第32話 真相

「『神様の場所』ってのは、最初からそう決められてたんじゃないんだろうな。おそらく、今から随分昔にこの場所に大雨が降って、川が氾濫し、沢山の人たちが亡くなった。その悲劇を繰り返さないように、『神様の場所』なんて御大層な名前を付けて、ここに住む人たちに用心するよう言い伝えたんだ。結局流されてしまったけどな」

 アーネストが眠たげな目をしながらそう言った。深夜まで何かの作業をしていたようだ。元々二重になっている彼の瞼は、もう1本線が増えて三重になっている。

「ってことは、『神様の場所』なんて迷信だったってことかよ」

「一概に迷信だとは言い切れないんじゃないか? 元々あの神様は、この場所に住む人々を守る守り神と言われていたらしい。その神様の存在が、あの『雨が降ったら危険になる場所』から人々を遠ざける役割を果たしていたとしたら、神様は人々を守っていたことになると思う」

 珍しくアーネストが「大学教授」の顔をしていた。周も何だかんだ尊敬はしているようで、なるほど……と頷いていた。和葉は話の半分くらいしか理解ができなかったが、この土地の人々が信じていたものが嘘ではないことが何故だか嬉しかった。


 葬式の後、アーネスト、周、和葉、常代、賢の5人は、水浸しになった家へ片づけに行った。家主は全員死亡が確認されている。少し前の自分なら嫌がったかもしれないが、だんだん適応力がついてきたのかもしれない、と和葉は自分自身に対して内心驚いた。

 周と和葉と常代が片づけていたのは、本が大量にある古い家だった。この家だけは随分昔に家主が他所に引っ越していたため、空き家になっていた家だった。古いにも関わらず川に流されていなかったのは、強固な造りになっていたからだろう。

 ただし、川が引いた後も、家の中は相変わらず悪臭を放っていた。

「くっせえなあ……何の匂いだよこれ……。つーかこんなに立派な家なのに空き家だったんだな」

「鍵がかかってたもんだから、近所の人は定期的に帰ってきてると思ってたらしいわよ。東部地区は別荘地としても有名だから、長期休みに入ったら帰ってくるだろうと……。実際は長らく留守にしていたようね」

「留守で良かったですね。もし大雨の時この家に居たら……」

 和葉は言いながら鳥肌が立った。


 大量の本がある以外は、全体的に見て物が少ない家だ。長年空き家になっていたからか、生活感がない。唯一、机の上に飾られている美しい女性と赤子の写真だけが、この家に人間が住んでいたことを生々しく伝えている。

「あらまあ、せっかくたくさん本があるのに、全部濡れちゃってるわねえ……。こんなにたくさん本があるってことは、結構なお金持ちだったのね」

「本ってそんなに高いんですか? 常代さん家にもありましたよね?」

「昔は高かったんだ。紙が貴重でな。本が手軽に買えるようになったのは、戦争が終わってからだな」

「そうね! 私たちの家にある本は、基本的に最近買ったものよ。……あら、この本はガラスに入れてある! よっぽど大事な本だったのね」

 常代が抱え上げた色とりどりのガラスケースには、えんじ色の古い本が入っていた。ガラスが水をはじいて、本はやや湿ってはいるものの無事だった。


 そして表紙には「ヘレンの書」と書いてある。

「あった! これだ! 本物だよな? 夢じゃないよな? なんだよ、『神様の場所』にあったのかよ! 先生呼んでくる!」

 周は慌ただしく家を飛び出していった。和葉はなかなか実感がわかず、「まだ片づけ終わってませんよ!」と彼の後ろ姿に向けて叫んだ。

「本当にこんなことってあるのね! すごい、胸がドキドキしてる……。ここにあったってことは、この家は学者さんの家かしら? 本もたくさんあるし……」

 常代が頬を紅潮させて、興奮気味に言った。和葉はそっとガラスケースの蓋を外し、「ヘレンの書」に顔を近づけた。古い本がもつ独特な匂いが鼻をくすぐる。こんなあっさりと見つかるものなのかと、初めてこの国へ来た時よりも鼓動が早くなった。

 周がアーネストと賢を連れて戻ってきた。アーネストも普段は眠たげな眼を見開き、息を切らしている。

 アーネストは少し手袋をはめようかと逡巡したが、焦って指がなかなか入らず「まあいいか」と素手で本をめくった。余裕のない様子で、手がわずかに震えている。これから、長期間彼が研究してきたことの「答え合わせ」が始まる。



 前編で述べた謎の病の原因は「罪悪感」であると考えられる。他人と比べ、他人よりも自分が幸せでいいのかという罪悪感。自分に自信がなくなって、自分がこの世で生きていていいのかという罪悪感。どれも生きていれば、いつか一度は遭遇するであろう感情である。普通はそこから別の物事に思考が移るものだが、中には罪悪感に囚われ続ける者もいる。そしてこの国の人々は、そういう傾向にあるらしい。だから、この国にはこの病気の患者が多い。今思えば私の妻、ヘレンも罪悪感に苦しんでいた。出産が原因の死ではあるが、死ぬ直前までこの病気に苦しんでいた。

 私は彼女を救うことができなかった。だからせめて、この病気を解明してみせようと考えたのである。

 原因が解明された後は治療法だ。この病気の人々の中には、少なからず治ったと思われる者も存在する。彼らの共通点を調査した結果、私が導き出した結論は「患者本人が涙を流すことが重要」ということである。なぜ涙を流すとこの病気が治るのか、その理由はまだ分からない。理由を解明する前に、私はこの世を去るだろう。最近、体がだるくて心臓の動きがおかしい。

 実家に置いていった息子のアーニーには、悪いことをした。しかしこの研究結果が、多くの人の心と体を癒してくれることを、そしてこれからもこの研究を続ける者がいることを願っている。


親愛なる妻、ヘレンと息子、アーネストに捧げる


 これらの文章は1章分にも満たない。他の章の文は論文とも、医学書ともつかぬ、ただ亡き妻へ宛てた手紙のようなものだった。「ヘレンの書 前編」では論文のように書かれていたが、後編は著者の感情が多く含まれていた。「親愛なる~」が書かれている位置も、この国の普通の論文や小説とは異なっているようだ。

 本は主にアーネストが持ち、周と和葉は左右から覗きこんでいた。本を持つ手が震えている。アーネストは声も上げずに泣いていた。誰かの息をのむ音が聞こえる。

「親父、ここにも来ていたのか。死に場所くらい教えてくれたっていいだろ」

 はらりと額に落ちた前髪をかき上げたときには、目元は赤いままいつもの彼の顔に戻っていた。


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