第11話 一日の最後はやっぱりお風呂なのは異世界共通

 薄暗い石室に濛々と湯気が立ち昇っている。 

 異世界人を多く奴隷として召喚しているフォルモント王国には数多くの異世界の文化が根付いている。

 風呂もその一つらしい。

 風呂というものが一般化されて以来、誰もがその魅力のとりこになった。

 男も女も関係なく日頃の疲れや、仕事で降り積もった汚れを落とし酒場へと繰り出す。

 王都の方では水道が整備され、一般家庭でも風呂に入れるようになってきているらしいが辺境ではまだまだ風呂屋が現役だった。

 そして、必ずと言っていいほど酒場が併設されているらしい。どんちゃん騒ぐ音が脱衣所の向こう側から聞こえている。

「…………」

 その中で俺は必死に視界に映る映像を記録しないように耐えていた。

 なぜならば、風呂屋は混浴だったのだ。

 体を洗い、湯舟に使った時、何もなくアリシアがいたことで気が付いた。

 いや、本当はもっと初めから気が付いていた。なにせ、脱衣所が一つだけ。男女の仕切りも何もなかった時点で気が付いていた。

 ――だが、うん、混浴だよ? 男子高校生には刺激が強すぎるだろ……。

 それ以上に、屈強な辺境の男の全裸だとか、豊満な辺境の女の全裸とかも、もう威力が高すぎてヤバイ。いや、もうヤバすぎる。

「ちょっと顔が赤いけどどうしたのよ」

「い、いや、なんでもない」

「声も上ずってるしどうしたのよ」

「な、なんでもないよ」

「……? 何か不調? ちょっと見せて」

「いや、ちょ!?」

 俺の方へとアリシアが体を近寄らせて、額へと手を当てて、何もないかと見ている。

「んー、脳殻の温度上昇で何かバグったとかそういうことじゃなさそうね。体温は高いけど許容範囲だし、のぼせた、はずないし」

「…………」

 俺とアリシアの身長差のせいで、彼女の胸が俺の目の前にきている。

 すべすべのお腹とか、その小さいけど、意外ともめそうなくらいはある胸とか、その胸に咲いたさくらんぼとか。

 何一つ隠していない生まれたままの姿が、目の前にあって意識するなという方が無理だろう。

 親と小学生時代の熊谷以外、初めて見た女の裸なのだ。子供っぽいとは言えども、成人した女性の体を意識するなという方が到底無理なのだ。

 しかも、異世界人が広めたという石鹸の良い匂いを俺の嗅覚センサーは最大感度で感じとれてしまう。

 香草や花の蜜などを使って香りづけがされたものらしく、非常に良い匂いがしているのだ。

 ただそれだけではないだろう。こうもクラっと来そうになる匂いは女そのものの匂いに他ならない。

 俺の中で盛大に警鐘が鳴り響いている。このまま子の思考を続けるのはマズイ。何とかしなければ。

 そう思いつつも呆けることしかできない。思考が再起動するにはもうしばらくの時間が必要だった。

 俺が呆けていると、今度は彼女の青の瞳が目の前に広がっている。雲間を抜けた青空のような瞳は綺麗だった。

「大丈夫?」

 綺麗な瞳は好きだ。

 ゲームとか、アニメとか、イラストとか、瞳が綺麗なものが好きだった。澄んでいて、輝いていて。

 彼女の瞳はどこか暗がりを思わせる淀みがあっても、青く澄んでいるのは変わらない。

「――ッ。あ、ああ、だ、大丈夫だ」

 しかし、ノイズにまみれたあの時の記憶が俺を現在へと押し戻す。

 まるで俺に忘れるなと言っているかのように。

 そうだ、忘れるな。

 目の前にいるのは俺を改造した張本人なのだ。

「――――」

「そうは見えないというか、本当、どうしたのよ」

「な、何でもないから、ちょっとあっち向いてていいか」

「……? まあいいけど。本当、何かあったら言ってよね。あんたに死なれたら、私は……」

「あ、ああ、大丈夫、死にはしないから」

 アリシアに背を向けて深呼吸をしようとしたとき。

『マスター、どうですか?』

 目の前の空間に全裸のシーズナルがいて温泉につかっていた。

 完成された肢体。

 黄金の比率で構成された胸、腰、尻。

 どこをとっても最上。流れる虹のように透き通った髪は、この薄暗い浴室の中でも輝いて見える。

「ぶふぉぉ!?」

 一瞬にして、先ほどまで浮かんでいた思考が彼方へと吹き飛んだ。

 記憶からも抜け落ちた。

 何を思っていたのかすら俺は忘却してしまっていた。

「ちょ、本当に大丈夫!?」

『この程度で噴き出すとはまだまだですね、マスター』

「だ、大丈夫だ」

 ――な、なんてことしてくれてんだシーズナルゥゥゥ!

