第11話 鍵・2
「遅いよ、君たち」
唐突に頭上から降ってきた言葉にポルトたちは身をすくめた。顔を上げれば、樹上に組み上げられた丸太の上に寝そべってダランと首を垂らしている男がいる。
「ブラド…さん…?」
逆さまになった髪の毛が見知った髪型と違うこともそうだが、特徴的だったヒゲモジャがすっきりなくなっているため、一瞬誰だかわからなかった。しかし、声が彼のものであるし、こんなところにいるのは彼以外には考えられない。
「ここで待っていればきっと来るだろうと思って待ってたけどさあ、あんまり遅いからそろそろ諦めようかと思ってたんだよ」
身軽にヒョイっと飛び降りてきたブラドはいたずらっ子のような顔でヒヒッと笑った。
「久しぶりに町に行ったからな、さっぱりしただろう?」
無精髭が少し生え始めた顎を撫でブラドは自慢げに言う。髪もずいぶん短くなり、以前よりも少し若く見える。
いや、そんなことよりも、だ。
なぜブラドがここにいるのかが重要である。
なぜ人間の姿のままでここにいるのか。
ブラドはラバスの地竜の体になっているのだとそう思い込んでいた。が、事実はそうではなかった。
それではラバスの体は一体どこへ行ってしまったのだろう。ブラドがどこか別の場所に隠したのだろうか。それにしては引きずった跡など残ってはいなかったし、そもそもいくらブラドの身体能力が高いとはいえ人一人の力で地竜の巨体を動かすことなど不可能なのではないだろうか。
「やあやあ、驚かせてしまったかな。きっとお互い聞きたいことが山ほどあるよね。だけどとりあえずは再会を祝してゆっくりしないか?そう急ぐ旅でもあるまい?」
ブラドは親しげにポルトとラバスの肩を叩き、木の上に上がるよう促した。
ブラドはポルトたちを待つ間の数日、食料などを色々溜め込んでいたらしい。保存食を作ってみたり、縄を編んでみたりと、要するに暇を持て余していたようだ。
「まずは宴といこうじゃないか。食い物はたくさんある。町で酒も手に入れたが、子供は飲まないんだっけか」
退屈な日々からやっと解放されたとばかりに、ブラドはテンション高くポルトたちをもてなした。前回はポルトたちの住処にブラドがお邪魔するといった立ち位置であったが、今度は逆である。もともとこの寝床はブラドが作ったものなのだから、本来これが正しい関係性である。
「ありがとうございます」
ポルトたちはおとなしく彼のおもてなしを受けることにする。ブラドが言う通り、聞きたいことは山ほどあるのだ。
ブラドは小さな木の器に酒を注ぐと、乾杯と言って器を持ち上げた。
「二人とも若いんだから肉を食いなさい。ほれ、遠慮せず」
驚くことにブラドは料理の嗜みもあるようだ。ただ焼いただけではないちゃんとした肉料理が目の前に並んでいる。煮込んであったりソースがかかっていたり、燻製されたものもある。暇を持て余していたとはいえ、とても野外で作られたものとは思えないクオリティーだ。凝り性なのかもしれない。
ブラドはどこからどう見てもちゃんとした人間の大人だった。ラバスから聞いていなければきっと人間ではないなんて思いもしないし、今でもひょっとしてラバスの感覚が間違いだったのではないかと心の中で少し疑っているぐらいだ。それぐらい人間の生活に精通している。ずいぶん人の暮らしを研究したのだろう。
「まずはもう一度自己紹介から始めようか。あの時とはいろいろと違っているようだからね」
ブラドは手始めにそう口火を切った。
そうだ、あの時はまだ人間だと思っていた。ブラドのことも、
「俺はブラド。もう気付いただろうが元地竜だ。この
今度は本当の情報を交換しようじゃないかとまずはブラドが自らの秘密を暴露した。
あの時とは違い、ポルトが全てを理解していると、状況から読んだのだろう。たとえポルトがラバスの秘密や地竜の何たるかを知らなかったとしても、二人の仲などブラドには関係ない話だし、こんな弱そうなひよっこに自分の秘密がバレたところで何の害にもならないという判断もあるのだろう。地竜とはそういう非情な生き物なのだとラバスはよく言う。
何にせよ、向こうが全てを晒してきたのだからこちらも答えないわけにはいかない。そうしなければ望む答えは得られないことぐらい、世間知らずのポルトにだってわかる。
