第42話 目

 音がする。


「          」

「          」

「              」


 地響きのような音がする。


 だけど、黒い塊が何かを言っている。

 悲鳴だと分かっている癖に。


 もはや声にすら聞こえない。


 あの赤ん坊と同じように、病原菌だと思い込めば、

 人が人でなくなった。


 ただの黒い塊に見え、随分と気が楽になった。

 それがただの逃げだと分かっていても、


 正気を失い、発狂するよりずっといい。


 だから、斬り続ける。

 斬って、斬って、斬って、斬り続ける。


 気を抜けば、現実の境があやふやになる。


 あの、引き摺れられて行く感覚。


 それを薙ぎ払うために、無我夢中だった。


「      あ」


 一瞬、音が声になる。


 小さな影だった。


 大きな塊にしがみつく、小さな影だった。

 子供だと、理解できてしまった。


「           」


 『子供』が懸命に何かを言っている。

 人の形を成していないのに、憎悪の眼差しが突き刺さる。


「           」


 非難の『声』だ。


 何を言われているのか分からないのに、

 それだけは分かった。


「……ごめんな」


 謝ったところで、許されたいわけでもなく。

 ましてや言い訳をするつもりもない。


 結局、殺すのだから、これは俺の、

 ただの自己満足だ。


 小さな影に剣を突き刺した。

 

 溶けて消える瞬間まで、その目がずっと俺を見続けている。

 そんな気がした。



* * *



 どれだけ時間が経ったのだろう。

 どれだけ殺したのだろう。


 斬っても斬っても斬っても、足りないとばかりに

 斬り続けた。


 息を乱し、走り続け、剣を振るい、


 その繰り返しだった。


 国一つ、大陸一つ滅ぼせるほどの力があればよかったのかもしれない。

 『魔女』となった彼女のように。


 願えばできる筈だ。

 だが、できなかった。


 願うのは簡単だが、あまりに大きな願いを叶えれば、

 駄目だと理性が訴えていた。


 都合がよすぎて気持ち悪いほどなのに、

 同時に魅力的だと思ってしまう。


 アンバランスな感覚だった。


 一歩踏み間違えば、現実を直視できなくなり、

 この世界に引き摺り込まれてしまう。


 そんな危機感を、常に意識し続けていた。


 なくなれば、きっと自分は駄目になってしまう。


 ―――だから、早く、


 早く早くと、気が急ぐ。


 ――早く聖女様に会わないと。


 気付けば、聖女様のことばかり考えていた。


 ――早く聖女様に会わないと。


 ――早く聖女様に、


『会いたい』


 バチリと、何かが鳴る音がした。

 直後、身体が後ろに向かって傾いた。


「え――」


 ふわりとした浮遊感だった。


 ――地割れが起きて、落ちたのだ。

 

 理解したのは、落ちた後だった。



* * *


「う……」


 落下した衝撃で意識が飛んでしまったらしい。


 頭痛にも似た意識の混濁が、徐々に回復していく。

 すると、身体を起き上がらせ、顔を向けた先に、


「え……」


 教会があった。

 その教会には、記憶のものと完全に一致した。


「なんで……」


 世界を壊し尽くさないと、

 聖女様の元には辿り着けない筈なのに。


 なのに、なんで、


「……っ」


 手が勝手に震え出した。

 剣もろくに持てない。


 それでも無理矢理握り締め、一歩一歩教会に近付いていく。


 その一歩一歩がやけに長く感じた。


 教会の扉に手をかける。

 扉は拒むことなく、ゆっくりと開いた。


 ――息を呑んだ。


 教会の中は神聖な空気に包まれていた。

 神に祝福された光を浴びながら、


 教会の奥には、一人の少女が祈りを捧げていた。


 ――教会は苦手だった。

 

 なのに、度々足を運んだのは、

 『彼女』に会って、話がしたかったのからだ。


 ――会いたかったのか、俺は。


 ストンと、そんな感情が落ちてきた。


 だけど、それも今日で終わる。


「………」


 わざと、足音を立てて近付いた。


 瞬間、銀色の髪が揺れ、赤い瞳がこちらを映す。

 

「……」


 驚いたのも一瞬で、すぐに慈愛に満ちた微笑みが向けてきた。


「おかえりなさいませ」


 少女は微笑みと共に、こちらを迎え入れる。


 その姿は紛れもなく、


「勇者様」


 聖女様のものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る