第9話

「庭園に行こうか」


陛下の仰られていた通り、彼は来た。

私の姿を確認したルシード様は、そう言った。


お祖父様と二人で出て行ってから、たっぷり一時間は経っていたが、頭を冷やすには丁度良かった。

明日も朝から後輩達は舞踏会だ。陛下も御出席なさる。どうして朝からなのか、と言うと終了後に担当教員達と学生は打ち上げをするからだ。

他にも色々理由があるらしいが、今は関係無い。

今は、この人との会話が大事なのだ。


数時間前まで、婚約者だった、この人と。




「マリーナ。申し訳無い。あんな事をしてしまって」

「いえ、今ならば解ります。あれくらいで無ければ、私は気付かなかったでしょうし、改心出来なかったでしょう」


宮殿の庭園は、見事なものだった。

完全に計算され尽くした配置。花の色だけでは無く、背の高さや香りといった要素も加味して、幻想的な空間が広がっていた。

既に日が落ちてしまっているが、所々に照明が当てられ、むしろ美しさは極まっている。


「もっと貴女は憤慨するべきだ。私は自分が国を継ぎたく無いばかりに、貴女を不当に貶めて、自らの失点になる様に動いた。私の我儘で、一人の女性の人生を狂わせようとしたのだよ」


髪を指で弄びながらルシード様が謝罪を口にする。

久しく見ていなかった動作だ。単なる癖なのに、気品が感じられる。

いや、きっとルシード様はこの癖を、変わらず出していたのだ。ただ、私が見ていなかった、見ようとしなかっただけ。

思い込まされていたとはいえ、目の前の王子を無能で、女々しく、関わる価値が無いと考えていた。


「いいえ、今ならば解りますわ。陛下やお祖父様が茶番と呼んだ、あの行動の真意が」

「それでも、許される事では無い」


ルシード様は自らを責めている。

昔から、不真面目で悪戯好きで、周りに心配と迷惑ばかり掛けているが、本当の目的を隠す為。全てを煙に巻く為の行動なのだ。

だが、今回はそれが行き過ぎた、と感じているのだろう。


「そうしなければ、国を震撼させる程の内乱になりかねなかった。ルシード様が笑われ、眉をひそめられる程度で収めたのは流石ですわ」

「元々、私が国王に相応しい器だったなら、こんな事はしなくて良かったんだよ」


翳りを多分に含む表情を私に向ける。

やはり、地味ではあるが、美しい。

彼の不幸は、影に徹すると決めてしまった事。その才能があり、努力してしまった事。


そして⋯⋯彼の兄が亡くなってしまった事。


「此度の一件も、国の行く末を思えば最良でしたのでしょう?ルシード様が王位に就いてしまえば、恐らくは内乱になった。本人の気持ちを無視して、シュバルツ殿下を担ぎ上げる輩も多かったでしょう」

「そうなれば、負けた方は処罰される事になる。例えシュバルツが何も知らなくても、火種は処理しなければ、いつまでも大火になる危険を伴う」

「ならば、国の為だったのだから、必要でしたでしょうに。あの笑い話の中で、ラビオリ家とペンネ家の処罰は済んだ事になりました。恐らくは、深い所でクーデターを企んでいたのでしょう?」


今ならば、はっきりと解ってしまう。

シュバルツ殿下と、王太子妃が内定していた私を担ぎ上げて、ルシード様、いえ、もしかしたら陛下をも追い落とす腹積りだったのかもしれない。

未然に防ぐのは簡単だっただろうが、両家に連なる貴族達、それに残党が残り、国のしこりになった筈だ。


「あれだけ恥をかいたんですもの。どの家も離れていきますわ。あの両家に対しても、王家は知っている、と暗に知らせ、しかもシュバルツ殿下の王太子就任という飴まで見せたのですから、大人しくしているかと思いますわ」

「あの両家は政治には関わらせ無いがな。少なくとも現当主の世代では」


昼行灯と呼ばれた彼は、一切否定しなかった。全てが彼の思惑通り。

自らの事まで含めて。


「美しい庭園だろう。見栄えの良い配置にさせてあるが、それだと生命力の強い花が、か弱い花を駆逐してしまう。強い花を間引くか、弱い花を育ててから並べるしか無いのだよ。そして、花が育つには肥料があると尚良い。人の世も同じだとは思わないか?」


その言葉から、私は彼が国の肥料になる事も辞さない、という覚悟を聞いてしまう。

でも、敢えて気付かないフリをする。

そんな人生、悲し過ぎるから。


「ルシード様は、何処まで計画していたのですか?ティーナ様との御婚約も狙い通りだったのでしょうか?」


この質問を口にすると、チクリ、と胸が痛んだ。

しかし、それはあまりにも身勝手な話だ。

私が誤らなければ、この様な結末にはなっていなかったのだから。


「その様な表情は止めてくれ⋯⋯後悔してしまう」

「っ!」


ああ。嗚呼。

その言葉から、態度から。

答えが解ってしまう。

嬉しくて、誇らしくて、悲しくて、後悔する。

彼の事は、理解してしまう。


私達の婚約が決まったのは二年前。

でも、それ以前。

そう、私が物心付く頃から、お祖父様は領地から王都に来る度、私を連れて来ていた。

それは、年に数回だったけれども、一度来る度に十日は滞在していた。

今ならば解るけど、其処は宮殿の離れだった。そして、ルシード様と共に過ごしたのだ。

当時は思慮深さや学識も曝け出していた。

素直に、思った事を口に出していた。

お互い、隠し事なんて、無かったのに。


「正直、リガトーニ子爵のご令嬢は良く知らないんだ。励ましたり、プレゼントなんかはしたけど。深い会話は一切していない」

「あら、どうしてでしょうか?彼女は私と違う、知的でスレンダーで、大人しい。魅力に溢れている令嬢ですが?」


言いたい言葉が出て来ない。

いつから、こんな関係になってしまったのだろう。


「良く知らない。さっきも言ったけど。知る事が出来なかった。『裏』が動いたのに、だ」

「調査させたのですか?」

「⋯⋯ああ。リガトーニ子爵家に引き取られる前は、国境を挟んで隣接していたステリーネ男爵の所に居たのは間違いない。だが、それ以前にも転々としている。戦で滅んだり、王家の怒りを買って取り潰されたり、と身柄を預かっている家が無くなっている」

「まあ⋯⋯」

「明らかに作為を感じる。元々の生まれを隠す為かとは思うが、まだ調査は辿り着けずにいる」


そう言って目頭を押さえてため息を吐いた。

そんな相手との婚約が成ってしまったのだから、心労も多いだろう。


「高貴な家柄なのか、逆なのか。他国から、という線も考えられる。まあ、何処かの大貴族の隠し子という、つまらない結果の可能性もあるがな」

「心中お察しします⋯⋯ところで」

「ん?」


言葉を切り、私は幼馴染の目を真っ直ぐに見つめた。


「此度の婚約破棄は、一体誰の為のものだったのでしょうか」

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