十通目 『美樹』さんからのお便り

 学校帰りに寄った、夕暮れの森。私の前にある大きな樹の根元に、小さな扉がありました。私が幼稚園児だったら、立ったままでも楽に通れたかもしれない、木彫りの扉。

 四つん這いでくぐろうとしても、高校生になった身体カラダでは頭も入りそうにありませんでした。取っ手もおもちゃみたいで、少しでも力を込めたら取れてしまいそうでした。

 扉がいつからこの森にあるのか、知っている人はほとんどいないでしょう。私が物心ついてから来た時には、この樹ももう立派に生えていましたから。

 昔、友達と遊んでいた時は、みんなこの扉が見えないと言っていました。母に連れられてきた日も、扉なんてどこにもないでしょ、と苦笑されたんです。

 私は、しゃがんで扉を見つめました。

 昔も、この扉を開けてみたいとは思っていました。でも、なぜか手を伸ばせませんでした。開けてはいけない、と言われているような気がして。ただの扉がしゃべるはずなんてないのに。

 今なら、開けられるだろうか。ノックをしたら、中から誰かが返事をくれるのだろうか。

 ゆっくりと片手を伸ばし、軽く叩いてみました。


 こんこん。


 ノックが返ってこなくて、声も聞こえませんでした。

 じゃあ、もう少し強めにしてみよう。

 今度は、バシバシとぶつようにしました。それでも無反応。指が痛くなっただけでした。

 なら、体当たりだ。

 しゃがんだまま姿勢を横向きにして、ヒジを突き出しました。


 どんっ。


 女子高生の体当たりなんて、大した威力はないでしょうけど。肘がじんじんと痛みました。

 ――やっぱり、なにもいないかな。

 あきらめかけて、ため息をこぼした時でした。

 どこからか、声が聞こえてきたんです。


〈綺麗ニナッタネ〉


 男とも女とも、幼児とも若者とも老人ともつかない、不思議な声でした。

 ぞくり、と背筋をなにかが駆け抜けました。恐怖なのか興奮なのか、自分でもわかりませんでしたが。

 この扉の向こうには、ちゃんとが住んでいるんだ。

 声をもっと聴きたくて、私は扉に向き直りました。

〈君ハ昔カラズット僕ヲ見テイタネ。本当ニ綺麗ニナッタ〉

「待ってたの? 私を、ずっと」

〈君ハ初メテ見タトキカラ美シカッタ。僕ヲ求メテクレルノヲ望ンデイタ〉


 あなたは誰なの?

 そう訊きたかったのに、なぜか声が出てきませんでした。


嗚呼アア、本当ニ嬉シイヨ。コレデ、ヤット、〉


 バンッ!


 扉が勢いよく開いて、樹の根のような太いものが何本も私に絡みつきました。

 息ができない、苦しい。

 そうなってやっと、私は理解しました。

 扉のかたちをしたものが、いや、この樹が――何を欲しがっていたのかを。


〈ヤット、君ヲ食ベラレル〉


 さっきまでうるさく鳴いていたカラスたちが、一斉に飛び去っていく羽音だけが、かすかに聞こえました。

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