第11話 鍵・1

 借りていた本の返却は宿の主人に託し、まだ日が昇り切らぬうちに町を出た。

 街道を離れ、森の中へ少し入ったところでリュックに詰められていたレダを解放する。リュックの中も、そして人に見つからぬようひたすら隠れるしかなかった町の中もレダには窮屈だったのだろう。意味もなく飛び跳ねたり駆け回ったりして自由になった体を動かしていた。やはりこの体である限り、森の中での暮らしが快適であるようだ。

 そしてラバスもまた、初めての町を堪能してはいたが終始緊張状態だったため、森に入ると何となくリラックスしている感じが見て取れた。

 彼らと共にあるならば、やはり活動の場は森の中がベストだ。レダの体のサイズ的にも、みんなで町で過ごすことなどこれが最初で最後のことになるのだろう。そう思うと少し寂しく名残惜しくもある。


 さて、目的地は昨夜話したようにラバスの地竜の体を置いてきた場所である。可能な限り早く、その場所に向かわなければいけない。つまり数日前に通ってきた道をそのまま同じように戻っていくことになるのだが。

「ちゃんと戻れるかなあ」

 数日前に通ったとはいえ、しっかりした道があるわけでもなく景色はどこも同じような森の中だ。正直ポルトには確実にそれができる自信はなかった。町の中では簡単な「来た道を戻る」ということが実はとても難しいことであると、ここまでの経験でわかっている。道や建物があってこそ情報が整理できるのだ。方角は分かっているとはいえ、別のルートを通れば別の危険が待ち受けていることもあるだろう。できるだけ早くラバスの本体に到着するためには行きに通ったルートをそのまま辿って戻るのが最善である。

「通った道ならわかる」

 ポルトが戸惑っているとラバスがそう言って事も無げに歩き出した。

「ほんと?」

「ああ、そのまま戻ればいいなら簡単だ」

 自信満々に言い切る。森は彼の生きる場所なのだ。ここらが来たことのない場所であっても、通った道を戻ることぐらいは楽勝であるらしい。何か目印があるのか、それとも匂いなどの感覚的なものなのか、何を頼りにしているか知らないが、ラバスの後について歩くと何箇所かポルトにも見覚えのある場所を確認できたので、おそらく完璧に同じルートを辿っているのだと思われた。


 迷うこともなく進む道のりはさほど苦もなく、食料確保のために獲物を追う以外はただただ進むだけだった。日が昇る少し前から、日が沈んで辺りが見えなくなるまで目一杯の時間をひたすらに進んだ。基本的に安全なルートであることは往路で確認済みなのだ。立ちふさがるはずの地竜ですらあの時に倒してしまった。この短期間に新しい住人が住み着いていない限り障害はこれといってないはずだ。またあの川の上を渡らなければいけないことはラバスにとっては苦かもしれないが。


 レダは時折体の動きを確かめるように木に登ったり飛び降りたりしながら進んでいた。自分の体を思い通りに動かすという技術に長けているのは天竜の体になっても変わらないようで、数日のうちにメキメキと動きが良くなっていくのを隣で見ていても感じるほどだった。

 自分の体と同サイズ以下の動物であれば狩りをすることさえできるようになっていた。今までのように剣も槍も使えないが、爪と牙という武器を使いこなすのだ。いわゆる野生動物の動きというものをマスターしつつある。さすがレダだ。ポルトであったならきっとまっすぐ歩くのすらままならない。

 翼を使うことも少しずつできるようになっている気がする。怪我自体はほぼ治っているようだ。ただ相変わらず動きは悪い。もしかしたら一生あのままなのかもしれない。けれど、動きが悪いなりに機能させられるようにとレダは頑張っているらしい。飛び上がることはまだ難しそうだが、高所から飛び降りて滑空することはできるようになった。少しずつ羽ばたいて飛距離を伸ばす、ということを日々訓練しているようだった。

 鍛えた体に筋肉がついていくように、体を動かすたびにレダの体は大きくなっている気がする。往路にかかった時間と比べて二日半ほど早く目的地にたどり着いたその頃には中型犬ほどのサイズになっていた。人間としてはだいぶ小さめサイズであるポルトと同じぐらいになる日もそう遠くはなさそうだ。





「あそこだ」

 目的地を視認できる距離になり、ラバスがいつもと変わらぬ淡々とした口調で言った。もしかしたら内心では興奮しているのかもしれないが、それを表に出すことはないのでラバスの心の中はよくわからない。見た目に惑わされがちだが、地竜という全く別の生物の精神構造は、ポルトの想像するそれとは全く違うのだろう。自分の感覚だけで想像するとうまくいかないことが多々あるので気を付けなければいけない。

「あそこに少し地面が隆起したところがあるだろう?あの手前が大きな窪みになっていて、そこにはまり込むようにして隠した」

 ラバスが指差したその場所へ、ポルトは逸る気持ちで駆け出していく。確かに、隆起した部分のすぐ脇に大きく窪んだ場所がある。が、窪みは窪みのままである。つまり中には何もない。周りに比べて落ち葉が若干少ないような気がするだけのただの地面だ。地竜の大きな体などどこにも見当たらない。

