第13話 初めて同士

二階の俺の部屋の窓から、狭い路地の先に海が見える。

その路地を見慣れぬ人が歩いていたら、それは近所の民宿に泊まっている釣り人と思って間違いない。

ちょうど今も、見慣れぬ茶髪のネーチャンがキョロキョロしながら歩いているから、釣り場でも探しているのだろう。

って、んなワケあるか!

なんだあの異質な存在感は! 

潮風にさらされてび付いた自転車と、民家の軒先にぶら下がるアジの開きが入った網篭。

そんなものを興味深げに見ているヤンキー女。

腰の曲がった近所の婆ちゃんが通りかかり、ギョッとして一瞬腰が伸びたのが見えた。

「こんちわ!」

「あ、ああ、こんにちは」

挨拶は意外と快活で、好印象。

だが、ホットパンツから伸びる脚や、目許を強調した濃い化粧は、婆ちゃんと同じ人種とは思えない。

「真那、こんなところで何やってんだ」

俺は窓から、その茶色い頭に声を掛けた。

「おお和真! ちょうど良かった!」

こちらを見上げながら、真那はニカッと笑う。

何か嫌な予感がする。

「私と遊べ」

遊ぼう、じゃなくて命令形だった……。


自分の部屋に女子を招き入れるのは、いつ以来だろうか。

葉月の事件以後も、美澄は何度か来たと思うが、それも中学二年くらいが最後だろう。

「おお、眺めいいね」

真那は窓辺にもたれて、畳の上に素足を投げ出すように座る。

ペディキュアが目に入り、何故か視線を逸らしてしまう。

……を招き入れるのは初めてかも知れない。

「こんなところで、何してたんだ?」

「いやぁ、美澄の家を訪ねたら留守でさぁ」

今日は土曜だから、家族で街の方へ買い物にでも出掛けているのだろうか。

「お前、美澄の家に行ったことあるのか?」

「んにゃ。前に、いつ来てくれてもいいよっつって、地図描いてくれたんだ」

美澄は方向音痴だ。

さすがに地元では迷わないが、地元以外では必ずと言っていいほど迷う。

幼馴染の間では、アイツを一人で歩かせてはいけない、という不文律がある。

地図を見せてもらう。

何だこりゃ!?

地図は北を上にする、という基本を無視しているのはいいとしよう。

だが、駅、海、山、という素晴らしく簡略化された表記は、子供の頃に想像で描いた宝の地図のようだ。

ご丁寧に、和真くんの家、というのも見つかるが、俺はこの地図を頼りに駅から辿り着ける自信は無い。

「よくここまで来られたな」

「いやぁ、駅から遠いんだな。美澄の家まで四十分かかったわ」

いや、十五分なのだが。

「そこからお前んちまで十分だろ。通学大変だな」

いや、美澄の家から三分なんだが。

「そういやさっき、そこの路地で三島を見掛けたな」

「葉月?」

「そうそう、あのお高くとまった女」

……まあ、そう見えても仕方ないか。

「アイツは、何してたんだ?」

「なーんかキョロキョロしてて、私の姿を見ると逃げるようにどっか行ったな。アイツの家も近いのか?」

葉月が、この辺りに来るのは珍しい。

いや、俺が知らないだけで、美澄の家を訪ねることは多いのだろうか。

「近いと言えば近いが、方向が違うな」

「いかにもお嬢様な感じで、こんなとこ歩いてると違和感ありまくりだよな」

違和感だったらお前も負けてねーよ。

海辺と言っても海水浴場も砂浜も無いところだ。

最近、暑いとはいえ、まだ六月に入る前だし、ホットパンツの若い女性なんて目立ちまくりである。

「潮の匂いがするな」

「まあ海が近いからな」

「潮の匂いを嗅ぐと、なんかムラムラするよな」

「しねーよ!」

「そうか? なんか生臭い感じが生々しいっつーか」

「だったら海辺の人間は年中ムラムラしてんのかよ!」

真那がクスクス笑う。

投げ出していた脚を曲げ、膝を抱えて座る。

脚の付け根が目に入りそうになったので、慌てて視線を窓の外に向けた。

またクスクス笑う。

からかわれているのだと気付く。

「外に出るか」

俺にとっては、潮の匂いよりも化粧の匂いでせ返りそうだ。

だが、決して不快というわけではない。

ただ、友達に女を感じてしまうのが嫌だったからだ。


ここに来るまで随分と歩いたようなので、家から目と鼻の先にある船着き場に座る。

足下に青い魚が群れている。

真那はそれを物珍しそうに見ながら、足をブラブラさせる。

「海なんて珍しくないだろ」

真那は高校のある町に住んでいる。

海には慣れ親しんでいるはずだ。

「あっちは砂浜が多いし、中学の時につるんでたヤツらと馬鹿やってた思い出しかねーなぁ」

「花火とか?」

「宴会とか、生き埋めとか」

宴会=アルコールではないからな、うん。

生き埋めは、生きたまま埋めて殺すんじゃなく、あくまで生きたままだからな。

「こういう海も悪くないもんだな」

本当にそう思っているようで、妙に大人びた口調で言う。

「そいつらとは遊ばないのか?」

ヤンキー仲間とでもいうのだろうか。

見た目の派手な、そういった連中と遊んでいたのだと思うが。

「あの高校に入ったのは私だけだから、なんか疎遠になっちまったなぁ」

「疎遠になって寂しいのか?」

真那は一瞬、きょとんとした顔をする。

「んー、それがそうでもない」

「ならいいじゃないか」

俺は葉月と疎遠になって寂しいが、寂しくないなら、新たに何か得たものがあるということだろう。

「ただ、居心地がいいような、そうでないような気がしてさ」

「今が?」

「お前や美澄みたいなタイプと付き合うのは初めてだし」

「俺もお前みたいなタイプは初めてだ」

「初めて同士か」

またさっきみたいにクスクス笑う。

どこかエロいのに、さっきよりも女の子っぽくて、悪くない笑顔だった。

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