 いや、別にそこまで怒るようなことではなかった。突然の裸に驚いただけだ、問題ない。

 そう何一つ問題などなかった。目の前にあるのは天上の乙女。ただの人間では触れることも見ることも叶わぬ存在。

 風そのものが人の形をとっているのだ。それが扇情的過ぎるのは当然。

 いや、何が当然か俺もわかっていないが、というかかなり混乱しているが。

 ともかく。

 ――ありがとうございます!

 これだけは言っておかなければならない。最高過ぎるものを見せてもらったのだから。

 輝く玉体に瑕もシミもない。

 美しい髪は艶やかで、しゃらりと動くたび、風に揺らぐたびにハープのような音を鳴らして光が舞う。

 瞳は澄み切り輝き、緑玉のように光の七色を内包しているようで。

 ただ純粋に美しさとはこういうものであるということをただただ見せつけている。

『お礼を言われるほどのことはしていませんが、受け取っておきましょう。なんて御しやすいマスター』

 ――その時々黒いのは素なんですかね、演技なんですかね……。

「まったくどうしたのよ?」

「いや、うん、何でもないんだ、本当に」

「それ言った直後に噴出されたんですけど、どうなのよ」

「いや、うん、まったくだいじょうぶ」

 今は、深呼吸をして頭を冷やしたところだ。それに目を閉じた。視覚を封じることでまともに話すことが出来る。

 たぶん。

「まあ、それなら良いけど。本当、何かあってからじゃ遅いんだからね」

「わかってるよ。昨日も整備してくれてたんだろ。だから大丈夫だ」

「き、気づいてたの。そ、それは、眠れなかったからよ。それに働きに出るんだもの、万全の方がいいでしょ」

「ま、それはそうだな」

 決闘やらあったし。

「なら、今日も整備するのか?」

「流石に疲れたわ。もうくたくたぁ」

 んー、と体を伸ばすアリシア。

 目を閉じたとしてもセンサー類のおかげで正確にその様が見えてしまう。むしろ視覚でとらえるより良く視えるまであった。

 だが、今は平静だ。問題ない。そう言い聞かせる。

「そうだな、疲れたな」

「魔導サイボーグなんだし、疲れてなんてないんじゃない?」

「精神的な疲れはあるよ」

 軽めの雑用依頼ばかりやってきた。魔導サイボーグとはいえ、一日働いたのだ精神的な疲れもある。

「……そう。精神的な疲れ、あるんだ」

「そりゃ人間だからな。あるに決まってるだろ」

「そりゃそうよね、ごめんなさい」

「だから、こういうのが気持ちがいいんだよなぁ」

 はぁ、と息を吐きだして、じっくりと湯につかる。

 改造される前、風呂は好きだったが、あまり長く入っていられなかった。俺は暑がりだったおかげで、すーぐに出たくなってしまうのだ。

 その点は改造されて良かったのかもしれないな。こうやって気にせず、風呂に入っていられるのだから。

「そうね、すっごく気持ちが良いわ。研究施設ではずっとシャワーだったからこういうの本当に久しぶり……」

「そうだな。あいつら、きちんと風呂とか入れてるのかな」

「一緒に召喚された、クラスメートだっけ」

「ああ。俺とは違ってすごい奴らばかりだし、大丈夫とは思うんだけど、異世界だからな」

 もう一月と数日だ。どこで何をしているのだろう。

 死んでないよな。

 生きてるよな。

 怪我とかしたり、病気になっていないだろうか。

「いきなり改造されたりとかしてないだろうな」

「……ぅ」

 これくらいの意地悪はいいだろう、少しくらいは。

「それくらい何が起きるかわからないからな。この異世界は」

「そう、ね。ギルドの情報網なら何かわかると思うわ。異世界人は大抵なにかしら大ごとを起こすからね」

「そんなにか?」

「ええ、英雄もいれば悪人もいて、大きな救済をしたこともあれば、大悪事を働いたことも」

「例えばなにかあるか?」

「良い方? 悪い方?」

「できれば両方」

「そうね……ん、と」

 形の良い唇に人差し指をあてがってアリシアは視線を彷徨わせる。

「良い方だと、魔王討伐かしら、やっぱり」

「魔王、魔王がいるのか?」

「ええ、いるわ。といっても、異世界人たちが良く言う魔族っていうんじゃないけどね」

「じゃあ、どういうものなんだ?」

 お湯を手ですくいながらアリシアは続ける。

「このお風呂が世界だとして、私の手の中にあるのが魔王ね」

「ちょっと待て、いきなりよくわからない説明が始まったんだが、どういうことだ?」

「魔王っていう存在の説明」

「その手の中のお湯が魔王?」

 益々意味が分からない。

 お風呂がこの世界で、手の中のお湯が魔王?

