花は見ていた

賢者テラ

短編

 のどかな田園風景の中にポツンとたたずむ、小さな小さな無人駅。

 やっと、電車が滑り込んできた。



 まだまだ田舎であるこの辺りは、電車の本数も少ない。

 朝の通勤と夕方の帰宅時間帯以外は、一時間にたったの一本だけだ。

 二人の少女が、ベンチに座って電車を待っていた。話したいことの尽きないこの二人には、長い待ち時間も大して苦にならないようだ。

「あ、来たみたいだね」

 竹内真奈は、そう言って友人よりも先に立った。

 彼女は夏休みを利用して東京から遊びに来てくれた友人を見送るべく、駅のホームまで来ていた。友人はもともと地元の人間だったが、親の仕事の都合で、東京に引っ越してしまっていたのだ。それが、ちょうど二人が中学の時。

 高校生となった今でも、離れた二人の友情は変わらず——

 長期の休みを利用しては、どちらかが片方の住む地に滞在していくのであった。

「そんじゃ、また次の休みかな」

 車内に入った友人に、ホームに立つ真奈は名残惜しそうに言う。

「次の休みかぁ。だんだん受験も近付いてくるからそろそろ厳しいかなぁ……」

「そっかぁ」

 発車を知らせる、いかにも田舎の電車らしいベル音が空気を振動させる。

「じゃあね。楽しかった」

 音を立てて、真奈の目の前のドアが閉まる。

 友人の姿は、ガラス越しの四角い枠に切り取られてしまった。

 そしてゆっくり、ゆっくりと左方向に消えてゆく。

 真奈はホームの端まで走って、車内の友人に手を振った。



 電車がはるか向こうに見えなくなってから、ため息をひとつついた真奈は、駅を出るため体の向きを変えて歩き出した。

 数歩も歩かないうちに、ある物が彼女の注意を引いた。

「へぇ……こんなとこで、頑張ってるね」

 それは、駅のホームのコンクリートの隙間に、奇跡的にも根を下ろしたタンポポだった。普段、こんなことでもなければホームの端になど来ることはないから、今まで気付かなかった。

 これが都会の駅なら、清掃ですぐに引っこ抜かれていることだろう。

 まさに無人駅ならでは、である。

 真奈はかがんで、人に話すかのように声をかける。

「あんた、言ってみれば『ど根性タンポポ』ってとこかしらね?」

 そう独り言を言って、クツクツと笑ったのであるが——

 真奈の眼に、不思議な映像が飛び込んできた。

 いや、違う。

 正確には、彼女の周囲の風景が変わってしまったのだ。

 場所は変わっていない。

 何と言うか……場所の時間だけが、大昔になってしまったという感じだ。



「何、これ……」

 ホームには、日本の国旗を振る人々であふれかえっていた。

 しかも、皆恐ろしくみすぼらしい恰好をしている。

 女性などは、もんぺ姿である。

 驚いたことに、けたたましい音を立ててホームに侵入してきたのは今風の電車などではない。いわゆる、汽車というやつだ。

「お国のために、行ってまいります!」

 軍服を着た兵の一団が、住民に向かって敬礼している。

「天皇陛下、バンザイ! 大日本帝国バンザイ!」

 見ていると、どうも戦地に赴く兵隊たちを見送っているところのようだ。



 …いっ、いつの時代よこれ! 何で私にこんなもんが見えるのよ!?



