第43話 無傷

「聖女様」

「はい、勇者様」

「聖女様は知っていたのですか?」


 微笑む聖女様に向かって、俺は尋ねた。

 聖女様は微笑むばかりで、答えようとしなかった。


 構わず、俺は言った。


「この世界が俺の病気で、その副産物で、妄想で、」

「……」

「貴女は俺の病気そのもので、」

「……」

「そもそも、この世界が俺自身を殺そうとしていた」


 今も、九条梓を殺そうとしている。


「その事実を、貴女は、知っていたのですか?」


 即答だった。



 どこか自嘲気味な様子だった。


「知ったのは、ごく最近でしたから」


 聖女様は微笑みをもって、事実を告げている。

 そんな様子だった。


「どういう意味ですか」

「……」


 聖女様は答えず、俺のことだけを見ていた。


「――ところで」


 聖女は話を変えてきた。


「私を殺さなくてもいいのですか」


 本題だった。


「待っている方がいらっしゃるのでしょう?」


 聖女様の態度は変わらない。

 変わらないのに、気配が変わった。


「大丈夫です。勇者様」

「何を、」

「私は死んだりしません」


 神に祈りを捧げるように、両手を合わせる。


「絶対に」


 安心させるような笑みだった。


「……試してみないと分かりません」

「はい、試してみて下さい」


 それが合図だった。

 震える手で剣を握り締め、駆け出した。


 聖女様は動かない。


 切っ先が彼女の首を届く、直前。


 ガシャンと言うガラスが割られる音がした。


「え……?」


 何が起きたのか分からない。


 気付けば、俺は、聖母を模した天井のステンド硝子に叩きつけられていた。

 そのまま、ガラスの破片と共に、床に落下したのだ。


「大丈夫ですか?」


 美しいガラスの破片が散らばる中、儚い声が耳に届く。

 顔を上げれば、聖女様は心配げにこちらを見つめていた。


「……っ!」


 痛みに耐え、距離を取り、剣を握り締める。


「……」


 聖女様は何も言わず、床に散らばるガラスに目を向けた。


「……勇者様のことですから」

「?」

「勇者様はきっとご自身が壊したものに心痛めている筈です」


 細い指先が破片に触れた。


「ですが、問題ありません」


 そのまま、そっと破片を両手で包み込む。


「壊れたのでしたら、」


 聖女様はふっと微笑んだ。


「直せばいいだけの話ですから」


 瞬間、あり得ないものを見た。


「え――」


 散らばった破片が次々と浮いていき、

 天井に元通りのステンド硝子の聖母を形作っていった。


「……」


 痛みも忘れ、ただただこの光景に息を呑んでいた。


「これで問題ありません」


 聖女様は目を細めた。


「勇者様、周囲の修復はお任せください」


 冷や汗が背中を伝っていく。


「ですから、勇者様は何度でも、」


 目の前にいる少女は間違いなく、


「私を殺しに来てください」


 病気の根源そのものだった。

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