第29話 門番は歌姫の子守唄に眠る

 まず重要なのは見つからないことであるらしい。

 冥界へ向かうための通路には見張りが経っている。もとよりこの村では冥界に行くことは固く禁じられている。

 如何に冥府に通じる通路があろうとも、簡単に生者が死者へ会いに行ってはならない。なによりも生き返らせてはならない。

 そういう掟があるらしいのだ。

「だかラ、まずは見張りを倒ス」

 だが、普通にやるのは難しい。俺も見たが、屈強な辺境人が二人も立っている。ツェルニも俺も普通にやれば負けないだろうが、それでは時間がかかりすぎるし、騒ぎになれば冥界下りどころの問題じゃない。

「だから、やることは一つ。お手伝いだ」

 八雲とともに村の広場に戻る。

「おお、ヤクモ。戻ってたのか」

「シェザンさん、手伝いましょう」

「おお。助かるぜ。そいつらは?」

「知り合いです」

 俺と郡川に八雲にシェザンと呼ばれた男が視線を向ける。上から下へ眺められてから、俺のコートについてるお守りに視線が向かい。

「なるほど。良いぜ、切り分けるから配ってくれ」

 シェザンは手際よく解体していく。

 それを俺たちは村の各所に運んで行った。八雲はこの村では結構信頼されているらしい。

 皆が声をかけてくる。そこに悪い感情はない。

「ああ。井戸の改修や水車の応急修理などをした。あとは畑に肥料をまいたりな」

「異世界転生の内政ものかよ」

「なんだそれは」

「いや、こっちの話。んで、そのおかげで村人に信頼されてますってことか」

「そういうことになる。彼らの信頼を裏切るのは心苦しいが、こちらにも譲れないものはある」

「そうだねぇ。ゆずれないよねぇ」

 そんなことを話しながら配り歩き、最後に冥府の門番に持っていくことに。この門番は、この村にある入り口を護る門番のことだ。

「アリシア嬢からもらった薬を入れる」

「いつの間に」

「事情を説明し、融通してもらった。なんでも、洗脳薬の類で僕たちがいいというまで都合の良い妄想を続けるとのことだ」

「妄想て……」

「洗脳されていた時のことを脳が勝手にそれまでの間を補完する」

「大丈夫なのかそれ」

「問題ない。人間の機能の範疇に働きかけるだけだそうだからな。解析した限り、十得な副作用もない」

「そういや、八雲の特質って解析か」

「そうだ。この目で見たものすべてを解析する。だから一目見ればそいつがどんな奴かわかるし、どんな状態かも把握可能だ」

「つまり俺の状態について説明する必要なかったよな」

「客観的にはな。だが、君の問題については主観を知りたい。それこそが人類の進歩に繋がる」

「またブラッドみないことを」

「ブラッド? ああ、そもそもの元凶か。確かに一度話してみたい相手だ」

「やめてくれ。なんか大変なことになりそうだ」

「人類の進歩に犠牲はつきものだ」

「犠牲にされる方にはたまったもんじゃねえよ」

「さて、そろそろ無駄話をやめるぞ。ツェルニと郡川。準備は良いな」

「問題なイ」

「いつでもいけるけどぉ……こんなに露出しないとだめなのかな。寒いんだけど」

 郡川の格好は、ここに来た時の完全に着込んでいた冬装備ではなく、ツェルニがどこからか調達してきた村人装備である。

 腹や肩、足などが露出している。そのおかげで豊かな胸などが見えそうで実にけしからん。

 映像記録に取るしかない。これはこの作戦を後で見返し、失敗した時や成功した時の参考にするためで他意はない。

『他意しかないですね、この害虫』

 もはやマスターとも呼ばれないほど冷たい扱い!

