深淵

「ヤメロヨ君タチ! 彼女ガァ嫌ガッテイルジャナイカ!」

 その男は俺に背中を向けたまま話した。もちろん、俺にではなくアリスに絡んでいた男達にだ。

 しまった! 先を越された!

 先を越されて大失態……大失態ではあるのだが……色々とおかしい。

 まず、その男の声がおかしい。

 普通のゲームなら外見を変更できるが……もちろん、声質だって可能だ。

 ただ、外見の変更に比べると声質の変更は素人では難しい。既存のVRゲームでも変更不可能か、変更可能でも僅かであるのがほとんどだ。

 しかし、その男が発生させている音――声と言うよりこちらの方が適切に感じる――は機械による合成音声の様で……人間による機械音声の形態模写の様で……それ以外の何かとしか形容できない。

 聞いてるだけで精神が不安定になりそうだし、話すだけで精神攻撃になっていた。

 そして、アリスの反応もおかしい。

 ……いや、色々と考えるとおかしくは無いのか?

「ひっぃ……」

 と言ったまま身体は硬直してしまっているし……表情は恐怖を……たぶん、恐怖を表していた。

 何と言えば伝わるのか、俺には見当もつかないのだが……努力してみることにする。

 アリスの顔は何か……人が覗き込んではいけない何かの淵を覗き込んでしまった者の顔をしていたと思う。そして、人が喪ってはいけない何か――それを何と呼べばいいのか俺には解からない――を大量に削り取られた顔でもあった。

 見てはいけない!

 俺の中の誰かが警告した。たぶん、生存本能だとか……人が予め持っている禁忌を避ける能力だとかが言語化して認識されたのだと思う。

 それなのに好奇心に負け、アリスが見たのが何であるのか確認――俺には背中を向けている人物の正面へ回り込んでしまった。

 不気味の谷のエビタクだ!

 ……いや、違う!

 こいつは俺が今まで見た何体かのエビタクロードとは格が違う!

 たぶん、こいつはオリジナルだ!

 他のエビタクロードはこいつを模したか……こいつから生まれた眷族に過ぎないと思えた。真なる祖……真祖エビタクとか、オリジナルエビタクとか呼ぶべきナニかだ……。

「イヤァア……怖ガラナイデヨー……」

 そのナニかはそんな音を発しながら、手を模した器官で自分の頭を模した器官を触る。

 ……もしかしたら……もしかしたら、人間が頭をかく仕草を真似ているのかもしれなかった。いや、俺の思い違い……このナニかが想像力の範疇にあって欲しい故の、思い込みかもしれない。

 しかし、ただそれだけの動作で俺達は一歩下がってしまった。

 真祖エビタクは美しかった……のだと思う。

 全てのパーツ、一つひとつは美しいと思えるものと推定できたし、身体のバランスも部分々々では最適……たぶん、黄金比率などに近いナニかだ。

 発する音も一音々々は美しい響き……なのだと思う。

 それら全てが一体となってナニか人類には理解できない法則で動き出すと……人が決して受け入れられないナニか……真祖エビタクとなるのだ。

 そんな風に観察できたのは人がどんなことにも慣れられる……真祖エビタクを観察できるようになるまで、人として大切なナニかを喪ったか……そのように作り変えられたからかもしれない。

 俺より先にそうなったアリスは、一心不乱に中空を五本の指で叩くようにしていた。たぶん、気が狂ったのではない。俺の位置からは見えないが、『メニューウィンドウ』を操作しているのだと思われた。すると――

 光に包まれてアリスは消えた。文字通り消えていなくなった。

 ログアウトしたのだ!

 思わず俺は「置いていかないでくれ!」と叫びそうになった。


「ちょっとお時間良いですか。少しお伺いしたいことがあるのですが……」

 そんな言葉と共に、何も無い場所から男が現れた。透明な状態でそこにいた人が見えるように変化した……そんな感じであるが、事実そうだろう。

 その男の出現があったから、情けない悲鳴をあげないで済んだし……真祖エビタクから目を離すことに成功もできた。

 その男は頭をすっぽり覆う帽子を被り、顔はベールで隠している。服には大きな前垂れがあり、そこには大きく『GM』と書いてあった。先ほどの登場の仕方と言い、本物のGMだろう。透明で何もかもすり抜ける状態で監視しながら、問題があった時には登場する……よくある管理方法だ。

「ナ……ナンデスカ……GMサァン」

 話しかけられた真祖エビタクが答える。

 再び真祖エビタクを見てしまわないよう、俺は努力してGMを見つめた。……GMも真祖エビタクを直視しないように努力しているようだ。ベールでよく解からないが……可能な限り地面の方に視線をやっているように思える。……それしかない。

 目を見たらもっていかれる!

「何ですかも何も……貴方のアバター……改造品ですよね?」

 至極当然、当たり前の質問がなされた。むしろ、どうして運営が対応をはじめてなかったのか不思議ですらある。

「イエ! チ、違イマスヨ! 僕ハコレガりあるノ外見デス!」

 そんな訳が無い!

「それは……うーん……」

 もしかして、そんな言い訳をGMは通すのか?

「我々としても……ベースアバターに関する指摘はデリケートに対応したいのですが……流石に貴方はねぇ……。えー……いま、対応が決まりました。貴方は利用規約三十二条の六項に抵触していると判断しました。アカウント凍結の仮処分とさせていただきます」

 GMは真祖エビタクと話しながらも、上役の人間と連絡をとっていたのだろう。途中から毅然とした態度へ変わった。

 アカウント凍結、それは上から数えて二つ目に重い処分だ。

 プレイヤーの管理下にあるゲームデータ全てが利用できなくなり、そのアカウント自体も使用不許可となる。ゲームプレイヤーとしては死亡や永久追放に近い。ちなみに一番重い処分は法的に訴えられることである。

「横暴ダァ! 僕ノべーすあばたーガ改造サレテイル証拠デモアルノカ!」

 ごねる真祖エビタク。その発言で運営の対応が遅かった訳が解かった。

 疑念を感じるベースアバターであっても……中の人が実際にそうなんだと言い張られたら処分は難しい。下手をしたら人権問題に発展する可能性すらある。

「……詳しくは利用規約三十二条六項をお読みください。今回の処分に関しても特設ページを設けさせていただきました。どちらも公式HPに記載してございます」

 そう言うとGMは指を鳴らした。それと同時に消える真祖エビタク……アカウント凍結処分をされてしまったのだろう。

「ベースアバターの改変は利用規約に抵触しています! 決してベースアバターの改変などの不正行為をなされぬよう、プレイヤーの皆様には強くお願い申し上げます! また、不正行為に対し、我々運営は厳しく対応をさせていただきます!」

 GMは大声を張り上げた。自分が注目を浴びているのを理解しているのだろう。

 噴水広場のあちらこちらでログアウト作業をする者やGMの視線から隠れようとする者、広場からさり気なく移動しようとする者が確認できた。

「……それでは、引き続きお楽しみください」

 そう締めくくり、GMは透明になり見えなくなってしまった。

「初日にアカウント凍結とは……運営も思い切ったよな」

「ああ……でも、あの……真祖エビタクは視線を合わせるだけで危険だったからな。放置していたら運営が訴えられても……!」

 隣に当たり前のように俺に話しかけるリルフィーがいた。

 俺もつい、いつもの様に受け答えをしてしまっていた。

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