五竜の国 偽りの巫女は王を択ぶ

和知杏佳/角川ビーンズ文庫

序章 第一話

 十三の時だっただろうか。

 ついたての内で、父と向き合っては座っていた。外に積もった雪が陽光をやわらかくね返して、ほのあかるい。

 ばちの炭がぜ、火の粉がぱちっと散るのにも気を取られるような、耳にも目にも静かな午後だった。

「日夜子、お祖父じい様がくなって、一年がつ」

 日夜子はただうなずいた。祖父は遠くはなれた都で宮中に仕え、幼いころいくかこの家をおとずれた以外に顔を見たこともなく、家族としての実感はうすかった。ただ母が「お祖父様のお勤めのおかげで、この家も村もこうしていられるのよ」と言っていたことは覚えている。

 そういえば、母と妹はどうしたのだろう。

 そんな思いに首をめぐらせようとしたむすめを、父は「日夜子」と静かな声で呼んで止めた。

「四年後のお役目は、この父が行くことになる」

 日夜子は一つまたたいた。父はもう三十をしている。お役目にくには年がいき過ぎていた。

 そう思ったのが伝わったらしく、父は頷いた。

「そうなれば、お祖父様のようにここへはめつもどらぬし、お祖父様と同じく、お役目のちゆうで亡くなることになろう」

 軽く目をせた父の顔を、おどろいて見つめた。父がいなくなることも、まして亡くなることなんて、十三の日夜子は今まで一度も考えたことがなかった。

 父の、男性的とも、さりとて女性的とも言えない顔は、いつもものげで、今日はそれが一段とにじんでいた。

「母様は体が強くない。もう子は望めぬだろう。お前には、神事のすべてを伝えてきた。その全てを、さくが大人になり子を産んだら、お前が伝えなさい」

 母にも、妹の朔子にも情の感じられない言葉に、日夜子の胸の内が不安にらぐ。父はこんな物言いをするひとだったろうか。物憂げな空気をまとった人ではあったが、やさしく、温かな気質だったのに。

 不安をはらいたくて、日夜子は何かを言おうと口を開く。

「……ですが、朔子は病がちで」

「なんとか、すこやかに育ってくれればよいが。あの子のことは、お前が大切に守っておくれ」

 朔子の身を案じるひびきに、いつもの父を感じて、日夜子はほっとした。

「はい。私が必ず朔子を守ります」

 意気込んで告げると、父はゆったりと頷いた。

「父様、あの子の体のことを考えれば、私がいずれ、自分の子に伝えるのではいけませんか?」

 日夜子は病一つしたことがない。健康な自分が子をもうけることの方が、自然に思えた。

「ならぬ」

 日夜子の体がこわる。また、父の声が冷たくなった。火鉢のそばにいるのに、体がどんどん冷えていくような気がした。

「子を産むのは命がけだ。その時にもしものことがあれば、神事が絶えてしまうかもしれない。日夜子はしようがいみこのまま、この社を守りなさい。ほかに手がないとなれば、私がどこかで子を……」

 父親が他所よそで子をす話など、少女の日夜子にとって聞きたい話ではなかった。

「母様はまだお若いですよ。……そうだ! では、私がお役目に参ります! 年のころも丁度いいですし、神事も全て行えます」

「ならぬ。お前は女子めのこなのだから」

 初めて見た父の冷たい一面に、日夜子はもう泣き出したくなっていた。これ以上聞いていたくなくて、日夜子はさらに言いつのる。

「ですが、昔は宮中にりゆうも娘のり役もいたのでしょう?」

 空元気のような明るい声に、答えは無かった。

 炭が、火鉢の中でくずれるかすかな音がした。

「……女は、だ。国を乱す」

 日夜子の言葉がまる。父は火鉢の炭をながめながら、長くたんそくした。

「お前が、男子おのこであったら……」

 父を、物憂げな顔のひとと思っていた自分を、日夜子は消してしまいたかった。

 このひとは本当にうれえていたのだ、ずっと。

 女に生まれた日夜子を。


 うらぶれた社の中で、日夜子は大の字にころがっていた。その身がわずかにふるえる。

 あせで冷えたのか、それとも、あのひどく寒かった冬の日を思い出したせいか。

「……暑い」

 初夏の汗のせいにしたくて、そうつぶやいた。

 神社のしや殿でんでそんなことをしていても、とがめる者はだれもいない。十七になった日夜子はこの社に仕えるただ一人の神官になっていた。

 父母は二年前、日夜子が十五の年のころに、お役目のことで都へ行った帰りの道中、さんぞくおそわれてあっけなく亡くなってしまった。彼らを思い出せば、両親へのしたわしさと、あの日の父の言葉とで、切なさと苦さが混じって心がぐちゃぐちゃになる。

