愛の往復ビンタは永遠に続いたのであった~! メデタシメデタシぃ~」

 ギャハハハとアミが引き継ぐ。

「それじゃあさ、キスをねだられたらオッパイも差し出せってことかなぁ。60分コースのお客様には、サービスして90分コースにしてあげちゃえ! ってことかなぁ?」

 店長の信吉が思わず言った。

「おいおい。それじゃあ商売あがったりだぁ! 勘弁してくれぇ」



 ……こっ、この子らはぁ! やっぱり何にも分かっとらん!



 突飛な解釈に、孝子は卒倒しそうになった。

 まるで、ハイジのいたずらを発見したロッテンマイアさんのようだ。



 でも、そんな風にしておバカぶりを発揮していた彼女たちも——

 この話のくだりでは、しんみりと聞いていた。



 ……ある日のこと。イエスがいつものように群衆に説教していると、当時の宗教指導者たちが、売春の現場を取り押さえられた女を引っ張ってきて言った。

「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。ユダヤの教えではこういう女は石で打ち殺せということになっていますが、どうしましょうか?」

 当時のユダヤの慣習では、売春した者は石打ちの刑で殺すことになっていた。

 イエスは黙っていたが、彼らが執拗に聞き続けるので、こう言った。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」

 これを聞くと、女を連れてきた者たちは年寄りから始めてひとりびとり去っていき、最後にはイエスとその女だけになった。

「女よ、みんなはどこにいるのか。あなたを罰する者はいなかったのか」

 女は言った。

「主よ、誰もございません」

 イエスは言われた。

「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」



 その後、ささやかな歓迎会が催された。

 教会側はお茶菓子を用意していたが、信吉が洋菓子店で大量のケーキを買い込んできており、『これみんなで食べましょう』と言って渡してくれたものだから、逆に教会員たちがご馳走されるような格好になった。

 真面目で素朴で善良、という雰囲気の者しか門をくぐらなかったこの教会に、新しい風が吹いた。

 確かに信吉も女たちも、信者の感覚からすれば体で金を稼ぐけしからん連中ではあったが、彼らとて救われるべき尊い命なのである。

 初めは『何かの冗談でしょ?』と思っていた主婦信者たちも、心から皆の魂の救いを願った。

「これ、つまらないものですけど教会の男性の方にお配りください」

 信吉はそう言って、孝子に紙の束を渡してきた。



●特別優待割引券


 60分夜這いコース2000円引き

 オプション一点 (パンスト・コスプレ・バイブ) 無料!



「オーマイガアアアアアッド!!」

 孝子はロケットのようにぶっ飛びかけた。



 ……こっ、この人らいちから徹底的に教えたらなあかん!



 彼女は、どんなに時間がかかっても皆を立派なクリスチャンに教育するぞ、と決意を新たにするのであった。

 


 それからというもの。

 信吉と風俗嬢たちは、教会に通うようになった。

 後日、彼らを初めて見た信者たちは、度肝を抜かれた。

 でも、山田牧師の導きがよいのか、もともとの信者たちは大きな偏見も持たずに、信吉たちと接した。

 中には、涙を流す女の子もいた。

「今までな、ワタシのことかわいいからとかな、体目的とかで親切にしてくれる人たちばっかりやったんよ。だからウチ、そういうこと何も関係なくても親切にしてくれることがマジうれしい。外側とちゃう、ホンマのワタシを見てくれてるっていうんかな。なんやうまく説明でけへんけど、とにかくウレシイんよ」



 とうとう、信吉と彼の抱える風俗嬢18名は、洗礼を受けた。

 初の来訪から三ヶ月。これで皆名実共にクリスチャンになったのだ。

 信じられない奇跡であった。

「我が子の結婚式みたいなもんや」

 この時一番泣いたのは、孝子だった。

「おばちゃん、ありがとうなぁ」

 自分の娘と同じ年頃の女性に抱きつかれた孝子は、感激のあまり怒ることも忘れた。いつもなら、オバチャンと言われただけでカチーンときて、『まだオバチャンとちゃうわ!』と激怒するのに。



 信吉は、風俗店をたたんだ。

 自動的に、女の子たちも風俗嬢をやめた形となった。すべて、彼らが聖書に基づくイエスの教えを受け入れた上での、納得してのことである。

 山田牧師は、彼らと一緒に必死に職探しをした。

 女の子たちの半数ちかくは、新しい仕事を見つけることができた。職探しがうまくいかない残りの者を教会の管理や掃除、行事などに奉仕する者とし、高額は出せないながらも給料を払って雇うこととした。もちろん、稼げる女の子が収入のある程度を教会に収めることで、教会で働く子たちの給料を捻出した。