 真奈はパニックになりかけたが、目の前で事態は遠慮なく進行していく。

 兵隊の一人が、真奈のそばに駆け寄ってきた。

「あのっ。スミマセン!」

 声をかけてみたが、兵隊は反応しない。

 挙句の果てにさわろうと試みたが、手がすり抜けてしまう。

 どうやら、真奈が目の前のこの状況に干渉する事はできないようである。

「富子——」

 その若き兵は真奈に駆け寄ってきたのではなく、どうやら自分の奥さんに声をかけるためだったようだ。

 すぐに、真奈の目の前に小さな女の子を抱いた『富子』と思われる人物が現れた。

 互いにもうこれで、二度と会えないと思っているのだろう。

 兵の夫とそれを見送る妻は、悲しげな視線でアイコンタクトを取った。

 やがて妻は何かを吹っ切るかのように、抱いている女の子に話しかけた。

「ほら、安江。お父さんにご挨拶をなさいな」

 恐らくその子は、戦争とは何か、父が何をしに行くのかもほぼ理解できていないであろう。子ども無邪気な笑顔を見せて、こう言った。

「お父さま、ガンバッテね」

「うん。安江も達者で暮らせ」

 その時。兵はプラットホームの端に視線を泳がせた。

 そして、まっすぐそちらに歩いていった。



 ……あ、タンポポだ。



 さっき真奈が見たのと同じように、ホームの壁と地面の隙間からタンポポの花が伸びている。兵はその花の部分を摘むと、娘の目の前に差し出した。

「ほら」

「わあ、かわいいお花」

 母の腕の中の女の子……確か安江と呼ばれていた……は、花を受け取るとキャッキャッと喜んだ。

「これを見たら、父のことを思い出してくれ」

 遠くから、野太い声がこちらまで響いてきた。

「野崎ぃ! そろそろ汽車が出るぞ」

「分かった」

 短く鋭い声でそう返した兵は、未練を断ち切るかのように背を向け、無言で電車に乗り込んだ。

「あなた、きっと返ってきてね!」

 汽車のドアは閉まった。

 兵は、妻の声に何も返さなかった。そして振り返らなかった。

 ただ、送り出す人々の熱狂的な声が響くばかりであった。



「……と、こういうわけなのよ」

 真奈は、仲の良い二人のクラスメイトを電話で呼びつけて話をした。

 まだ夏休みが終わっていなかったので、学校で会った時に話す、というわけにはいかなかったのだ。

 選ばれた集合場所は、町立図書館。

 図書館と言っても、そこは田舎のことなので、学校の図書室に毛の生えた程度の場所でしかなかった。でも、クーラーがきいている上にタダだから、じっくり話をするのには都合が良かった。

「信じられないような話ね!」

 学年トップの秀才・小島加奈は赤縁のメガネをちょっと上げた。

「でも、面白そうじゃん?  調べてみようよ——」

 二枚刈りの坊主頭が光る、野球部の大河原広志は興味津々の様子だ。



 真奈は駅のホームで見た幻(まぼろし)を、とても自分の胸だけに閉まっておけなかったのだ。そして、自分があんな体験をしたことに何の意味があるのか、追及してみたくなったのだ。

 それには、自分ひとりだけの力では難しい——

 そう判断した真奈は、信用できる友人に思い切って打ち明けた。

 案の定、面白そうなものにはすぐに飛びつく広志は、簡単に話にのってきた。

 少々説得にてこずったのは、頭がいいだけにオカルトチックなものには眉をひそめる加奈だ。でも、彼女に協力してもらわないことには、この問題の真相には到底たどり着けない。

「……分かったわよ」

 十分に納得したわけではなさそうだが、それでも加奈は重い腰を上げてくれた。

 信じたというよりは、友達のたっての頼みだからだろう。

 三人は、とりあえず状況を整理してみた。



【現在分かっている手がかり】


 ・この町から戦争へ出征した者の中に、野崎という名字をもつ者がいる。


 ・兵の名は不明。妻は富子といい、娘は安江。


 ・富子が生きていても、かなり高齢であろうと思われる。

  亡くなっている可能性もある。

  安江も、おそらく熟年女性の域に達しかけているだろう。




【調べるべきこと】


 ・この三人が生きているのか。


 ・この町に住んでいるのか。


 ・兵(父)は生きて復員できたのか。また、家族で暮らすことができたのか。


 ・問題が起こったのなら、それは一体何なのか。



  話し合いの結果、真奈と広志は町に住む野崎という名字を持つ家を洗ってみることにした。

 また、戦争当時を知るおじいちゃんおばあちゃんがいれば、それもしらみつぶしに当たって話を聞くことにした。

 加奈は、インターネットや図書館のデータベース・大昔の新聞の縮刷版などを調べ、当時のことをうかがい知ることができる情報や、野崎という人物がからむ事件その他の記事が検索されるかどうかを調べてみることにした。



