終 肝試しの夜に

「この道の先に私の家があるから、そこが肝試しのゴール。先についた人達は大人しく最後の組を待ってること。あと、竹林の方には絶対入っちゃ駄目。分かった?」


「「はーい!」」


 ――なんで私がこんなことを。

 子供達の元気に若干気圧されながら、椿は内心で呟いた。


『あの、椿さん。もし、もしよかったらなんですけれど……最初に会ったときに話した肝試しの保護者役、椿さんに頼めませんか?』


 霞の怨みを晴らすために行われたあの儀式の後。再び屋敷を訪れた桜からそう切り出された椿は、悩んだ末にその頼みを承諾した。

 

 これまでも語ってきた通り、古明地椿は優しい少女ではあるが、それらはすべて死者へと向けられた優しさだ。生者からの依頼以外の頼み事など、椿には興味もないし叶える義理もない。ないのだが。


「ご、ごめんなさい、椿さん。肝試しに着いてきてくれる保護者役、結局椿さんしか見つからなくて」

「……まあ、いいのだけれどね。どうせ私も暇だったし」


 小学生の、それも大切な人を失ったばかりの子供の頼み事を無下に出来るほど、椿も非人間というわけではなかった。

 

 それに、子供達の間でどういう話し合いが行われたかは定かではないが、二人一組のこの肝試しにおいて、桜のパートナーは椿になっていた。本来は参加する予定でなかったらしい桜がメンバー入りしているのを考えても、「あらためて二人きりで話したい」ということなのだろう。

 

 まあもしかすれば、ただ単に年上の『お姉ちゃん』がいなくなった寂しさを、同じく年上の椿で誤魔化そうとしているのかもしれないが。


「愛ちゃん。桜ちゃんがクジを譲ってくれたおかげで、宗吾くんと一緒になれてよかったじゃん。怖がってるふりして、思い切り抱きついちゃえば?」

「や、止めてよ美乃里ちゃん! 私、そんなんじゃ……!」


「おい宗吾。お前さっきからあの美人のねーちゃんのこと見過ぎじゃね? もしかして惚れちゃった?」

「ば、馬鹿、そんなんじゃねーよ! っていうか止めろよ、聞こえちゃうだろ……!」

「ほーん? それはあのねーちゃんに聞こえちゃうって意味? それとも、愛に聞かれちゃうって意味?」

「な、なんでそこで愛の名前が出てくんだよ! アイツはかんけーないだろ!」


「桜ちゃん、色々とありがとうね。肝試しの下調べだけじゃなくて、保護者役まで見つけてもらっちゃって。この埋め合わせは絶対するから」

「う、ううん、いいの。……私も、肝試しはやってみたかったから」


 肝試しを前にテンションが上がっているのか、浮ついた小学生達の会話を途切れ途切れに聞きながら、椿は思案する。

 

 椿が最後に同世代の友達と笑い合ったのは、一体いつ頃だっただろうか。

 中学生、小学生、それとも、もっと前? いずれにせよ、会話内容すら思い出せないおぼろげな記憶だ。

 

『苦しい……助けて……死にたい……殺して……殺させて……!』 


 物心ついた頃から、椿には怨霊達の怨嗟の声が聞こえていた。

 友人との会話時に、先代である母親との食事の時に、落ち着けるはずの一人の時間に。日常の中で唐突に聞こえる死者達の慟哭を聞く度に、椿の中での「死者と生者の優先順位」は、徐々に徐々に狂っていった。


 知人、友人と呼べる存在が、いないわけではない。

 母が死んで以降、週一で屋敷の掃除をしてくれるお手伝いさん。一人でいることが多い椿に何かとお節介を焼きたがるクラスメイト。なぜか椿のことを「お姉様」と呼び身の世話をしたがる、後輩の女の子。

 

 しかし、そうした彼女達との触れ合いを通しても、古明地椿のアイデンティティ――「生者よりも死者を優先する」は変化しなかったし、また本人も変わろうとは思っていなかった。

 それほどまでに、椿が日々受信し続ける怨霊達の声は凄惨で、そして憐れみを覚えずにいられないものだった。


「……椿さん、どうしたんですか? 一組目、準備できたみたいですけど」

「……なんでもないわ、桜ちゃん。それじゃあ始めましょうか」


 久しぶりに子供特有の無邪気さに当てられて、少しナイーブになってしまったのかもしれない。桜の不安げな瞳に見上げられハッとした椿は、それを表には出さないよう努めながら、肝試しの開始を宣言する。


