第16話 貴女がいる場所へ

「美由紀! やめてよ!」

「なんで? 本当のことじゃん?」

「別にそんなんじゃないから」

「そう?」

 

 目の前の二人の会話にザワザワと胸騒ぎがする。森橋さんは一体何を考えてるんだ…

「あの、」

「あ、すみません。佐野さん何食べます?」

 そう言ってメニュー表を手渡してきた森橋さんの表情は心なしか以前より少し穏やかに感じる。こんな状況でそんな表情って。分からない、彼女の考えていることが読めない。

「お二人と同じもので」

 手渡されたメニュー表をさっと見て特に食べたいものも無かったので、二人の前に並ぶプレート料理を頼むことにした。

 永井さんが此処に居ては、あの件は話し辛い。なるべく早い方がいいけど、今日は諦めて日を改めるしかないかと変に力んでいた身体を解放する。

「佐野さんにお願いがあるんです」

 私の注文が終わり店員さんが席を外したタイミングで森橋さんが話し出した。

「お願い、ですか?」

「はい。飛鳥を御社で預かって頂けないですか?」

「永井さんを?」

「えぇ」

「預かるって、私の一存では何も言えません」

「勿論、今ここで結論を出して欲しいとは言いません。前向きな検討をお願いしているんです。それに、佐野さんから御社の小野社長へお願いして頂ければ心強いかなと」

「……どうしてうちの事務所なんですか? 永井さん程の人なら、そちらの事務所も欲しいのでは?」

「勿論。それに飛鳥は私にとって大切な存在だから傍に居て欲しいですけど、これは飛鳥の希望なので」

「永井さんの?」

 業界でも大手と言われるうちの事務所に入りたいと言うのは分からなくもないが、永井さんがうちを選ぶ理由がいまいちピンとこなかった。軽く彼女に視線を向けてみれば、気まずそうに少し俯きこちらを見てくれなかった。

「永井さん、どうしてうちの事務所を希望してくれたんですか?」

「……」

「社長に話すとしても理由が無いと」

「……自由になれると思ったから」

「自由?」

「佐野さんとだったら本当の私でいられると思ったから……」

「……本当の私?」

「事務所なんてどこでもいい。佐野さんが私の担当になってくれるなら事務所なんてどこでもいい、だから私は――」

 この感じ、覚えがある。自惚れなら恥ずかしいと恥をかけば済むけど、いつもこの勘は外れてはくれない。嬉しいのに嬉しくなくて、どんどんよく分からない不安が大きくなっていく。

 好かれることが怖い。最近は自分の中にこんな気持ちも生まれてしまって、自分自身に嫌気がさす。好意を嫌うなんて本当はあってはいけない。【好きを拒否される怖さ】を今まで嫌と言う程、味わってきたのに今度は自分が誰かの好意を否定してしまうなんて…。

 これじゃ、自分に都合の良いことしか考えていないあの頃大っ嫌いだった周りの人たちと同じだ。


「言ったじゃないですか、飛鳥は佐野さんのことが好きなんですって」

 プレートに綺麗に盛り付けられたお肉を一口分箸で掴み、口に運ぶ途中で森橋さんはそう言葉を放った。その声はまるで、いま放った内容なんて無関心だと言うような音で私の耳に届き、それが妙に鼻につく。

 それに、先程は勢い良く否定の言葉を森橋さんに投げていた永井さんも拗ねたような表情をしつつも、今回は頬を微かに染めるだけで何も反論はしてくれないようだ。

「もし、うちに所属できたとしても会社として人事の兼ね合いがあるので、私が担当できるかは分かりませんよ」

「それじゃダメです」

「……ダメと言われても」

 食い気味にダメと言ってくる永井さん。このとりとめのない会話をこれ以上続ける気にはなれなくて、取り敢えず社長に所属の件は話してみると言うことで着地させた。その後は、私も食事をしながら、永井さんがどんな人なのかを色々と聞いたり、理佐や夏目さんがまだグループに所属していた頃の話を聞いたりとなんだかんだ楽しい時間を過ごせた。