 野崎姓をもつ家は、町に3軒あった。

 すべて訪問して話を聞いたが、収穫ゼロ。

 富子と安江という名を持つ者が、家族の中に誰もいないという返事だった。

「どっか遠くに引っ越されてたら、探しようがないよね」

 でも、戦時中にこの町に住んでいたことは、間違いがないのだ。

 加奈も、図書館にこもったりして様々な角度から調べてくれたが——

「ダメ。何も分からないわ」

 加奈は、悔しそうに唇を噛んだ。初めは乗り気でなかった彼女ではあるが、いったんやると決めたことには、とことんまでやらないと気が済まないたちなのだ。

 三人の焦りをよそに、日だけが過ぎてゆく。



「ねぇ。お前は結局、何を言いたかったのかなぁ」

 夏休みも終わろうとしている、ある日の夕暮れ。

 八方ふさがりになった真奈は、また駅のホームに咲いたタンポポのところへやってきた。もしかしたら、また何かのビジョンを見せてくれるかもという期待もあった。

 人事だと言ってしまえば、確かにその通りだ。

 でも、真奈には気になったのだ。

 あの兵隊が、生きて家族の元へ帰ってこれたのかどうか。

 あの奥さんと子どもは、幸せなのかどうか。

 自分にあのような過去の映像が見えたことに、何かの意味が絶対ある、と思うのだった。



「……安江」

 後から、そう呼ぶ声がした。

「エッ!?」

 真奈は驚いて後を振り返った。

 そこには、一人の男が立っていた。

 兵隊の服装をしていないのですぐには分からなかったが、その男は間違いなくあの時の兵隊だ。

 ただ、当時と違うのは服装ばかりではなかった。

 顔の半分にひどいやけどの跡。そして——

 彼の左足は、義足だった。



 やがて、ホームに汽車が滑り込んできた。

「じゃ、安江。まったね~」

「バイバイ」

 一人のセーラー服姿の少女が、ホームに降り立った。

 三つ編みにした髪が可愛いその少女には、確かにこの前見た幼女の面影がある。

 間違いなく、兵の娘の安江。

 しかし、不思議なことに男は安江を遠くから見つめるばかりで、声をかけようともしない。安江は安江で男の存在には気付くことなく、スキップしてホームを走り去っていく。



 ……何でよ。あんたたち親子のはずでしょうに!



 真奈が気付くと、周囲は現実の風景に戻っていた。

 ゆっくりと立ち上がった真奈は、タンポポにお礼を言った。

「ありがとね」

 今度こそ、手がかりをつかんだ。

 真奈は見た。安江の制服の胸ポケットに付けられたネームプレートを。

 野崎ではなく、『北条』と書かれていた。

「今度こそ探し出してやる! 名探偵と言われたジッチャンの名にかけて!」

 まったくのウソである。彼女の祖父は名探偵でも何でもない。

 ただの、マンガの読みすぎである。

 真奈はさっそく、ケータイから加奈に電話をかけた。 



「真奈、情報はビンゴだったよ!」

 町役場に勤める父をもつ加奈の調査は、迅速だった。

 町内に、『北条安江』という67歳の女性がいることを確認した。

 母の富子は、18年前にすでに他界していた。

 そして、加奈の調査はさらに驚愕の事実を導き出した。

「ちょっと、驚かないで聞きなさいよ。実はね……」



 手入れの行き届いた庭を望む縁側。

 北条安江と真奈に加奈、そして広志の三人は縁側に座っていた。

 真奈は出されたお茶をすすりながら、なぜ訪問したのかを説明するために今までに見たもの、調べたものをすべて安江に隠さずに伝えた。

 最後まで聞き終わった時、安江は晴れた空を仰いだ。

「そう。父はずっと私のこと見守ってくれていたのね——」



 加奈は理論整然と、しかししんみりと語った。

 


