内的必然性

 吉見は、指折り数える。一連の殺人事件で被害者となった人の数を。親指から人差し指、中指……と、プロフィールを思い出しながら、時間をかけて折り曲げていく。右手がグーになったところで切り上げた。

 老若男女、職業、生年月日、血液型、趣味趣向を問わず、なにを信仰していようとお構いなしに。保守あるいはリベラル、もしくはノンポリ。持病、障害のあるなしにかかわらず、どこの誰であろうと分け隔てなく平等に被害者になっている。多様性に富んでいて、一見共通点などなさそうにも思えるが、死に様が一様だという点で皆が共通している。たとえ犯人が同じだとしても、同じ範疇にある事件だとしても、あくまで一つ一つ個別の事件で、ひとくくりにはできない一人一人。

 被害者の数からしても、犯人の特定に至っていないことからしても、自分たちの手に余る事件だということは、もうすでにだいぶ前からわかっている。それでも、できることはまだあるはずだと、吉見は性懲りもなく関わり続けている。

 デパートの屋上遊園地。機関車にまたがった子どもが、父親の向けるケータイのカメラにピースサインを送っている。青いベンチに座る吉見の傍らには、皆川に渡すプレゼントの入った紙袋がある。

 なんの義理あってのプレゼントなのかもよくわからないままに、ふと思い立ち、休日だということもあり、街に買いに出かけた。店に入って、目に付くが早いか、所望した。店員は慣れた手つきでラッピングすると、「きっと喜ばれると思いますよ」との一言を添えて、紙袋を吉見に手渡した。

 受け取って気づいたことがある。欲しているものが明確で、具体的にそれを思い描けているというのは、幸せなことなのだと。なにがしたいのか、なにを求めているのか、自分でも自分の本心を見失っている吉見は、皆川のことを、少し羨ましく思っていたのだと。

「……あの、すいません」

 白いハットを被った女性が話しかけてきた。

「なにか?」

「子どもがいますので煙草、消してもらえませんか」

 彼女の子どもはというと、だいぶ離れたところで、百円で動くパンダにまたがり、ハンドルを握っている。

 吉見は、おとなしく従う。携帯灰皿に吸い殻を入れるのを見届けると、彼女は子どものもとへと引き返していった。ただそれだけのことを言いにわざわざ近づいてきた。喫煙者にとって世知辛い世の中になったものだと、吉見は思う。かといって、時流に合わせて吸うこと自体をやめられるかといったら、とてもじゃないが、やめられそうになかった。


 シグナルが赤から青に切り替わったのを見て、エンジンを吹かす。

 見通しのいいコースを道なりに進んでいく。ハンドルは十時十分。運転する者の心掛けとしては安全運転に徹すること。だというのにさっそく、後ろにぴったりつける車が現れた。距離間が一定に保たれた緊張状態がしばらく続いたのち、ボンネットがぐんぐん迫ってくる様子がサイドミラーに映る。自車が前に押し出された。今の衝撃で首がつんのめった。

 二度三度とぶつけてきて、右側方から追い抜いていった。追い抜きざまに、ゴリラ顔のモヒカン頭に煽られた。さっさと先に行けばいいものを、いつまでも前方にいて、行く手を塞ぐ。

 そんな時に拾ったのがファイヤーフラワー。ゴリラの尻めがけて火の玉を投げつける。これが見事にぶち当たり、その場でくるくるスピンする。

 テレビ画面を二分割して私たちは、レースゲームを楽しんでいる。亮は赤い帽子を被ったチョビ髭の、私は恐竜を模したキャラクターをそれぞれ採用している。思い思いにカスタマイズしたマシンに乗り込み、プレイヤー同士邪魔し合いながら、道中落ちているアイテムとコース上に仕掛けられた様々なギミックを駆使してトップを狙う。

 スターを身に纏ったのをいいことに、前を走る赤い帽子のカートに体当りする。

「あっ、なにをする」

 予想通りの反応に、私は笑いたいのをこらえつつ、順位を一つ上げる。

 カラフルなタイルが敷き詰められた、きらびやかなステージ。レインボーロードとかいうゲイパレードの開催地みたいなネーミングのこのステージは、極端にフェンスが少なく、すぐに銀河の星屑となってしまうので気が抜けない。スタート早々から一悶着、二悶着あって、順位がころころ入れ替わる。コントローラーを握る手にも自然と力が入る。