「僕はポルト。僕には何の秘密もないよ。今も昔もただの人間」
「だろうね」
そんなことはわかり切っていたのだろう、ブラドは薄く笑った。それはそうだろう。本題はここからだ。ポルトはラバスに視線をやる。小さく頷いて次はラバスが口を開いた。
「俺はラバス。地竜だ。ポルトの友、レダの体に入っている」
「なるほど…」
ブラドは自分の顎をさすり、酒をひとくち口に含んだ。
「あの時はこいつを本物のレダだと思っていたわけだな?」
「そうだね。まあその後すぐにわかっちゃったんだけど」
「あの時聞いた状況からして、中身が入れ替わったのはすぐ直前、レダが怪我で昏睡状態だった時なんだろうなという予想はついていたんだけどな、一つ疑問がある。入れ替わりすぐで、友達のポルトに気付かれないレベルで擬態できたのはなぜだ?もしかして入れ替わりは初めてではないのか?」
酒に口を付けつつ、ちらりと上目遣いにラバスを見たブラドの目には少しばかりの期待がにじんでいるように見えた。彼もまた、元に戻る方法を探しているのだ。ラバスが何かを知っているかもしれないとそう思っているのだろう。
ブラド自身はきっと人間の体になって初めて、生きるために人間の文化を身につけようと考えたのだろう。10年かけて徐々に人間らしくなっていったのかもしれない。ラバスのように初めから人間を知っていたわけではないのだ。ラバスが自分は特殊な地竜であったと語るように、それは普通では考えられないことなのだろう。人間に興味を持ちながら暮らす地竜などラバス以外にはいない。
「残念ながら、これが初めてだ。俺はこの体になる前から人間のことに詳しかったし、レダのことも知っていた。ただそれだけのことだ」
「…それは、想定外だったなあ」
ブラドはじっと黙り込み、ラバスの言葉の意味を考えているようだった。きっと状況を読んでいろんなパターンをシミュレーションしていたに違いない。しかしその中にはどこにもそのような選択肢は存在しなかっただろう。謎は一つ解けたのだが、さらに謎が深まったというところだろうか。
「ブラドは元の体に戻りたいのか?」
「そりゃあそうさ。だけど元の体はもう天竜に食われちまってる。だから半分諦めてたんだがな」
体が存在しなければどうしようもない。地竜というのは、人間のようにその中身を食って追い出せるものではないらしい。自分が抜け出た体に戻るしか方法はなく、その体を失ってしまえばもう戻る先はないのだ。ずっとそう思ってきたけれどそんな時、他人ではあるが地竜の体が中身もなく転がっていたとしたら、ひょっとしたらという希望が頭を擡げるだろう。あの体に入ることができたのなら、地竜に戻ることができるのだと。
「他人の体であっても地竜に戻りたいのか?」
「もちろんだよ。お前さんは違うのか?」
こんなに人間らしく馴染んでいるというのに、それでもやはり地竜でありたいと思うもののようで、ブラドは一切の迷いもなく断言した。ポルトだって逆の立場であれば、地竜の世界でどれだけうまくやれたとしても、人間に戻りたいと思うだろう。ラバスの人間への憧れが異常なのだ。
「俺は自ら捨てたから、そこに未練はないんだ。人間の体で短い一生を終えることになっても何の悔いもない」
「単純に戻る方法がわからないとか、戻るための何かしらの条件を満たしていないとかいうわけではないんだな」
もうわけがわからないといった様子でブラドは頭を横に振った。予想していたことが何一つ当てはまらないのだ。
「変わった奴なんだよ、ラバスは」
目の前の肉料理にぱくつきながら、ポルトはラバスに出会った当初の自分と重ねて苦笑した。
「変わった奴なのは君もだよ。どうして友の体を奪ったような奴と今でも一緒にいるんだい?」
「まあ、恨んだことがないわけじゃないけど、いろいろあったから」
「わからないな。人間というのは情が深い生き物だと思ったんだけど、レダのことはもういいのか?」
まるで研究者みたいな顔でブラドはポルトの顔を覗き見る。その瞳の奥にあるものを探るみたいにじっと観察する。ああ、この人はこうやって人間を学んでいるのだなと腑に落ちる。だからあんなにも人間らしいのだ。中身は知らないが、少なくとも表面上は完璧に。