 成長した日夜子は、女子にしては背がび、すらりとした細身の娘に成長していた。しようをすれば女性らしくえそうな顔立ちだが、何も手を加えていない顔は、父によく似て中性的だった。

 身につけたしらぎぬと、この国では身分の高い者にしか許されないむらさきはかま。織りの美しい絹で出来たそれは、どちらも出来た当初はため息の出るような品だったにちがいないが、所々布地のれやいたみが見て取れ、袴の色はせ始めていた。古びてきたとはいえ、身分に合わせた絹製のものを新たにあつらえるゆうなどない。高い家格であっても、この家は貧しかった。

 日夜子はわずかに息をつく、それに合わせるように額から生えぎわへ汗が伝っていった。

 山の上にある社はだんすずしいが、今日はし暑かった。ふもとの村はもっと暑いのだろう。

 ──梅雨つゆにまとまった雨が降らないと、今年は水がもたないかもしれない。

 わずかに風がいて、ぬるい空気が日夜子のまつをかすかに揺らした。風はささやかな葉擦れの音も彼女の耳に運ぶ。山の中の社で、それは耳にんだものだったが、今日はそれがまるで笑い声のように聞こえて耳にさわった。

「うるさい」

 かたい声と、としごろの娘らしくない物言いは、父母が死んでから身についたものだった。

 二年前の父の死と同時に、社だけでなく、麓の村のおさの役目も引きいだ日夜子は、十五の年から今に至るまで、誰にもたよらず貧しい村と社、そして妹を守って生きてきたのだ。

「いっそ言いつけなんて守らないで、誰かの妻にでもなってしまえばよかった」

 そう、せんいことを口にした。意味がないとわかっていても、そうやって巫をやめてしまえば、こんなことにならなかったのではないかと、どうしても考えてしまう。

 もしもすなら、目元涼やかでみの優しい、うたみのうまさなどは別にいいから笛などの音曲に明るい、一人の妻を大事にするような……とぼんやりとした希望が頭の中を流れていく。日夜子はいろこいには夢見がちなところがあった。だが、誰ともけつこんしないと決めた日夜子にとって、れんあいごとが現実感をともなわないものであるのは、仕方のないことでもあった。

 社殿に上がる階段をむ音に日夜子は跳ね起きる。その目には敵意めいたものが宿っていた。

こわい顔しないで。私よ、ねえさま」

 その声の主を見て日夜子の顔はろうばいしたものに変わる。

「朔子! ごめん、あの男かと思ったから」

 日夜子は立ち上がって、そそっかしく足元をもつれさせながら朔子のもとにけ寄ると、そのかたほおれた。

だいじよう? 気分は悪くない? どうして一人でこんなところまで……」

「ねえさまこそ、転びそうだったじゃない」

 狼狽うろたえる日夜子に、心配そうな笑みを見せた朔子の表情は年より大人びて見え、どちらが姉だかわからない。

 朔子は母に似て可愛かわいらしい少女に育ったが、いまだ病がちで顔色は白く、十二という年の割にきやしやがらだった。

 日夜子はそんな朔子を幼い頃から案じてきたが、二親をくしてからはそれにはくしやがかかっていた。

「それにね、ねえさま、家と社は目と鼻の先よ」

 そのくらいでこんなに心配するなんて、という朔子の思いは言外に伝わってきて、日夜子はへにょっとまゆじりを下げた。

「今日は暑いから、体に障ると思って……」

 そう言った日夜子の額の汗を、朔子がやわらかい布でぬぐってやる。朔子は社殿の中に上がると日夜子を座らせて、自分も真向かいに座った。不思議そうな顔の日夜子を見つめる。

