パンプキン・クッキー・モンスター! ③

 ヒロがSNSに写真を投稿したいというので、俺たちはホラーハウスの前でツーショットを数枚撮った。誤解が深まりそうだなと思いつつも、まぁいいか、というのが本音だった。ヒロが彼女だと思われても、俺は特に困ることはない。ヒロが困るのなら、ヒロの方でどうにかするだろう。

 満足したヒロに引き摺られるようにホラーハウスへ入り、怖がるヒロに何度も肩を殴られて、それでも「ホラーハウス楽しかった♡」とSNSに投稿するヒロが理解できなかった。

 その後もいくつかのアトラクションを回り、コーヒーカップを高速回転させてヒロに怒られたところで、俺たちは中央広場へと戻ってきた。空いたベンチを見つけてヒロを座らせ、近くの自販機で適当にジュースを買ってきた俺に、ごちごち、とヒロが笑う。お前の奢りじゃなかったのかよ、というツッコミは飲み込んでやった。


「ふわー、久々のゆーえんち、めっちゃ面白かったあぁー」

「まだちょっと時間あるけど、しばらくここで休憩しようか」

「体力使い切っちゃったらステージ楽しめないもんね~」


 ご機嫌のヒロがペットボトルのキャップを捻り、ぷしゅ、と小気味良い音を立てた時、目の前を黒い人影が凄い勢いで走り抜けて行った。


「何、今の?」


 顔をあげたヒロが疑問を投げ、困惑する俺たちの前を、黒いマントを羽織ったメガネの男性が駆け抜けて行く。


「待てユズカー! 止まれドアホー!」


 どうやらその人は、先に駆け抜けた誰かを追っているらしい。ユズカ、と叫びながら。偶然同じ名前の人なのか、俺が空耳をかましたのか、それとも……?


「あ、今の人もニシさんと同じ衣装だ」

「なんだって?」

「えーと、まほペン? 夏にアニメやってたやつの制服」


 俺は確信した。間違いない、逃げていたのは俺の知ってるユズカだ。ヒロの言った「まほペン」とは、今年の夏にアニメ化されたライトノベルで、俺とユズカが仲良くなったきっかけの作品だった。


 まだ一年生の頃、執行部の活動で放課後の各教室を見回っていた俺は、A組の教室で本を読んでいたユズカに声をかけた。

 俺は下校を促さなければいけないのに、つい「その小説、俺も好きなんだ」って、余計に帰れなくなるようなことを言った。同じクラスなのに話したことがなかったユズカとの、意外な接点が嬉しかったんだ。

 物語の好きな場面がことごとく同じで、時間も忘れて話し込んで、二人揃って見回りの先生に叱られて。暗くなった駅までの道を一緒に歩いて、その間もずっと語り続けて――あの日から、俺とユズカは確かに友達だった。

 執行部員としてのプライドとか。

 学園の模範たれ、なんて信念とか。

 あの日の俺に、そんなことは、何ひとつ関係なかったんだ。


「何で追いかけられてるんだろうね……ちょっと、犯罪の匂いしない?」


 ヒロが物騒なことを言う。あれ兄ちゃんだろと俺が返すと、ヒロはふるふると頭を振った。


「今の人、さっき一緒にいた人とは違う人だよ?」


 ヒロの言葉に、俺は即座に立ち上がった。アイツ兄ちゃんじゃないのかよ。同じ衣装を着ているのなら、知り合いではあるんだろうけど……だったらどうして、ユズカはあんな勢いで走って逃げてるんだ?


「ヒロ、追うぞ!」

「えっ、えええ!?」


 返事を待たず駆け出した俺を、後ろからヒロが待ってよぉ、と言いながら追いかけてくる。実は俺よりヒロの方が足が速いから、ヒロのことはあんまり気にしてない。ユズカとは距離がありすぎたので、俺はメガネの男を追った。

 ところがメガネ氏、あっという間にへたり込んでしまった。見るからにインドア派っぽい感じがするしな……ユズカは全く見えなくなり、追いついてきたヒロがどうすんの、と俺の背を叩いた。

 そんな俺たち二人のことを、メガネ氏は全く気にしていない。おそらくユズカが走って逃げただろう方角に向かって、俺とヒロはゆっくりと歩き出し、何食わぬ顔でメガネ氏の横を通り抜けた。


「あのドアホっ」


 焦った様子で周囲を見回していたメガネ氏は、小声で悪態を吐きながら、俺たちの横を駆け抜けて行った。猛ダッシュだ。


「ニシさんがあんなに足早いなんて思わなかったね、体育祭でリレーの選手頼めるんじゃない?」

「んなこと言ってる場合かよ、犯罪の匂いはどうした」

「んー、さっき気付いたんだけどね。今の男の人、ちょっとニシさんに似てない?」


 そう言われても、俺の脳内にはメガネしか情報が残っていない。良くみたらイケメンだったしぃ、とヒロがはしゃいでいる。どこまでも美形に弱い女、エガワヒロコ。

 その時、真横の植え込みがガサガサと音を立てた。んぎゃっ、と謎の奇声まで聞こえてくる。まさかと思いつつ覗き込むと、植え込みの奥には、まほペンの衣装を着たユズカが埋まっていた。