「情が深いからこそ、だ、ブラド」
しかしラバスはブラドの勉強不足を説く。
「中でもポルトは規格外だ。地竜にも天竜にも同じように情をかけてくれる」
「確かに、地竜を怖がらない人間も天竜を可愛がる人間も初めて見たね」
おかしなものを見るような目つきでブラドはポルトを見つめるが、ポルトからしてみればブラドやラバスの方がよっぽど稀有な存在である。なんか不本意だと口を尖らせると、隣でレダが笑ったような気がした。見た目の表情変化には何も表れていないけれど。
「よしわかった、要するにおかしな奴とおかしな奴が惹かれ合って一緒にいるわけだな。俺はそう理解する。それが話が早い。それを念頭に置いてもう一度状況を組み立てる」
くいっと酒を呷ってブラドは膝を叩いた。
「そうすると、戻ってきたのはどうしてだ?体を探しにきたんだろう?君には不要なものなんじゃないのか?」
「不要だと思っていたんだが、そういうわけにもいかなくなった」
「それについてはもう一つ話しておきたい事実があるんだ」
言葉足らずなラバスの説明では理解しがたいだろうとポルトが手を挙げる。そして隣でブラドの料理に舌鼓を打っているレダの背を撫でた。
「この天竜、前に紹介した時はオージと言ったけど、今はオージじゃないんだ。中身はレダ。それが発覚して状況が変わった」
「ちょっと待ってくれ。レダっていうのは
「食っていない。レダが死んで魂は体を離れた。俺は魂の抜けた体に入っただけだ」
「死体に入ることなんてできるものか」
「直後だったから蘇生が可能だった。運が良かった」
ブラドはくぅぅと言葉にならない声を上げ、以前よりずいぶん短くなったけれどボリュームたっぷりな髪をがしがしとかき回した。ラバスはおかしな奴だと自分に言い聞かせるように呟き、無理やり自分を納得させているようだった。
「わかった。ラバスのことは理解はできないけどまあいい。状況は理解したぞ。しかしどうして死んだレダの魂が天竜の中に?」
「天竜の赤ん坊には死んだ天竜の魂が入るってことは知ってる?」
「うん、聞いたことはあるな」
「ここからは想像の域を出ないんだけど、おそらく赤ん坊の方に魂を引き入れる力があるんじゃないだろうか」
「体から抜けて漂っていたレダの魂を引き入れた…」
ブラドは頬に当てた手の指でトントンとこめかみを軽く叩き、脳内に新しい情報を入れて状況を整理しているようだった。
「ちなみになんでそれがレダだとわかる?」
「レダとして意思の疎通が可能なんだ。こちらの言葉は全部通じるし、発するのは天竜の言葉だけどラバスがある程度理解できる。文字だって読めるし、不器用だけど多少は文字も書けるよ」
「すごいな。というかラバスは天竜の言葉までわかるのか」
「簡単な言葉なら」
高スペックなラバスにブラドも感心する。地竜の頭脳レベルがどれぐらいのものかポルトはよく知らないが、同じ地竜のブラドも感心するのだからかなりのものなのだろう。
「僕たちはレダの魂をレダの体に戻したいと思ってる」
「それでラバスの戻り先が必要になったわけか」
「そういうこと」
突飛な話の連続であるが、ブラドは話の飲み込みが早い。
ラバスといいブラドといい、地竜というのはみな頭の回転が早いものなのだろうか。
それともこの二人が特別なのだろうか。
おそらく、地竜でありながらこれだけ人間に馴染めるというのは能力が高いが故なのだろう。
このような例が他に見当たらないところからするとこの二人が特別である可能性が高い気がする。狂人のようになってしまう話はよく聞くが、別人格の人間に変わってしまうような話は耳にしたことがない。地竜の中でも特別知能が高く、性格的にも思慮深く理性的である稀な存在であるのだろう。
この二人がこの広い世界の中で巡り会う偶然にポルトは高揚した。偶然がもたらす奇跡というものが、この世には確かに存在する。
だから、レダを体に戻す方法だってどこかに存在するに違いない。
きっとどこかに、そんな奇跡が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます