名将の夢路(旧ゆりかごと刃)

武田伸玄

名将の夢

晴れ渡る天目山の山並み。わずかな家臣に見守られながら最後の時を

迎えようとしている。なぜか腹に突き立った刃は痛みも感じなかった。

”過去を振り返らず前だけを目指すも良い。過去に学び倣っても良い。

但し、己が目の前の現実に振り回されるな。”

 この信玄の言葉を思い返す度に勝頼の胸に無念さがあふれ出した。

勝頼の父であり戦国の世の小軍団に過ぎなかった武田軍を

”戦国最強”と言われるまでに強くした武田信玄。

先程の言葉の根底には信玄の固い信念がある。

”突き進む時、歴史に倣う時、それぞれあって良いものである。なぜなら、そういう時には「夢」があるから。だが、現実ばかり見るほどつまらないものはない。”

「現実とは夢なきことかな。」

信玄はいつも言う。”今現在だけで判断するな。夢という秤で判断するのだ。”

 信玄の人生自体、夢を追う人生であった。

信玄は自分を嫌っていた父、信虎を追放した時も恐らく

”自分の父”という現実だけを見ずにただ、「天下」という夢を追っていたのだろう。

信玄自身、このままでは当主になんぞなれずに天下も取れない、と思ったに

違いない。信玄の代名詞、風林火山の旗。この旗に書いてある

”風林火山”の言葉も、昔の世に夢見た人間が残した成功への知恵であり、

この旗こそ歴史に倣う信玄の姿の現れであろう。

 その他の様々な出来事も、全て自らの天下統一という夢を信じて

立ち向かっていったように思う。

だから、実際にある”不可能”や”無理”といった言葉は信玄にはなかったに違いない。

 信玄のこの姿は死の間際まで貫かれていた。

死の病の床にあって、周りも皆、もう無理だと分かっていた。

だが、父信玄は諦めていなかったことを私は知っている。

私たち重臣一同は全軍撤退しているのにも関わらず、信玄にはこう伝えた。

”順調に進軍中にて、間もなく京の都に入りまする”と。ここで信玄は尋ねた。

”今いる地は瀬田の地か”と。

瀬田とは京の都への入り口にあたる所である。重臣の山県昌景が

”そうでございまする”と返すと、

”この(瀬田の)地に武田の旗を立てよ。そして、その旗を大きく掲げて

上洛するのだ”

というふうに命を振り絞るように強く語った。

 この言葉は信玄の遺言となった。

輿が止まったのを感じた信玄は、

”上洛し、天下に号令をすることができた。”と思い、この世を去った。

しかし、輿が止まったのは京の都ではなく、退路の途中の宿場であった。

 最後まで夢を追っていた信玄に対し、後を継いだ自分は

現実に悩まされ続け、長篠の大敗を経て今、滅亡の時を迎えてる。

これで現実に追われなくてすむ、という感慨の思いと

信玄だったらまだ前向きだったであろう、という考えを巡らせながら。

一瞬、目の前に父信玄の姿が見えた。

(これでやっと夢の世界に入れるのだ・・・。)

「また夢の続きを見ようではないか」というささやきと共に。


 




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名将の夢路(旧ゆりかごと刃) 武田伸玄 @ntin

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