「こ、コガケン殿、匿って頂きたく候! 今の御仁は拙者の兄上でござるぅ!」


 いろいろと散らかった時代劇調のセリフを放ったユズカは、尻から植え込みに嵌って立ち上がれないようだった。俺はもうユズカの奇行に慣れているけど、耐性のないヒロは堪えきれず、ユズカを指差して笑い転げた。


「あはははは、ニシさんなにそれ、美人が台無しなんだけどおぉ!」

「身を隠そうと飛び込んだら立てなくなったのでござるよ! 面目次第もござらぬ!」


 ユズカを植え込みから引っ張りあげた俺たちは、あまり人目に付かない場所へ移動する事にした。こんなところで騒いでいたら、兄上に見つかってしまうから。


 ヒロの提案でイベントステージの裏手にある休憩所に来ると、そこにはほとんど人がいなかった。アトラクションと距離があるせいで、ステージのない時は寂れているようだった。

 ベンチに三人で腰掛けると、俺が女子二人をはべらせてるみたいになった。執行部の連中には絶対に見せたくない姿だ……頭の上には黒猫帽子、両サイドには可愛い魔法使い。ヤバいな。


「まさか、ユズカが来てるとは思わなかったよ」

「えへへへ、お兄ちゃんが大学の友達と遊びに来ててね、ユズカも一緒に来ちゃった~」

「あ、それで同じ衣装の人がいっぱいいたんだ。でも、どうしてあんな勢いで逃げてたの?」


 ヒロが問いかけた途端、ニコニコしていたユズカは急に俯いて、その目には一気に涙が溜まった。


「ご、ごめん、言いたくないなら言わなくてもいいよ!?」

「ううん、そうじゃないんだけど……言っても、いいの? エガワさんは、ユズカの話を聞いてくれるの?」

「えっ……私の名前、知ってるの?」


 俺たちは顔を見合わせた。正直言って驚いた。ユズカは執行部でもないのに、同じクラスになったことのないヒロの名前を知っているのか……ヒロが「不登校のニシさん」を知っているのとは、わけが違う。


「ユズカはヒロを知ってたのか。なんでだ?」


 直球で聞いてみると、ユズカは暗い顔で俯いた後、上目遣いでヒロの方を見た。言い辛そうに、おずおずと口を開く。


「えっと……クラスの女の子たちに、怒られたことがあるの。コガケンはエガワさんと付き合ってるから、馴れ馴れしくしちゃダメなんだって……」

「うわ、まだそれ信じてる人いたんだ。違う違う、私たち、ただの幼馴染なんだよ」


 さすがのヒロも苦笑いだった。えらく懐かしい話だ。俺が生徒会長に立候補した時に、ライバル候補にそんな噂を流されていた。女子票を削ぐためのくだらない工作、ジョークのネタにしかならない噂。ユズカはそんな学内の世情なんて、無関係だと思っていた。


「ほんと?」

「ホントホント。だいたい私、恋人は美形じゃないとダメ派だから、コガケンじゃ無理だよ」

「そうそう、コイツすっげー面食いなの。今日だってさ、宮路シグマ目当てで付き合わされてんだぜ?」


 俺たちを交互に見つめたユズカが、じゃあ話を聞いてくれるの、とヒロに聞いた。

 普段のおちゃらけた口調とはかけ離れた、ひどくか細い声だった。


「聞くよ。どんなに重い話でも、どんなに下らない話でも……私とコガケンは、ニシさんの話を、全部聞くよ」


 ヒロの言葉に安堵したのか、ユズカは衣装の袖で涙をぐしぐしと拭いた。


 ユズカの話は特に重くもなく、だからと言って下らなくもなく、要点をまとめれば「お兄ちゃんの彼女に大嫌いだと言ってしまった、つい走って逃げたらお兄ちゃんが追いかけてきた」ということだった。

 何でそんなことを言ってしまったのかとヒロが問えば、ユズカは恥ずかしそうに俯いた。


「彼女さんが友達とケンカして、ひどいことを言ったの。でもね、それはユズカが文句を言うべきことじゃなくて……わかってたのに、ひどいよって、言っちゃったの」

「どうして我慢できなかったの?」

「いつもなら誰よりも先に怒るはずのお兄ちゃんが、彼女さんには怒らないことが、すごくすごく嫌だったの」

「ヤキモチ、やいちゃったのかな」

「わかんない……そう、なのかなぁ」


 ヒロが、丁寧にユズカの話を聞き出していく。女子相手のこういう話は、俺よりもヒロの方がはるかに上手だ。そのまま黙って任せることにした。


「もしも他の人が同じことを言ったら、きっとお兄ちゃんはすっごく怒るのにって。彼女さんといると、お兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなくなっちゃうみたいで」

「わかるよ。そういうこと、あるよね」

「うん……だからね、ユズカは本当は、お兄ちゃんに対して腹が立ったの。なのに、彼女さんに八つ当たりしちゃった……」


 するすると本音を告げるユズカは、俺が知ってる普段のユズカとは別人だった。

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