「男は単純な生き物だ。女の露出は見慣れていても嬉しいものだ。この僕がそうだからな」

「おまえ、そんなキャラだったのか……」

「何を引いている。男なんてそんなものだろう。僕は正直な感想を言ったまでだ」

「あーそーいえば八雲くんてこんなキャラだったよねぇ。はぁ、まあいいけど、露出とか、さんざんやらされて慣れてるし。油断させるためなんでしょ」

 ちゃらりと耳飾りが揺れる。郡川はさらに服装を調整して、艶やかな色気を演出してた。すごいなこいつ……。

 見目麗しい女が食事を届けてくれれば誰だって油断する。それは精強な兵士であってもだ。

 なにより祭りに参加できず割を食っている連中ならば、なおさらだ。

 祭りで他の連中が楽しくしている時に、自分たちは混ざれずに仕事。そこに舞い降りた見目麗しい乙女たち。

 そうなればどう思うかは簡単だ。

「へへへ、ありがとよ」

「いやぁ、警備は重要な仕事だからな」

 見た通り、デレデレとだらしない顔をしているのが丸見えである。

 そして何の疑いもせず門番に立っていた二人はツェルニと郡川が持ってきた分け前を食す。

 そうしてそのまま動かなくなった。

「作戦の第一段階はクリアだ。ここまでは障害ですらないからな。気を緩めずに行くぞ」

「着替えていい?」

「ああ、好きにしていい。だが、すぐに出番だ」

「わかってるよー。甲野くん、服」

「はいはい」

 そそくさと郡川は元の服装に着替えて俺たちはぽっかりと開いた洞窟へと入っていく。

 ここが尋常でないことは入った瞬間にわかった。見た目はただの洞窟だが、ここに流れるマナ濃度などが異常だ。

 辺境もそうだが、王都よりもはるかに濃い。

 それでいてもの悲しさで満ちている。まるで誰か涙と悲哀で作り上げられたといわんばかりだ。

「明かりはいるか?」

「必要ない。むしろつけない方がいいだろう。この辺りはまだいいが、奥に行けば行くほど死者と遭遇しやすくなる。灯りはそういう死者を呼び寄せてしまうからな」

「あー、それは面倒そうですなぁ。でも歩きにくいよねぇ」

「ン、つけル。ここから先、進むのニ、必要」

 ツェルニはそういって、どこから調達してきたのかカンテラとそれを付けた杖を持ってきていた。

 ぼうっと蒼炎が燃え上がる。

「死霊の火。冥府への案内」

 ツェルニが掲げる蒼の炎に従って俺たちは下へ下へと洞窟を下っていく。

 その距離に果てはない。どこまでも続く深淵の奈落。この世界の形を俺は知らないが、もし地球と同じならばその地殻を超えて、マントルやらなんやらすらも超えそうなほどにその果てを感知することが出来ない。

 どこまで降りるのかわからない穴は、そのうちに階段へと変わる。

 その辺から周囲の様子というか、階層が切り替わったようであった。明確に世界と世界の狭間に入ったことをシーズナルが伝えてくれる。

『正面に感あり』

 俺の感知範囲内のことしかわからないのは、この場所が完全に法則が異なっている場所だから。

 生と死の狭間。

 さながらここはそういう場所なのだろう。風もなく、炎すらもない。ここで起こる事象に干渉することが効かない。

 つまり、ここで役に立つのは地力だけということになる。俺たちの特質は問題なく機能するらしいが――。

「郡川、行けるか?」

 普通の人間でもわかる程度に、目の前に巨大な門が現れていた。地獄の門とは斯くあらんと言わんばかりの威容には感心させられる。

 芸術品としての装飾もなにもない巨大なだけの門であるというのに、そこには自然と畏怖してしまう何かがある。

 それこそが生と死をわける境界線そのものであることへの超自然的な畏敬なのだろう。

「んー、どーかなー」

「行けないと困るんだけど」

「やってみるけど、出来なかったらよろしくね」

 郡川は邪魔なコート類を脱ぎ始める。

 普段着ともつかぬ姿になる。

 ひどく場違いであるように思えるがこれこそが彼女の戦闘服だ。歌い手に凝った戦闘衣装など必要ないだろう。

 せめて視覚的に人を楽しませる最低限度の装飾と、声を邪魔しないだけの煌びやかさがあればそれでいい。

「すー、はー」

 深く息を吸って、目の前を見据える。

 蒼の炎が照らすのは巨大な魔狼。

 大きな門と同じく、いやそれ以上に巨大な狼の形をした存在がそこに座している。人の手足のような腕すらも持つ四足を超えた幻想の獣は、黄金の瞳をじろりとこちらに向けている。

 その意志は明瞭。それ以上近づけば、門番として己の武威を見せつけるという脅しだ。

 その威圧に少しばかりひるんだように郡川は一歩下がるが、すぐに気を取り戻し――。

「おやすみなさい――」

 歌を紡ぎだした。

 遥かな夜空に広がる風と安らかな眠りを照らす炎。

 はぜることもなければ、瞬間的に広がることもない。

 ただ永続する安らぎと安心感。

 音が紡がれるたびに感じる眠気はするりと耳の中にしみこんで脳を緩やかに揺らしてくる。

『GRAAAA――』

 その音色に魔狼も反応を示す。

 すっと目を細めて郡川を見る。歌姫の子守唄は、何よりも優しくまどろみをいざなう。

 決して抵抗できない程度ではなく、しかして意図して無視するほどのことでもない。

 誰かを害するという意思は欠片もないのだ。

 ただここで歌っているだけ。

 眠りを誘う歌をただ歌っているだけ。


「愛しき我が子に安らぎを――」


 その歌は魔狼にすら届くのだ。

 すぅ、っと静かに魔狼は眠りについた。歌姫の歌は異形の怪物を眠らせる確かなもの。

 乙女の歌声に誘われて、門番も一時の夢を享受する。甘い甘い毒。

「今のうチ」

「行くぞ」

 その間に、俺たちは魔狼の脇をすり抜ける。

 歌い続ける郡川を俺が抱えて走る。

 その巨大の後ろにそびえる門。

「これを開く」

「郡川を頼む」

 静かに歌う彼女をツェルニに託し、俺は門を前に肩を鳴らす。

 ここで開けられなかったらまずこの作戦がご破算になる。

『行けます。マスターなら』

「ありがたい」

 シーズナルのお墨付きなら間違いない。巨大な門へと手を突き、俺は全力で押しにかかる。

 固く閉ざされた門はまるで山でも押しているかのようであるが、魔導サイボーグなんて連中は山すら押せるらしい。

 いや、そう思うだけで良い。俺はそう受け入れればいい。

 俺の特質はそういうものだから。シーズナルの肯定もその一助。

 斯くして俺は地獄の門を少しだけ開くことに成功した。そのわずかな隙間を急いですり抜ける。

 なにせ、開けた瞬間に感じた冷気は何かとてつもなくヤバいものが地上に這い出そうとするような気配であったから。

 通り抜けたのを確認し、即座に門を閉める。

「ぷはぁ……さすがに疲れるよぉ」

「お疲れ郡川」

「ああ、よくやってくれた。これで作戦の第二段階は完了だ。第三段階へ移行する」

「案内すル」

 冥界下り、此処からが本番だ――。

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