「宗吾くん、もしお化けが出ても、しっかりと愛ちゃんを守ってね」

「他が遅れていい感じの雰囲気になっても、二人で変なこと始めんなよ!」

「う、うるせーよ、お前ら! ほ、ほら愛、さっさといくぞ」

「う、うん……!」


 一組目。宗吾と呼ばれていた男の子と、愛と呼ばれていた女の子のスタート。

 彼らを茶化す仲間達の声をどこか遠くに聞きながら、椿と桜は本当の姉妹のように隣り合って佇む。

 

「私たちの組は最後、か。よろしくね、桜ちゃん」

「は、はい。よろしくお願いします、椿さん。……椿さんには色々と、聞いてもらいたいこともあるので」 


 天津桜。この場で唯一、椿だけが知る世界の真実を、一時的にとは言え共有した女の子。復讐屋にして霊媒師、古明地椿の、数少ない理解者。


 そんな少女と椿の肝試しの夜は、こうして静かに幕を開けた。


          *


「佐久間が死んだってニュース、結構大きく取り上げられてましたね、椿さん」

「まあそうでしょうね。拘置中の犯人が死亡だなんて、日本じゃ珍しいことだもの」


 美大生殺人事件の容疑者、熱中症で死亡。拘置所の冷房不備が原因か。

 霞の殺された事件自体が大きく取り上げられていたこともあり、その犯人である佐久間の死亡ニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。


 人権団体の代表が語る。

 日本の罪を犯した人間に対する冷遇っぷりが明るみにでた。日本の司法は海外に比べ遅れている。容疑者への人権侵害だ。

 

 司法行政側の人間は語る。

 いや、事故のあった拘置所では、暑さ対策が十分に取られていた。今回の事案は極めて特殊であり、また熱中症の死亡と断定するには不可解な点が多すぎる。


 様々な情報が錯綜し、世の中が答えの出ない議論で盛り上がる中、唯一真実をしる自分たちはこうして肝試し中。初めてではないとはいえ、そのことに不思議な感覚を覚えながら、椿は桜と共にゆっくりと歩を進める。

 手に持った懐中電灯が、石畳の夜道を照らす。先に行った子供達は無事に辿り着いただろうか。不意に浮かんだらしくもない生者への思いやりに、椿はこっそりと苦笑した。


「椿さん。わたし復讐って、もっと後味が悪いものだと思ってました」

「あら。その言い方だと、復讐に満足したってことかしら?」

「はい、ざまあみろって感じです。ただ……そう思っちゃう自分は、やっぱり悪い子なんじゃないかって。優しいお姉ちゃんに顔向けできないんじゃないかって。ちょっとだけ不安になちゃって」

「……なるほど。それが心配で、私に話を聞いて貰いたかったと」


 復讐の後、桜のような感想を語る人間は珍しくない。

 なんの罪悪感も感じない自分は、どこかおかしいのではないか。人として間違っているのではないか、と。


 復讐心というのは燃え盛る炎と同じだ。

 憎い相手の存在を薪代わりに、激しく燃えて、燃えて、燃えて――復讐相手という薪が燃え尽きてしまった後には、無価値な消し炭しか残らない。

 それを「スッキリした」と感じるか、自らが燃やし尽くしたモノを見て後悔するかは人によって異なる。少なくとも天津桜は前者だった。これはそれだけの話だ。


「気にすることないわ。だって桜ちゃんが依頼しなきゃ、霞さんの霊は今も苦しみ続けていたんだもの。悪辣非道な男が相応の罰を受けた。霞さんも桜ちゃんも救われた。誰も文句なんて言わないわよ」

「……そう、ですよね。法で捌けない悪い奴を、私と椿さんで成敗した。文句のつけようがない、勧善懲悪のハッピーエンド、ですよね」


 夜風に笹の葉が揺れて、ざわざわと心を乱す。もう、道のりの半分ほどは過ぎただろうか。


 椿は自覚していた。控えめに言って、自分は碌でなしであると。

 椿が良識のある大人だったのならば、そもそも小学生に復讐なんてことをさせはしない。「子供がそんなことを考えちゃいけません」と叱り、諭し、桜を親元に送り届けていただろう。