 元風俗店の若者たちはみんな、教会に来てずいぶん成長した。

 中でも、店長だった信吉の変身ぶりは驚きであった。

 彼は聖書に深い興味を持ち、熱心に読むようになっていた。

「もっと勉強したいですわ。もしできることなら、将来は牧師になりたいなぁ。山田センセ、僕みたいな罪深い人間でもなれますやろか?」

 聞かれた山田牧師は、笑みを浮かべながらこう答えるのだった。

「もちろんですとも。きっとあなたは、素晴らしい牧師になれますよ——」



 風俗をやめた女の子の生活を支えるために、他の教会員たちも協力した。

 食材を持ち寄って、皆で炊事して皆でご飯を食べた。

 支えあう共同生活を通して、貧しくはあったがみな生き生きと一日一日を生きた。

 讃美歌を歌い、聖書を読み、教会学校に来る子どもたちを教え——

 偽りで刹那的な愛しか知らなかった女の子たちは、ここに真実の愛の家族を見た。

 信吉は牧師になるべく、「聖書学院」と呼ばれる学校に通うこととなった。

 そして、教会での生活の中で彼が抱えていた風俗嬢の一人・シズカとの間に、本物の愛情が芽生えた。

 二人は、山田牧師に相談した。

 その結果、近く式を挙げて夫婦となってこの教会を支えるスタッフとなってほしい、との言葉を山田牧師からもらった二人は、正式に婚約をした。



 しかし。

 幸せなことばかりは続かなかった。

 孝子がスーパーで買い物をしてから教会へ戻ってみると——

「きゃああああああああ!」

 礼拝堂に血まみれで倒れていたのは、シズカだった。

 着衣は乱れ、明らかに性的暴行を受けていた。

 でも、それだけではなかった。

 シズカの右手の人差し指が、切断されて持ち去られていた。



 シズカは救急車で病院に担ぎ込まれた。

 切断された指が持ち去られているため、くっつけるどころの話ではない。あきらめるしかなかった。そして体の傷よりも深かったのは、彼女の心の傷である。

 風俗嬢という、見知らぬ男に抱かれることに普通より抵抗感の薄い人種ではあったシズカだったが、洗礼を受けてキリストを信じてからは生まれ変わったような生活をし、神様からいただいた己の体を大事に保っていた。そこへもってきての、この残酷な陵辱。