「……安江さん。あなたのお父さんは、生きて復員したんです。

 しかし、お父さんが生きて帰れるとは思っていなかったお母さんの富子さんは、再婚しちゃっていたのね。

 北条さんという男性と。だから、連れ子のあなたも北条姓を名乗った。



 でも、お母さんを責められない。

 お父さんが送られた当時のパプアニューギニア戦線のラバウルは激戦が伝えられていて、生還などほぼ絶望的と言われていたから。

 でも、お父さんはその奇跡の生還を果たした一人だったんです。

 ただ、顔には一生消えないやけどのあと。そして左足まで失って。

 何らかの形で、あなたのお父さんは妻が再婚をしたことを知った。

 お父さんは恐らく、自分で調べ上げたのでしょう。

 そして、母娘が決して不幸などではなく経済的余裕もあり、それなりに幸せに暮らしている、ということも分かった。



 お父さんは断腸の思いで身を引いたのでしょう。

 ここで自分が姿を現せば、その幸せをかき乱すことにはなりはしないか?

 妻の今の夫もいい顔をすまい。

 当時幼かった娘も、今の父親を父親として認識していることだろう。

 自分のような醜い、片足を失った者が出る幕ではない。

 だから、お父さんは亡くなるまでの二十年間というもの——

 ずっと、物陰からあなたを見つめるだけで満足してきたというわけです」



 その言葉の後を、真奈が引き継いだ。



「もしかしたら、私に過去のビジョンを見せてくれたタンポポは——

 お父さんが別れの時にあなたに摘んであげたタンポポの、ずっと後の子孫なのかもしれないです。

 きっと、お父さんのことを知らないあなたに、実は生きてあなたのことを見守ってくれていたんだよ、って教えてあげたかったのかもしれないですね」



 安江と、高校生探偵の三人は墓参りをした。

 野崎康雄・元陸軍一等兵の墓。

 最後まで、彼は妻子に自分の存在を知らせることはなかった。

 そして今、不思議な縁で娘の安江は父の墓前に立った。

「……お父さん」

 安江は、手を合わせて目を閉じた。

 彼女の目尻からは、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「あの時もらったたんぽぽ、実は今でも覚えているんですよ——」

 真奈たち三人も、静かに目をつむった。

 そして、心から幸せ薄かった兵の冥福を祈った。



 町内の外れにある、広大な野原。

 一面に、タンポポが咲き誇っていた。

「本当に、タンポポって強い花なんですね」

 そう言って安江は、持ってきたタンポポをその土地に植えなおした。

 駅のホームに咲いていた『ど根性タンポポ』を丁寧に掘り起こして、ここに移植するために持ってきたのだ。ここの方が花も喜ぶだろう、という安江の提案である。

「これでよし、っと」

 安江の後で、真奈たち三人は満足気に引越しを済ませたタンポポを見つめる。

「もうこれで、タンポポさんも思い残すことなくここで咲けるね!」

 真奈はこれでやっと肩の荷が下りたとばかりに、清々しい顔で言う。

「私ね、時々ここに来ようと思うんです。何だか、父が呼んでいるような気がして」

 安江は、そう言って遠い目をした。

 たんぽぽの花は、ゆったりと吹く南風の中で踊るように揺れていた。



 それから5年後。

 安江は亡くなった。

 聞くところによると、安江は寝たきりの状態になってしまうまでずっと、実の父のお墓とたんぽぽを植えた野原に通い続けていたらしい。例えタンポポの咲く季節であろうがなかろうが、関係なくずっと——

 その葬儀には、安江と父の再会のパイプ役となったあの三人の姿もあった。



 あの世で、親子三人は無事再会を果たしたのだろうか。

 それは、あのたんぽぽだけが知っているのではないだろうか?

 真奈は、そう思うのであった。


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