 立ち尽くすポルトの隣にラバスが追いつく。

「遅かったか…」

 いつも通り感情のない声が隣から漏れる。けれどきっと少なからずショックであろうラバスの顔をまっすぐ見ることができなかった。

「本当にこの場所で間違い無い?」

「ああ。その隆起の向こう側を見てきてごらん。レダが倒れていた場所だ」

 言われた通り、1メートルほど盛り上がったそこを登って向こう側を見てみると、並んだ木の向こうに見知った空間があった。レダが目を覚ますまで数日、この辺りは何度も行き来したのでさすがに覚えている。

(本当だ…)

 振り返ると追いかけてきたレダが同じようにその空間を見つめていた。そこはレダが死んだ場所だ。いったいどんな気持ちで見つめているのだろう。天竜の硬い表皮からはその感情は読み取れない。けれど想像はできる。同じ人間であり、同じ時を過ごした親友であるレダの気持ちは容易に想像がつく。

 ポルトは無言のままレダの頭を撫でた。レダはポルトを見上げ、そして窪地に立ったままのラバスの元へ駆け下りていった。ポルトもそれを追う。

 それぞれ複雑な感情はあるだろう。けれど、過去を悲しんで立ち止まってはいられない。やれることはまだたくさんあるはずだ。

「君の体はここにはない。だけど何もないということはつまり、食べられたり朽ちたりしたわけではないということだよ、ラバス」

 そこには骨の一つもなければ、小さな肉片すらもない。血液などの跡も見られない。何の痕跡も残さずきれいさっぱり消えているのだ。つまりはラバスの体は正常な状態のまま何処かへ移動したというわけだ。この世から失われたわけではない。

「あの人が俺の体に入ったんだろうか」

 ラバスが呟くあの人とはもちろんブラドのことだ。状況からの想像でしかないけれど、地竜の体を求めている彼がその体に入り持って行ってしまったというのが、現状、一番可能性の高いことだと思われる。

「ブラドさんを探そう」

 その体を再び奪い返せるのかどうかはわからない。けれどその体が生きているというだけで可能性はゼロではないはずだ。

「でも、どこに行ったかなんてわからない。俺だったら二度と中身おれに出会わないよう遠くに逃げる」

 おそらく、ブラドがここへ来てから4、5日は経っているだろう。地竜の体であれば、それだけあったら遥か遠くまで移動できてしまう。どの方向へ向かったかすらわからないのに追いかけるなど不可能である。

 それでも、闇雲であっても、探し続けるしかない。レダの体を戻す方法だって同じだ。手がかりなど何もない。けれど可能性がゼロでない限り諦めるわけにはいかない。

「諦めないよ、ラバス。君は自分をすぐに諦めてしまうけど、僕は君を諦めないよ」

 強い言葉でポルトが言うと、ラバスは曖昧な笑みを浮かべた。あれはもう既に諦めの境地にいるに違いない。それは何となく彼と過ごしたこれまでの言動から予想がつく。そもそも初めから自分に対する執着などほとんど持っていないのだ。けれど、諦めて欲しくないし、ポルトは諦めたくない。

(だって、ラバスの戻る先がなかったら、僕は本気でレダをレダの体に戻せるだろうか)

 レダが本来の体に戻ることによって、ラバスを失ってしまうとわかっていたら、ポルトはそれを天秤にかけることができるだろうか。多分それを躊躇ってしまうぐらいにはラバスのことを大切に思ってしまっている。仲間だと、友達だと、そう思ってしまっている。レダのためならと切り捨てることなんてきっとできない。

(だってすごくいいやつなんだ)

 純粋で優しくて賢くて、ちょっぴり変わっていて、人間離れした感覚が面白くて、ポルトとどこか似た感覚も持っていて、孤独で、愛に飢えている。友達になるにはもう十分な時を過ごしている。



「とりあえず今日はあの寝床で休もうか。あそこなら場所は僕にだってわかるしね」

 ブラドと出会った、ブラドの作ったあの木の上の寝床だ。この場所とは目と鼻の先にある。

 まだ日は高いが、この先をゆっくり考える時間が必要だろう。話し合いだって必要だろう。そしてここまで目一杯のスピードで進んできた疲れも癒すべきだろう。

 隆起を乗り越え、勝手知ったる地を歩き始めると、ラバスもちゃんとついてくる。普段と変わらぬ素振りであるが、いったい何を思っているのだろうか。ラバスのことだからポルトのようにいつまでも思い悩んだりせずすっかり頭を切り替えてしまっているのかもしれない。それでも心配せずにはいられない。

 そんなふうに友のことで心を痛めてしまうポルトのことを心配したレダは、隆起から飛び降りて滑空したまま先をゆくポルトの背中に負ぶさるように着地する。

「わあ、レダ!」

 突然のことに驚き素っ頓狂な声をあげたポルトを笑うように、レダの鼻息が耳元をくすぐる。途端になんだか楽しいような気分になってしまうから不思議だ。自然に笑みが浮かぶ。

 先は見えなくとも、どうせなら楽しんで進めるといい。そんな前向きな気持ちになれるのもレダがいるからだ。いつだってこうして沈みがちなポルトを引き上げてくれる。レダといれば絶対に楽しい、それはポルトの中で確たるものなのだ。

(今日はとりあえずゆっくり寝よう)

 安全な寝床があるのはありがたい。

 食べるものも十分にある。

 友が二人も一緒にいてくれる。

 それは楽しい日々であるはずだ。



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