 シズカは情緒安定になり、普通の生活も送れなくなり——

 ついに精神病院に入院した。

 数ヶ月して、シズカが妊娠していることが判明した。

 父親は明らかである。信吉とは、愛し合っているとはいえ節度をわきまえた清い交際をしていたから……あの、卑劣な陵辱犯の子種だ。

 誰よりもこの事態に怒ったのは、シズカの婚約者の信吉だった。



 一本の電話が、教会にかかってきた。

 たまたま電話に出た信吉は、すべての真相を知った。

 彼は、意を決したように一通の手紙をしたためた。

 それを山田牧師の机に置いた彼は、二度と教会に戻らぬ覚悟を決めて、外に出た。

 去り際に、何度も何度も思い出の教会の建物を振り返った。

 胸には、刃物を忍ばせて……



 敬愛する山田牧師先生へ



 いきなりですみませんが、僕は信者をやめます。

 ほんまは、やめたくないんです。

 でも、今からしようとしていることを実行するには、キリスト信者であったらできないことなんです。

 イエス様は、言いました。

 敵を愛し、迫害する者のために祈れ、と。



 言うてることは、分かります。

 すごい愛やと思います。

 でも、やっぱり僕には納得でけへんのです。

 犯人が、憎いです。

 僕は、シズカをあんな目に遭わせたヤツが誰か、分かりました。

 ヤクザです。

 僕が甘かったんです。風俗店をたためばすむだけの話やと思ってたんですけど……

 まさか店出す時にヤクザとのしがらみがあったなんて、オレちっとも知らんかったんです。

 さっき電話がありました。シズカを犯したんは、大阪ミナミ一帯で幅を利かせている暴力団事務所の若頭わかがしらで勝又、っていうヤクザもんらしい。

 入ってくるべき収入源が減ったもんやからって、怒ってるんですわ。

 僕も、浅はかでした。

 風俗営業なんかに手を出す前に、キリストのこと知っていればよかったです。神様も、酷な方ですわ。

 勝又は、シズカにひどいことしたんは見せしめや、ゆうてましたわ。

 僕にも、顔出しに出て来いと言うてきました。

 おとしまえつけさせる、ちゅうことやろう思います。



 僕、今から行ってきます。

 勝又の顔見たら、多分僕は我慢ができないでしょう。

 殺してしまうでしょう。

 でも、多分ムリですね。向こうは、戦力的に大勢ですし。こっちが向こうをやる前に、僕がやられるでしょう。

 警察との癒着もあるから、多分通報しても本腰入れてくれへんやろ思います。



 他の女の子たちにもしもの事があったらいけませんし。

 犠牲なるのは僕だけで止めたいと思い、今回の決断に至りました。

 牧師になりたかったけど、すみません。

 それでは、さようなら。

 本当にお世話になりました。



【追伸】



 最後には敵をゆるせませんで、できることなら相手殺したいなんて信者失格な気持ちになって、すんません。どうかみなさんは僕みたいにならないで、どんな人でも愛せる人になってください。

 孝子さんを初め、信者の皆さんによろしく。



 南 信吉


 


「おらあああああああ」

 暴力団事務所の、一室。

 ばか正直に指定の場所に現れた信吉は、待ち構えた組員たちによって覆面のワゴン車に押し込まれ、ちょっとやそっと叫んだだけでは音の漏れない、特別な部屋に連れ込まれた。

 そして、殴る蹴るの暴行を受けた。

 初め、信吉はチャンスをうかがって胸に忍ばせた刃物で勝又を狙う気でいた。

 しかし、いざ囚われの身となってみると、不思議な事にその気持ちは失せた。

 沢山の組員が見つめる中、若頭の勝又は遠慮のない暴行を信吉に加えてきた。

「ったく、勝手に店しまいやがって。てめぇのしでかしてくれたことのせいでな、どんだけの損害を組長はんがこうむりなさったと思うとんじゃ、おお?」

 勝又の振り上げた革靴のつま先が、信吉のみぞおちにめり込む。

「グハァッ」

 思わず、胃の中の物を吐く信吉。

「……汚ねぇじゃねぇか。後で掃除しろよなっ」

 右の頬を殴りつけられ、壁まで吹き飛ぶ信吉。

「聞いた話じゃ、お前キリストの信者になったんやて? めっちゃおもろいわ。お前にカミサマがついてるんやったら、何でお前は今負けてるのや。

 救ってもらえよ。死にそうになっているのを救ってももらえん神様を信じとるなんて、アホクサくないか? それにしても、お前のオンナのシズカ、とか言ったっけ?あれ上玉やな。オッパイもアソコも最高やったでぇ~」



「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」

 皆、十字架につけられたイエスをののしって言った。

「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王、キリスト、今十字架から降りてみるがよい。それを見たら信じてやろう」

 イエスは苦しみの絶頂の中でこう言った。

「父(神)よ、彼らをおゆるしください。彼らは、何をしているのか分からずにいるのです」



 信吉は、山田牧師の説教を思い出した。

 イエスの十字架の場面を思い出した。



 ……そや。

 イエス様は、助かろうと思えば助かる事ができた。

 奇跡をいくつも起こさはる、力のあるお人やったからな。

 なのになぜ、甘んじて処刑を受けて、死なれたのか?

 それは、人々を愛するため。

 ゆるすため。

 救うため。

 人類の罪を背負って、代わりに償うため。

 イエスを信じるすべての人に救いをもたらすために、自分自身を犠牲の供え物として捧げられたんや——。



 口元の血をぬぐった信吉は、立ち上がって勝又の目を見た。

「お前、オレに勝ったと思うてるやろ」

 信吉は、ニヤリと笑った。

 そのどこからくるか分からない何かの確信に裏づけされた不敵な笑いは、圧倒的有利の立場にあるはずの勝又を十分に狼狽させた。

「あ、当たり前やんけ。今のお前のどこに、勝ち目がある?」

 勝又は、15人あまりの部下を指し示した。

 一対多。まさにケンカでは勝ち目なし——。

「……そういうことやないんやなぁ」

 何を思ったか、信吉は床にひざまずいた。

「お前、かわいそうなやつやなぁ」

 負け惜しみではなく、本当に憐れむような目で勝又を見つめた。

 気味の悪くなった勝又は、信吉の頬を平手で打った。

 信吉は、まったく抵抗しない。

「ほんまもんの愛、ちゅうのがどれほど素晴らしいもんか、できることならお前に教えてあげたいわ——」

 今まで勝又は、組の若頭として幾多の命のやり取りをし、修羅場も潜り抜けてきた。しかし、圧倒的優位に立っている負けっこない相手に対し、これほど怖いと思ったことはなかった。