「ねえさま、私が都に行く。ねえさまはこのお社にも、村にも大切な人だから」

 その目に強い決意が宿っているのは見て取れたが、日夜子はしようして目を伏せた。その仕草に反発するように、妹の声は険しくなった。

「私、本気よ。体も弱いし、ここに残ったって何にもできないもの。私が代わりに行けば、この家の義務も果たせるし、村のみんなも困らないでしょ」

 向かい合った二人のまいは、顔立ちも体型も異なるだけではない。白衣に袴で、長いくろかみを首の後ろですっきりと束ねた日夜子。ひとえに袴をはき、引きずるほど長い衣を羽織って正装し、美しい髪を垂らした朔子。妹は巫しようぞくそでを通したことすらない。同じ家で家族として暮らしてきても、二人の育ちは異なっていた。

 自分の代わりに都に行くと言い募る朔子の気持ちがうれしくはあっても、それが全く現実味のない言葉だと気づいていた。この家の義務を果たすと朔子は本心から思っているが、いざ都に行った後、何をするかまでは考えがおよんでいないだろう。日夜子も夢見がちな方ではあるが、決定的に異なるのは、それが夢でしかないと自覚のあるところだ。

 世間知らずの妹をそのままに育ててしまったのは日夜子自身でもある。もっと、妹のために出来ることがあったはずなのにと、今になってこうかいいた。

「朔子、私ね、父様と母様がくなってから、あなたのおかげがんれたの。それは今も同じ。朔子が都に行ったら、私ここに残ったって心配で何もできない。……それに、あなたの体では旅は無理でしょう。あなたはここに残ってこの村を支えて」

 ゆっくりとそうさとす。幼い頃、朔子がよく体調を崩すので、せめて医師の近くにと母と朔子は麓の村に住んでいたことがある。しかし不思議なもので、朔子は麓よりも山の上で暮らす方が体の具合が良かった。そんな朔子では、都へ旅立つことも、都で暮らすことも出来ないだろう。それ以前に、つらい役目を妹に負わせる気など毛頭なかった。

 はたには日夜子が妹を支えているように見える姉妹だったが、本当のところ、年に見合わぬ重責を一人で背負った日夜子の心は、朔子にずっと支えられてきた。

「でも、ねえさま」

 妹を安心させるように日夜子はにっこりと笑った。

「大丈夫。お祖父じい様が亡くなってから、ろくは絶えてたけど、私が都に行けばお金だってもらえるんだから。この村だってもっとよくできる」

 朔子が悲しそうな顔で日夜子の頰に触れる。

「この村に大切な人って言ったのは本当よ。でも私、ねえさまに幸せになってほしいの。家の役目にしばられて、遠くの都に行くなんて、しなくてもいいの」

 朔子は、きっとすごく世間知らずなのかもしれない。

 ──でも、やさしい。

「朔子、私平気よ。こんなことなんでもない」

 頰に触れる朔子の手に、自分の手を重ねる。

 朔子は、あの男がなんと言って日夜子を従わせたのか知らない。知らせて辛い思いをさせたくもなかった。

 朔子だけは守りたかった。

 戸口から、低く笑う声がして、二人は声の主を見る。そこにいたのは「あの男」と呼ばれていた、都からの使者、ふじののたかやすだった。

たがいに自らがめんどうを負おうとする姉妹ですか、うるわしいものですね。絵巻にでもなりそうだ」

 日夜子は孝保をするどにらんだ。孝保はその視線を気にも留めず、すずしげな視線を返した。

いもうとをこちらによこすことになさったので?」

「私が行く。朔子は絶対に行かせません」

 さえぎるように強い声を出した日夜子に、朔子が顔をくもらせた。

「ねえさま、私だってできるわ」

 孝保はまた笑い出した。

「出立は明日だ。どちらにするかなど、なやんでいる間があるとは思えませんが」

「私が行くと言ったでしょう」

 日夜子の口から出たのは厳しい声だった。

「わかっておりますよ。妹御ではいかにも力不足と見えますし」

 いかりで顔を赤くした朔子はくちびるんでうつむいた。しかし、日夜子の怒りは朔子以上だった。

「孝保殿どの、朔子への無礼は許しません」

 冷え切った怒りを向けられても、孝保はひょいと眉を上げ、形ばかり頭を下げただけだった。

「これは申し訳ない」

 女とはいえ自分より位の高い日夜子へ、表向きはていねいにふるまう孝保だったが、その裏にあるあざけりはやすやすとけて見えた。

 すべては、この男が来たことから始まった。あるいは、日夜子が女として生まれた時から、決まっていたのかもしれない。

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