 どういうことだ?

「こういうこと」

 ばしゃりと彼女の手の中のお湯が湯舟におちる。

 波紋がふわりと広がって消えた。

「?」

「この世界に波紋を投げかける存在。単一でこの世界というものの在り方を変えるもの。それが魔王という存在よ」

 だから湯舟と手の中のお湯なのか。

 例え少ない水であろうとも、湯舟という世界に対して水が落ちれば波紋になる。そういいたいのか。

「もっとわかりやすい説明はなかったのか」

「これが一番簡単な話よ。あなた敵愾種とか言われてもわからないでしょ」

「もちろん」

 根源魔導書庫にはあるだろうが、俺自体は知らない。

 知るならばそれに遭遇した時だろう。

「だから、簡単にしたのよ。世界というものに波紋、つまり大きな影響を与える存在を私たちは魔王と呼んでるのよ」

「なるほどな。で、それを異世界人が倒したって?」

「そうね、異世界人は強い特質を持っているから。そういうのが作用してね。異世界人を奴隷にする事業だって元々勇者召喚って言う儀式が大本だからね」

「じゃあ、悪い方は?」

「……やっぱり死の砂杭デッドマンズピラーかしら」

 聞いただけでも明らかにロクでもないのが良くわかるネーミングだ。

「何が起きたんだ?」

「二十年前くらいかしらね……特異な力を持っていた異世界人が力を暴走させて、とある杭をその街の中央に差し、その周辺一帯の全てが死に絶えた」

「全てって……」

「全部よ。人も、動物も、魔獣も、大地ですら全部が死に絶えて、真っ白な砂になりはてた。そして、そこから起き上がったのよ」

 死の杭は、半径数キロ全ての生命を根こそぎ殺しつくし、砂と化させ、そして起き上がらせた。

 生死者アンデットへと変じさせたのだ。

 だが、この異世界にもあるようなただのアンデットではなく、砂でできた怪物。朽ちることもなく、倒すことも出来ず、ただそこを徘徊し、通りかかる生者を殺す。

 そんなものへと転じさせた大災禍の原因を死の砂杭と人々は呼んでいる。

 その地方は、未だに生命が戻る気配はなく、年々広がりすら見せているといわれている。

 ただ、あとから足を踏み入れたとして砂になって死ぬことはないらしいとも彼女は言った。

「その大災禍を生き延びたのは、一人だけ。どうやって逃れたのかもわからない、哀れな、哀れな少女だけだった」

「それって……」

 もしかしてアリシア自身の話なのでは……? と俺は思った。

 そう話している時のアリシアは、まるで遠い昔を懐かしむように遠くを見ていたから。

「もしかしたらあなたのクラスメートもそこに連れていかれているかもしれないわ」

「なんでだ?」

「異世界人の力には異世界人の力ってこと」

「ああ、もしかしたらその杭の力をどうにかできる奴がいるかもしれないってことか」

「まあ、今までいたことはないけどね。杭を抜かないとあの場所は元には戻らない。だけど、誰も抜けない。抜こうとしたら砂になって死ぬ。あれはそういうものだから。それに、今はそこにかまけている暇は国にはないだろうしね」

「なぜだ?」

「あなたよ」

「俺?」

「魔導サイボーグが逃げたのよ? 国からしたら一大事じゃない」

「俺そんな大したものなのか」

「大したものなのよ……そう、とっても……この国にとって……ん、ふぅ……」

「そうか」

「そろそろ上がるわ。のぼせちゃうから」

「俺はもう少し入ってるよ」

「そう、何かあったら言うのよ」

 アリシアの言葉にうなずいて、出ていく彼女を見送る。

「…………」

『どうかしましたか、マスター』

「熊谷の事が気になってな。何もないと良いんだけど」

『……風はいつも吹いています』

「どうした、いきなり」

『吹いた風はどうにもならない。それは人生も同じこと、そういう意味です』

「確かに、その時になるまではわからないか……明日から、本格的に探さないとな」

『その前にお金ですけどね』

「そうだなぁ。まあ、明日も雑用かな。まずはこの街に馴染もうと思うよ」

『はい、それが良いかと。冬の風も春の風も、馴染むまでは時がいります。マスターならば大丈夫でしょう』

 しばらく使ってから上がる。

 風呂上りに果実汁が売られていたので、飲んだ。

 甘い味にちょっとした酸っぱさがあった――。

「はぁ」

 俺の吐いた息を風が運んでいく。

 俺は風の中に歌を聞いた気がした――。

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