「オレ、お前のことゆるすで。シズカのこともな、シズカにはすまんけど、もうええわ。あとのことはイエス様にゆだねますさかい——」



「うわああああああああああああああああああ」



 力で対抗されるよりはるかに恐ろしく、気味が悪かった。

 神経が耐えられなくなった勝又は、ついに包丁を深々と信吉の心臓につきたてた。

 ズブズブと刃がめり込む感触。そして死を悟った信吉のうめき。



 勝又は、信吉の目を見た。

 怒りも恨みも嘆きも悲しみも、ない。

 ゲホッと血反吐を吐いた信吉の最後の言葉——



「神様。勝又をゆるしたってください。

 こいつは、世界で一番大事なもんが何か分かってえへん、かわいそうなヤツなんです。分かっとったら、こんなことせえへんかったはずです。

 あと、牧師先生と教会の皆によろしゅう——」



 信吉は、息絶えて死んだ。

 その同じ頃。信吉の書置きを発見した山田牧師と孝子たちによって——

 彼が無事戻りますようにと、教会で熱烈な祈りが捧げられていた。





 35年後。

 山田牧師も、孝子も世を去った。

 あの小さな教会内でも、世代交代が起きつつあった。

 信吉や風俗嬢たちが教会に来た頃の中心的信者のほとんどが、老齢になるか亡くなるかしていた。

 今、中心となって教会を運営しているのは当時の元風俗嬢たちと、彼女らが結婚して生まれた二世たち。

 教会の近くにある信吉の墓に花を供えて祈っている、一人の若い男性がいた。

 そして彼の背後に、近づくひとつの影があった。

 影の主は、腰の曲がった男性の老人であった。

「すまんが、あんたは南信吉さんにゆかりのあるお方かな?」

 老人は、若者にそう聞いた。

「はい。私は、信吉さんがいた教会の牧師をしておりますが——」 



 ある喫茶店。

 テーブルで向かい合う老人と若者の姿があった。

 老人は、若者が教会の牧師と知って驚くべき告白をした。 



 わしはな、三十年あまり前に、信吉さんを刺し殺した勝又というもんです。

 信吉さんを刺してから、ずっと考えてきたんです。

 最後に、『お前をゆるす』といった一言の意味をです。

 刑務所に15年入っとりました。

 出所した後も、ずっと彼が残した言葉が頭から離れんかったとです。

 なんで、あんなことが言えたんやろ、世界で一番大事なことって何やろ、って。



 今になって、結論を出しました。

 やっぱり、答えを知るには信吉が信じてたキリスト教ってもんが何なのか、勉強してみることか信じてみるしか方法はない、と思いましてな。

 わしは、犬畜生にも劣るような行為をたくさんしてきた男です。

 今さら救われようなんてムシが良すぎるかもしれません。ですが——

 こんなわしみたいな心の汚い人間でも救われるもんなら、信じてみたいんです。



 それまで黙って話を聞いていた若者に、変化が起こった。

 彼は目を涙で潤ませて、勝又老人を見ていた。

 そして、驚くべき一言を言った。

「……父さん」



 そうなのだ。

 勝又に強姦されたシズカは、一時は精神的に病んだものの、子どもを堕胎することに関してだけは、決して首を縦に振らなかった。

「イエス様は敵を愛せよと言われた。そして何より、この新しい命には罪がないじゃないの。私たちクリスチャンがイエス様の教えを実行しないでどうするのよ!」

 孝子たちが、逆にシズカに説教される有様であった。

 そしてシズカは出産し、子どもを大切に育てた。

 やがてその子は聖書の教えを熱心に学び、牧師として山田牧師亡きあとを引き継ぐほどの器に成長したのだ。

 つまり、この若者は勝又の実の息子だったのだ。



 残念ながらもうシズカは亡くなっているため、悪の動機によって結ばれた男女がキリストによって再び清く結び直される、というドラマまでは生まなかった。

 しかし。時を越えて出会いを果たした父と子は……

 すべての尊い命のために、今日も祈るのだった。

 


●人がその友のために命を捨てること

 これよりも大きな愛はない



 ヨハネによる福音書 15章13節

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆるすためです 賢者テラ @eyeofgod

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