食べかけの蜜柑

紫乃

食べかけの蜜柑

 私は大きく息を吸って精神統一をした。「入っておいで」の言葉を合図に緊張で震えている手を抑えて扉を開けた。「じゃあ、自己紹介してくれる?」と先生に言われて口を開いた。そして最初に口から出てきた言葉は「い、いただきます!!」だった。凍りついた教室の空気に気づき、後悔の念が私の元に押し寄せてきた。


 あの悪夢の転校初日から早数日。私はすっかりいじめっ子に魅入られていた。


「よ、給食当番」


 最初は誰のことかわからなかったが、どうやらそれが私のあだ名らしい。「いただきます」という発言が記念すべき第一声だったのだから当然といえば当然だろう。


「これやっといてくんね?」

「わ、わかった……」


 手渡されたプリントはズシリと重い。内容を見ると今日渡された課題だとわかったが、それにしては枚数が多すぎる。何人か分が纏められているようだった。


「はあ……」


 一人溜息をついて、私はそれを鞄に仕舞って帰路に着いた。

 

 その日の晩のことだった。いつものように明日のことを憂鬱に思いながら眠りにつくと、変な夢を見た。私は大きな鏡の前に立っており、自分と睨み合っている。


(何だこれ……?)


 そう思いながら鏡を見ていると、鏡に映った「私」が私の顔を突いてきた。


(何で鏡の中の自分が別の動きを……)


 そこまで考えたところで青ざめた。


「もしかして、ドッペルゲンガー!?」

「煩い」

「喋った!?」


 鏡の中の私、便宜上「私」とするが、「私」は耳の穴を穿りながら心底面倒臭そうに言った。


「『私』が見えるってことはなんか困ったことがあったってことだろう?最近困ってること、悩み、何でもいいから列挙してみな」


 「私」は床に寝そべって私を見上げながら言った。私は少し考えてから「いじめられてる!それが困ってることだ!」と叫んだ。またしても「私」は顔に煩いと書きながら言った。


「そうか、それが私の悩みか。よし、それなら『私』がいじめっ子を遣っ付けてやろう」

「本当に!?」

「ああ、それが『私』の役目だからな」


 本当に重たそうな腰を「私」が上げると、「じゃあ、また」と言ってどこかへ去っていた。追いかけようと思ったが、足が重たくてその場から動くことができなかった。そうこうしているうちに目が覚めた。


「変な夢だった」


 朝起きて開口一番に夢の感想を述べると、登校のために身仕度をした。


「今日も乗り切ろう」


 玄関の扉を開ける前に両頬を叩いて、おまじないを唱えると「行ってきます!!」と出来るだけ明るく振舞って家を出た。


 学校に到着すると、すぐに昨日渡された課題を持ち主へ渡しにに行った。


「あの……これ……」


 私が恐る恐る声を掛けると、仲間と談笑していた生徒たちが一斉に私を見た。中心人物が「あ?」と迷惑そうに睨んできたかと思えば、私の顔を見た途端に怯え始めた。ついには「すみません、すみませんでした!!課題、本当にありがとうございます!!もうこんなことは金輪際致しません!!」と額が膝に引っ付きそうなほど謝ってきた。その反応に私も驚いて「こちらこそ、すみませんでした!!」と何に対しての謝罪かも分からず、その場から逃げた。


 この日以来、怯えられることが増え、いつの間にか私はいじめっ子になっていた。


「あー、これやっといてくれる?」


 私は箒を近くにいた生徒に私、帰り支度を始める。


「え、でも……」

「なに?」

「いや、何でもない……」

「じゃあ、あとはよろしくね」


 手をひらひら振って私は帰宅する。掃除も課題もしなくていい。ジュースを買ってきてと言えば誰かが買ってきてくれる。


(天下、最高)


 そう思いながら、居間で舟を漕いでいると再び鏡の前に立っていた。


「来たか」

「久しぶり〜〜元気だった?」

「まあな、お前は寧ろ元気すぎるな」


 相変わらず『私』は態度が悪い。胡坐をかいて蜜柑を食べている。


「その蜜柑、頂戴」

「ダメだ。これは『私』のだからな」

「吝嗇家め」


 最近人に譲ってもらえないものがなかったため、私は気を悪くした。だが、それもこれも『私』のおかげだということを思い出し、礼を言った。


「いじめっ子、遣っ付けてくれたんだね。ありがとう」

「いいんだよ、別に」

「おかげで立場が逆転したよ」


 その言葉に『私』の蜜柑を食べる手が止まった。


「そうか」


『私』はそれだけ言うと、スクッと立ち上がって蜜柑を置いて去っていった。私はその蜜柑を食べようと手を伸ばしたが、鏡に阻まれて食べることは叶わなかった。


 『私』が蜜柑を置いて去っていったあの日から、誰も私のことを怯えた目で見なくなった。私が好き放題していたことでクラスの大半の反感を買っていたらしい。以前よりもいじめがエスカレートした。物が無くなるのは日常茶飯事だし、無視されることもしょっちゅうだ。だが、『私』と夢で会うことはなかった。


 そんなある日、先生が2人目の転校生がやって来ることを朝のホームルームで告げた。


「入っておいで」


 先生のその言葉を合図に、前方の扉が開く。現れたその姿形に思わず私は声をあげた。


「じゃあ、自己紹介してくれる?」


 その転校生が語った名前は私と同姓同名だった。顔や背格好までもが瓜二つだ。教室中が騒ついていた。


「あれ……なんでこんなことが?もしかして、君たち双子なの?」


 先生がぽりぽりと頭を掻きながら聞いてきたが、「違います」と私が即座に否定する。


「じゃあ、なんで……」

「なんでってそんなの決まってるだろう?」


 私に瓜二つの転校生が先生の言葉を遮ってニヤリとほくそ笑んだ。


「いじめっ子を遣っ付けに」


 私はその言葉を聞いて、その転校生が『私』だと確信した。そして、歓喜の涙が出そうになったところではたと気づく。


(なぜ夢の中にしかいない『私』が現実の世界にいるんだ?)


 そう思った途端、恐怖で体が震え始めた。そんな私を見て、『私』が真っ直ぐ私の方へと歩いてくる。


「ここは一体どこなんだ!!!!!」


 そう叫ぶと同時に。耳元ではチリリリと煩くなり続ける目覚まし時計が転がっている。日付を確認すると、それは転校初日の日だった。


「なんだ、全部夢か」


 安堵して、掛け布団を退けようとした時、手が何かを握っていることに気が付いた。それは食べかけの蜜柑だった。

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食べかけの蜜柑 紫乃 @user5102

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