いつかあなたに刃を向ける時

泥んことかげ

第 壱 章 〝悲壮の旅立ちと大いなる宿命〟

前へ進むには、ほんの一握りの勇気だけ

第 壱 輪【目の前の世界は所詮ほんの一部分に過ぎない】


 辺りを温かく包み込んでいた陽が沈んでから幾時間が経った頃。


 人里離れた山奥にとてもとても古びた手作り一軒屋がある。


 その中では仲睦まじい、こんな会話が繰り広げられていた。


「ねぇ~お祖父ちゃん?……、これっぽっちなの?」


 桜色の澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめながら、よわい十五の少女。


 桜香おうかは、そう静かに言った。


 華奢きゃしゃな指を本日の食糖しょくとうへ向け、を避けながら首を右へ傾ける。


 そして、瞳と同色の手入れが行き届いた長髪が、無造作に地面へと垂れ下がる。


 桜香おうかと目があった老体は、残像している太く年季の入ったしわだらけの指を使う。


 床に敷かれた布上ぬのじょうの〝野草の山盛り食べ比べ盛り〟。


 それと、2匹の小さな〝川魚〟を指差した。


「おうよ。儂が取ってきたんだ――これっぽっちだが何か問題でもあるか?」


 「ほれ旨いぞ」と口一杯に頬張りながら、そう自信満々に答えたのは、同居人もとい|亡き母の父。


 桜香おうかの祖父に当たる雅流風がるふだ。


「あのねぇ……毎日毎日、野草と週一しか出ない小魚じゃいい加減、餓死がししちゃうよ!!」


 山積みになっている野草越しに、桜香おうかは日々の鬱憤うっぷんを言葉に乗せて怒鳴り散らした。


 顔を真っ赤にしている孫を見て、老体は深い溜息ためいきと共に口を開いた。


「それでも、お主はここまで成長した……性格以外はな……」


 視線を桜色の瞳から下へ向け、また瞳を見ると眼を細めながら感慨深そうにする。


 その言葉に怒り心頭で立ちあがり、足早に出口へ向かおうとしたその時だった――


わしの娘――お前の母さんは文句も言わずに毎日食べた。そして立派な〝花の守り〟となり、その名を轟かせたんじゃ」


 老体はその胸を張りながら壁に掛けてある一本の刀を、懐かしそうに見ながら話を続けた。


 毎日のように聞かされるその話が、桜香おうかは嫌で嫌でしょうがなかった。


 祖父雅流風がるふによれば桜香おうかの母〝三月みづき〟は、幼い頃に殉死した。


 そして、当時使っていた愛刀と共に桜香わたしは引き取られる事となる。


 物心付いた時から興味本位で刀を持ち出しては、1人でごっこ遊びをしていた。


 祖父が自慢気に話す〝この世でもっとも美しい刀身〟で。


 強引にさやから引き抜こうにも微動だにせず、幾年の歳月が過ぎたがだった。


 微妙な面持ちをしながら、私は無性に腹が立った。


 祖父が話す〝外の世界に決して出るな〟と言う、言葉の意味を理解したくなかったからだ。


 桜香おうかは、うつむき唇を強く噛み締めると、母の形見と祖父を交互に睨む様に言った。


「……いつもそうやって言うけどさ、お母さんやお父さんはもう居ないし、〝植魔虫しょくまちゅう〟だって来ないんでしょ?」


 背にある扉の取っ手を握り締め一息深呼吸をすると、若さゆえの軽はずみな気持ちで祖父に言った。


「だから、私1人でも街へ行くからね!! もう、子どもじゃないんだから平気!」


 鼻を鳴らしながら桜香おうかは、暗く冷たい雰囲気漂う夜の森へと向かった。


 足腰の弱い老人は制止が出来ず、闇夜に消え行く孫娘を呆然ぼうぜんと眺める事しか出来なかった。


 その顔には懐かしさと、どこか煮え切らない気持ちが混濁こんだくしているようだった。


 雅流風がるふは、山積みの野草を無意識に一摘みだけ口に含みながら、壁に飾られた刀に向かって優しく語りかけた。


 2人でいる時に語りかけると、自らを置いて亡くなった母を思い出したくないのか、桜香おうかは嫌がる素振りをいつも見せる。


 だが、時々寂しさを紛らわす様に娘に対して話掛けるように、刀に向かって孫の話を嬉しそうにする。


 それが、最近のちょっとした楽しみだった。


三月みづき……本当にお前そっくりの子だ。嬉しい反面、また失ってしまうかと思うと気が狂ってしまいそうじゃよ」


 優しくそれでいてやんわりとした表情で、天から見守る娘へ懇願するように、口を再び開いた。


「手塩にかけた我が子の愛娘に、愛情を注げるのは、今生きている儂だけじゃ。どうか安らかに、あの子の――未来を見届けてくれんかのぉ?」


 老人の言葉おもいは〝亡き娘〟へ伝わったかの様に、あわい灯りで照らされたさやが、いつもより輝いていた気がした。


 桜香おうかが、また機嫌を取り戻して夕食を食べれるように、2匹の小さな川魚を野草で包み込んで腰袋に入れる。


「今は月明かりが出る夜。ここら一帯にいる朝日を好む〝植魔虫ヤツら〟も、行動はしてまい……もし、居たとて動きがニブいから儂でも狩れるしな」


 小窓から見える満月の明かりを見て、低級の植魔狩りに行くことにした。


 雅流風がるふは重い腰をいたわりながら持ち上げる。


みづきの刀の横にある短刀を腰に差しゆっくりと外へ向かった。


 その頃、桜香おうかは家から少し離れた池のほとりうずくまっていた。


 夜の闇が辺りを包み込み、月明かりに照らされた草木が静寂の中、頬を撫でる様に揺れている。


 落ちていた小石を無意識に投げる度に、着水と共に波紋が広がる。


 水面みなもに映る夜空の月が不恰好ぶかっこうに崩れていく。


 (お祖父ちゃんはいつだってそうだ――亡くなった母の自慢をし、生きていた頃の想い出を本当に楽しそうに聞かせてくれる)


 正直な話、顔には出していないが祖父から聞く度に辛い思いをしている桜香。


 溜め息と共に心の声が漏れる。


 「私にはその頃の記憶はおろか、溢れる程の愛情を注がれた事も、産んでくれた人の顔でさえ知らない。私は私の意思と、この瞳でお母さん達が見た〝外の世界を知りたい〟」


 涙が溢れぬ様に顔を上げ、星々輝く満天の空へと呟く。


「そしていつか――と同じ〝花の守り〟になって、植魔虫しょくまちゅうを根絶やしにする。私と同じ思いを他の人にはさせたくない。その為には、〝強く〟〝逞しく〟なりたい……」


 とてもじゃないが人には言えない気持ちを胸に、ふと……祖父の顔が思い浮かぶ。


(何て、聞かされたらお祖父ちゃん「認めん、許さん、行かさん!!」って怒鳴り散らす所か、卒倒そっとうしちゃうだろうな…… )


 桜香は口角を上げると、祖父の驚く様を想像しながら小さく微笑んだ。


 この時の祖父がるふの誤算は、大事な孫娘を月明かりしか頼りのない森へ、1人で行かせた事。


 危険度の低い朝型の個体の死肉を求めて、夜型が人里離れたこの場所へ移動していた事。


 次いで人に寄生し食す異形、植魔虫しょくまちゅう


 そして――


 産まれて一度も見たことがない植魔虫しょくまちゅうを、話半分で聞き入れていた桜香おうか


 その存在事態を、だった。




 

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