 でも、やっぱり、君の名前や君の話を聞く度に君に会いたくなる。

「じゃ、そろそろお開きにしますか」

 この一言で解散となったこの何とも名前の付けられない密会にやっと終止符が打たれる。それじゃ、また連絡します。なんて言葉とともに綺麗な手を顔の横まで上げてひらひらとそれを揺らす彼女。森橋さんはどうして呼び出した用件を聞いてこなかったんだろう。私からは何も聞きたくないと話をさせないようにしていたのか、それとも別に何かあるのか。

「あの、森橋さん」

 段々と遠ざかっていく二つの背中の一方に声を掛ける。まだ私には聞きたいことがあるのに。何一つ聞かせてくれないなんて狡いじゃないですか。振り向いたその綺麗な顔に続けて言葉を放つ。

「理佐は元気ですか」

「えぇ、元気ですよ」

 

 私の方に向けられたのは体だけで、彼女の視線はこちらを捉えてはくれなかった。いや、捉えようとしていなかった。嘘を付くのが上手いと思っていた彼女は、理佐に関することでは少しも嘘が付けないんだとその表情を見て思った。嫌いになりたい相手だとずっと思っていたのに、私に似ているそんな姿を見たら簡単には嫌いになりきれないじゃないですか――

 本当に狡い人だ。


「永井飛鳥さんが?」

 翌朝、社長へ永井さんの件を報告しに行けば予想通り驚いていた。

「どうしてうちの事務所に? 話がみえないんだが……」

「本人が言っていただけなので、非公式レベルの話です。先方の事務所やマネージャーの方とは一切話はしていませんし、彼女のグループ卒業時期もまだ未定とのことです。ただ、卒業後はうちの事務所へ移籍したいと」

「なるほど。今すぐの話ではないとしても彼女自身がうちを希望してくれるのは有り難いね。モデル業の他に最近は演技にも力を入れていると聞くし。佐野くん的に彼女がうちに所属した場合のメリットとデメリットはどう考える?」

 メリットとデメリット。なんて商業的な言葉だろうか。

「まず、彼女は今年で二十一歳なので卒業後うちへの所属を仮で二十二歳だと想定した場合、メリットは若手枠強化になると思います。現状の知名度はまずまずですし、モデル業に関しては歴もあるので、今後は年代に合わせてレギュラーもしくは専属の雑誌を継続的に維持できる可能性があると考えます。演技に関しては、所属後にレッスンを受けてもらい基礎構築を行いつつドラマ、映画出演で経験を積み育てていけると思います。それと、彼女には執筆など創作もむいているかと」

「なるほど。では、デメリットは?」

「……彼女と同じグループに所属していた櫻井理佐、夏目由香、西野奈々未や現役メンバーでありながらミュージカルや舞台で実力を付けている生田や玲香など同世代ライバルが多く、役獲得には苦戦するかと。それと、仲間だった人たちが急にライバルになり、嫌でも比較され時には心無い酷評もされるかと。その時に今の彼女の精神では弱いと思います」

「メンタルか…」

「はい、もちろんメンタルケアは私たちマネージャーやスタッフでしっかりとサポートすれば改善されますが、多少心配が残ります。それに、」

「それに?」

「これは正式に移籍商談の際に条件としてあがるかは分かりませんが、本人からはマネージャー指定がありました」

「指定? 珍しいね。一体彼女は誰を指定してるんだ?」

「……私です」

 ははっと大きな笑い声が社長室に響き渡る。君はモテてばかりだな、とやけにご機嫌な社長にため息が出そうになる。

「これじゃ、櫻井さんも大変だね」

「彼女の方がモテますから」

「ははっ、確かに」

 今度こそため息が出そうだ。

「取りあえず、永井さんの卒業に関して進展があり次第動き出すかたちになると思います」

「了解。僕の方でも少し上手い具合に探り入れておくよ。その方が後々スムーズだろうから」

「有難うございます」


 もし永井さんが本当に所属することになったら担当になるのだろうか。そうなれば夏目さんの担当から外れて永井さん専任になると思うけど、そんなこと彼女がすんなりと認める気もしない。誰が誰の担当になるかは人事の問題だから口出せないし、これはもう社長判断に任せるしかない。

 これ以上、何も起こらないで。そう心の中で願いながら社長室の扉をゆっくりと閉めた。


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