 しかし、何よりも死者の無念を晴らすことを優先する椿には、そんな選択肢はとれない。たとえ大人失格だとしても、その判断はあり得ない。

 自らの耳で復讐屋の存在を知り、自らの足で屋敷に辿り着いた人間の望みを叶え、死者の怨みを晴らす。永く永く続く古明地家の、唯一にして絶対の掟。

 例えそれが、現代の倫理観にはそぐわないモノだったとしても。古明地椿には、今更その道を違えることなどできないのだ。

 

 ――だって。

 もし椿が正常な倫理観を取り戻し、儀式を行わなくなれば。オカルトとは無縁な、普通の女子高生になってしまえば。

 苦しむ怨霊に優しさを向けてあげられる人間が、この世から一人もいなくなってしまうのだから。


 だからこれは桜の言うとおり、勧善懲悪のハッピーエンド。

 それを疑う人間なんて、椿一人で十分だ。


「あの、椿さん。これ、受け取って貰えませんか?」

「……? これは――」


 なにか意を決したように、桜が立ち止まる。

 なにごとかと思い、椿が視線を向けると――


「――これは、手袋?」

「い、依頼を受けてくれたお礼です。本当は三万円ぐらいで買えるものを探してたんですけど、いきなり高級すぎるプレゼントも逆に迷惑かなって。いくら今年の夏が長引いても、流石にそろそろ肌寒くなってくる頃ですし」


 言い訳のような長台詞のあと、いかにも照れくさそうに手渡されたそれは、触り心地のいい黒の手袋だった。

 恐らくはカシミア製だろうか。椿もそこまで詳しいわけではなかったが、恐らく一万円ほどはするだろう。


「桜ちゃん、私は――」

「や、やっぱり私、なんの見返りも求めない善意って気持ち悪いので。私のためだと思って、大人しく受け取ってください」


 見返りがほしくて依頼を受けた訳じゃないから、受け取れない。そんな台詞を先回りで遮られてしまい、椿も言葉が続かない。

 恐らく椿がプレゼントを断るのを予測して、あらかじめ対策を考えていたに違いない。本当に頭の回る小学生だ。将来が末恐ろしい。


「……あらためて。ありがとうございました、椿さん。お姉ちゃんの無念を晴らしてくれて。私は椿さんのこと、間違ってるとは思いません」

「っ――――」

 

 ――ありがとうなんて、止めてほしい。

 私は、貴女が思っているような人間じゃない。

 例えどれだけ言葉を並べても、私のやっていることは悪だ。そんな人間に、お礼なんてしちゃいけない。感謝なんてしちゃいけない。

 霞さんに顔向けできない。それは、あなたを復讐に引きずり込んだ私の台詞だ。


「そ、そろそろ行きましょうか、椿さん。皆を待たせてるかもしれませんし」

「え、ええ。そうね。ちょっと急ぎましょうか」


 椿はそれらの本音を、飛び出す寸前で飲み込んだ。

 当然だ。これまでも散々怨みを晴らしておいて、今更どの口がそんな正論を吐けるというのか。そんなことを考える倫理観も、邪道へ対する忌避感も、とうに失われたはずではなかったのか。


「……これだから、生きてる人間は嫌いなのよ。暖かいったらありゃあしない」

「……椿さん?」

「な、なんでもないわ。ほら、行きましょう?」

「は、はい。……わ。送った私が言うのもなんですけど、この手袋暖かいですね」


 ――ええ。

 本当に、嫌になるくらい。

 

 そんな言葉をまたしても飲み込んで。椿と桜は手を繋ぎ、共に真っ暗な夜道を進んでいく。

 懐中電灯が照らすのは、足下に続く石畳だけ。その先に広がるのは、生者では見ることの出来ない暗闇のみ。


 古明地椿。復讐屋にして霊媒師。

 生者よりも死者を優先する、純粋にして歪んだ少女。

 

 これからも彼女はその歪みを抱えたまま、死者の怨みを晴らし続けるのだろうか。

 それとも。隣を歩く少女の温もりに触れ続けた結果、いつか自らの行いに悩み、苦悩する日がくるのだろうか。




 質問

 古明地椿は自らが悪であると知りながら、死者の怨みを晴らし続けますか?




 答えを知る者は、誰もいない。




 水平思考霊媒師ツバキ 了

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水平思考霊媒師ツバキ ~この問題に、非現実的要素はありますか?~ ソルティ @take4989

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