「あのさ」

 そんな大事な局面で、話しかけてくる不届き者がいる。

「なに?」私は、画面に顔を向けたまま応じる。

「……いや、やっぱりいいや」

「なによ。気になるじゃない」

 あ。前方不注意で、私の操作するカートはコースを外れ、底なしの闇へと消えていった。みるみる順位が下がっていく。

「今一位、走っていたんだけど」

「それは、ごめん」

「で、どうしたの?」私はこのレースを諦めて、コントローラーを床に置く。

「……ごめんなさいでした」

「もういいよ。ゲームだし」

「じゃなくて、カンディンスキーの件」

「ああ」すぐに思い当たった。「いや、でもそれって、いつの話よ?」口ではそう言っているが、私はちゃんと覚えている。日付まで覚えている。

「君のお兄さんがうちに来た時」

「覚えているんだ」

「いつ、どこで、誰とどんな話をしたのか、それくらいは覚えていないと、刑事は務まらない」

「そうなんだ」

「あの時、なにを言おうとしていたのか、今更かもしれないけれど、教えてもらえないかなと思って」

「そういうのって普通、ゲームやっている時に訊かないよね」

「そうかな」

「そうだよ」

「わかった。ゲームしながら、じゃなくて、ちゃんと聞くから」

「……話の腰を折ったりしない?」

「しない」

「混ぜっ返したりしない?」

「しない」

「なら……わかった」

「カンディンスキーの内的必然性のことなんだけど」

「私もそれ、大事だと思ってる」

「調べてはみたものの、結局なにが言いたいのか、要領得ない感じがあったのよね」

「早い話が、作品を作る上で拠り所となるものだよ」

「自分自身のうちなる必然性に従って作っている。というのはわかった」

「そうだね。それでなければならない。なるべくしてそうなった」

「それというのはさ、一人一人違うものなの? ええっとつまり、作り手の数だけ内的必然性はあるものなの?」

「別に作る人じゃなくたって、なにかを選んだり、決めたりする場面は誰にだってあるでしょ? その時に直観であるとか、今までそうしてきたからそうする、みたいなものに従って物事を決めていない?」

「こだわりも?」

「そういうのも含めて。人に言ったところで、たぶん、おそらくきっと理解されないであろう感覚的な部分」

「他人の内的必然性を窺い知る機会はないわけ?」

「ない……んじゃないかな。だって、なんでそうしたの? とか訊かれても、そりゃあ色々と理由はあるよ。あるけれど、それが人にちゃんと伝わって、納得させられるかというと、心許ない」

「そっか」

「結局のところ、そうしたかったからそうした。みたいにしか応えられない。もし、答えがあるとすれば、出てきた作品が答えそのものだから」

 そっかそっか、なるほど。しかしあれだな、内的だから……。と亮は、独り言をぶつぶつ言いながら、考えを組み立てている。いつしかその独り言すらも失われ、黙考に沈む。私は、亮の横顔を飽かずに見守る。

「……内的というからにはさ」

 おもむろに口を開いた。

「その反対側には当然、外的なのもあるんだよ。外的必然性」

「はいはい。内的に対しての」

「それがつまり、自然法則なわけでしょ? たとえば、ものが燃えるという現象があるけれど、その前後でものの重さは変わらない。みたいな、古今東西でこれから先も変わらないというような、不変的で、再現可能な」

「科学的な、ね」

「自然科学で言うところの理由が外的必然性だとすると、内的必然性というのは……自由。になるんじゃないかな?」

「そうそうそれ。そういうことだよ」

「理由が万人に開かれているのに対して自由は、その人自身が根拠となっている」

「そうねぇ。絵を描くにしてもやっぱり、思いつきありきで想像は膨らんで……とはいえ、膨らますだけでは収拾つかなくなるから構成を考える。技術的なところは教科書にも書いてあるけれど、じゃあそもそもの思いつきはというと」

「自分にしかわからない?」

「かな」

「ブラックボックスなんだな、つまり。入出力は共有できても、その中身については個人的過ぎて、傍からだとどうなっているのかわからない」

「そんな感じかな」      

「ふ~ん。いや、ありがとう。お陰でだいたいわかりました」

「ほとんど自己解決していたみたいだけど」

「そんなことないよ。澪がどういう考えを持っているのか知りたかったわけだし」

「ならよかった」

 私は、コントローラーを手に取り、長いこと止まったままの状態だったゲームの一時停止を解こうとする。

 いや、でもちょっと待てよ。

 そう言ってから、しばらく間があって、

「だとすると、クリエイトな行為っていうのは、独り善がり。ということになるのか」

 ピシッ。と、私の心のどこか深い場所に亀裂が入った音がした。おそるおそる訊いてみる。「なにそれ、どういう意味?」

「その理屈はだって、作り手その人だけにしか通用しないんでしょ? てことは、作品を作るだけ作って自己完結しちゃっているみたいだから、絵を見る人の存在は、蔑ろにしていることにならない?」

 亮との間に距離を感じる。問題意識こそ同じだったが、行き着く先はすれ違っていた。言いようのない寂しさに、私は返す言葉が見つからない。

「どうかした?」

「いや、なんでも」

 これだけ近くにいたとしても、私たちの間には、どこまでいっても隔たりがあるみたいだ。そう思うと、いたたまれなくなる。すっかり身の置きどころを失くした私は、たまらず家を飛び出した。

 引き止めてくれるのを少しばかり期待したが、どうやらそれはないらしい。家を出る時いつものくせで、玄関に置いてある財布とフックに引っ掛けてある鍵を持ってきてしまった。私はまだ、あの家に戻る気でいるみたいだ。

 みんな死んでしまったのではないかと思えるほどの静かな夜。かと思いきや、コンビニからステテコを穿いた生き残りが出てきた。車の往来も絶えて、赤信号一人で渡っても、怖くもなんともない。夜道をあてどなくさまよっていたら、いつの間にか川の近くを歩いていた。

 暑い時期には近所の子どもたちが水遊びするようなこの場所。しゃがんで手を伸ばすと水面に触れられる。それだけに、入水するにはちと浅すぎる。もちろんそんなつもりは、微塵もないのだけれど。

 石段に座って流れを見つめる。岩肌に触れ、鱗のような波紋を描く。その下を黒っぽい鯉が鈍重そうに泳ぐ。水のせせらぎとか、水面に反射する光の揺らめきとか、ぼんやり眺めていたら、少し落ち着いてきた。大抵のことは水に流れて、時間が解決してくれる。よくよく考えたら、家を飛び出すほどのことじゃなかったかもしれない。

 元々別々の人間だから、わかりあえないのは当然かもしれない。むしろ、わかりあえないからこその自由なのかもしれない。他人の心のうちに関しては、わからないけれど、わからなくもない。せいぜいその辺りが妥協点なのだろう。といったところに考えは落ち着いた。そうしたら、この時間はなんなんだろうと思えてきた。帰るきっかけをすっかり失くしている。 

 人の気配がしたので、顔を上げると、川を挟んだあちら側に亮がいた。飛び石を伝って、こちら側へとやってくる。

「こんなところにいましたか」

「……よくここがわかったね」

「分かれ道に差しかかる度にどちらにしようかなって、天の神様にお伺いを立てていたら、ほら会えた」  

 それにしては、額に薄すら汗をかいている。

「ばかみたい」

「ごめんね。無神経だった……かな?」

「どうだろう」

 私を見つけたことに安堵したのか、一服しはじめた。

 私は、財布から紙幣を一枚抜き出し、膝の上で端と端とを重ねたり、折り目に沿って折りたたんだりする。ごく普通の一般的な紙ヒコーキ。この折り方しか、私はヒコーキの折り方を知らない。「ねぇ、ライター貸して」

 亮にそう言うと、ライターを下手で投げてよこしてきた。それを私は、両手でキャッチする。歯車的なのを親指の腹でこすり、機首に点火する。私は手首のスナップを利かせて宙に放つ。機体は翻り、たいして距離を伸ばさないうちに鼻から墜落する。火の手は全体に広がり、間もなく燃え尽きた。

「……一応それ、犯罪なんだけど」

「でも証拠がないでしょ」

 亮は肩をすくめる。

 私がヒコーキにして、火を点けたのはただの紙切れ。それなのになんで私が、捕まらなければいけないのか。

「帰ろっか」

 差し出された手を、私は握った。

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