第27章

〜二人のやりとり 2 〜


絹代はライと別れて家に帰った。


ライに言われた【両親を愛している】という言葉は、絹代を愕然とさせた。


好きな色の服を着せてくれず、下着も靴下も決められたものだった。

友達との関係を壊され、読む本、見るテレビ、その日の過ごし方にも口を出して来た。

絹代の母親はよく、【世の中の汚れた情報から守らないと、高潔で美しい魂は育ちません。】と言っていた。

絹代はそれを、反抗しても無駄だと思って諦めて受け入れてしまっていた。


絹代が小学一年生の頃、キャラクターの付いた筆箱をねだった事があった。そんな絹代に対して母親は、【言う事聞かないと、ご飯作りませんよ。】と言った。絹代は黙るしかないと思った。そして同時に卑怯だと思った。絹代は幼く、包丁も火も使えないし、ご飯を買うお金も持っていない。

絹代は母親からご飯をもらわないと生きていけない。子供は絶対的弱者なんだと痛感した。

絹代はその頃から抵抗するのを辞めてしまった。自分の命の為に。


組織の唱える理想ばかりを語る両親の姿を見て、絹代は矛盾を感じずにはいられなかった。

不信感ばかりが募り、結婚相手まで決められる恐怖が絹代を決別へと導いた。


それなのに、ライには絹代が両親を愛してるように見えたのだ。

そして、それを指摘されて絹代は泣いた。


絹代が人前で泣くことはあまり無かった。


ライの言葉が絹代の琴線にふれたのだろうか。


という言葉に。


絹代は思った。

【愛してるなんて、分からない。

私が両親の期待に応えてきたのは、私の命の為だ。愛だなんて認めたくない。】


絹代の側にいて、逐一チェックして来た母親。

仕事に明け暮れ、絹代の意思よりも組織の意向を重んじた父親。

絹代は今、自分の人生を取り戻そうとしてる。


【苦しいのは、両親の呪縛のせいだ。愛なんかじゃ無い。】


絹代は心の中で叫んだ。


次に二人が会ったのはそれから二日後だった。絹代は居酒屋の個室の席に着くなり、


「やっぱりどう考えても私は両親を愛していません。この前は、悲しませたくないから。なんて言い方をしましたが、お説教が面倒くさかったり、また否定されるのが嫌だったからだと思います。」


と言い放った。


「ご両親との関係について、色々と考えたのですね?」


「はい。両親の指示に従わないと生きる術が無いから。」


「こんなに平和な国なのに?」


「子供は絶対的弱者でしょ?」


「それはそうですね。」


絹代は顔をしかめながら


「実は、高校を卒業したら結婚するように言われていたんです。しかも相手は組織が選ぶって。そんな事言われて、我慢できなくて、決別しようと思ったんです。何とか大学に行って、バイトをして、お金を貯めて、自分一人で生活できるように準備を進めていたんです。」


と打ち明けた。


「高校を卒業して結婚なんて随分と早いですね。」


「母としては、しばらく組織の手伝いをさせてから結婚すれば良いと思っていたようでした。

組織の考えに基づいた子供同士の結婚と出産により、組織の思想を広めようとしているようでした。このままだと、私の人生は組織と両親の物になってしまうのが凄く怖かったんです。」


「あぁ、それで絹代さんは最初に自分の事を操り人形だと言ったのですね。」


「そうです。」


「絹代さんは結婚相手を自分で選びたいのですか?」


「そんなつもりはありません。そもそも、結婚するつもりがありませんから。」


「あぁ。最近の女性はそんな考え方の人が増えていますからね。そのおかげでこの仕事ができるんですよね。」


「あぁ。私、子供も望みません。」


「そうでしたか。」


「なんか、不安で。」


「子供を育てるのが、ですか?」


「う〜ん、何て言ったらいいか…。その子供の命の全てを私が握るのが怖いんです。

例えば、赤ちゃんの足を持って、思いっきり壁に打ち付けたら簡単に死んでしまうじゃ無いですか…。

その姿を想像してしまうんです。あまりに力の差が大きくて…。きっと食事に毒を混ぜても、子供は何の疑いも無く食べるでしょう。

子供の命が、全て私に掛かっているなんて、その存在が愛おしければその分、不安になると思います。この子にこれだけの影響を、私みたいな人間が与えてもいいのか?って不安になるんです。」


「子供は絶対的弱者?」


「そう、それ。」


「絹代さんは自分が愛しい相手に対して絶対的強者になるのが怖いんですね。」


「そうかもしれません。こんな話しは誰にもした事は無いので、他の人はどう思うのかわかりませんが、こんな風に思う私がおかしいかもしれません。

単にかわいいとか、欲しいからという理由で子供は産めません。

私には相当な覚悟が必要です。深く考え過ぎでしょうか?」


「確かに覚悟は必要でしょうね。でも絹代さん、今は日本政府の支援があるじゃないですか、不安になった時には助言を受ける事が出来るのに、それでも不安ですか?」


「ライさん、あの施設を利用する子供達の気持ちを考えた事がありますか?」


「ご飯があって、暖かい布団で安心して眠れる場所ではないのですか?」


「確かにご飯はあるかもしれません。でも子供達は育児施設に行く事で、家庭環境や、生活水準といった格差を突き付けられるのです。

そんなものは学校で、イヤと言うほど思い知らされているのに、育児施設はさらに親の愛情までも比較対象になるんです。

毎晩を施設で過ごす子供はきっと、寂しさに打ちひしがれると思います。どれだけ支援員が寄り添っても、いつも親が迎えに来てくれる子を羨み、自分は愛されて無いと感じるでしょう。」


絹代はライの目を見つめて、更に続けた。


「そうすると、毎日を施設で過ごす子供は必然的に集団をつくります。

集団が出来ると問題が起きやすくなります。着てる服や持ち物、子供達同士で格付けが決まり、対立を生み出します。

そうして子供達の心は疲弊して行くんです。」


「毎日、食べる物があっても幸せでは無いということですね?」


「贅沢でしょうか?ライさんはどうでした?」


「何とも言えません。僕が幼い時は、食べ物が無くていつもお腹が空いていました。

僕は栄養失調で死にかけた事があるんです。もう二度と目覚めたく無い、と神様にお願いして眠りにつきましたが、今こうして生きています。食べ物とベッドがある生活は、それだけで幸せでしたから。」


「保護されたのですね?」


「まぁ、そんな感じです…。でも、絹代さんの言う通り、もしも連れていかれた先に子供がたくさんいたら、僕の生活はもっとシビアなものになっていたと思います。」


「壮絶ですね。」


「貧しくても、富んでいても信頼関係や愛が無ければ幸せとは言えないのかもしれませんね。僕達は二人とも家族に愛されたかったのかもしれませんね。子供は皆、それを必要としているのですね。」


「私は両親と信頼関係を結ぶ事はできませんでした。血の繋がりがある分、義務だったり、期待だったりが出てきてしまって、他人との関係よりも複雑になってしまいました。」


絹代はライとの会話の中で、自分と両親との関係性を考え直し、客観的に見つめ直すことで、自己を構築していくような感覚になっていた。


絹代がようやく自己主張を始めたのだ。両親から離れて生活する事で少しずつ毒が抜けて来たのかもしれない。


絹代は自己主張をする事で自分の意思を尊重しようと考えるようになっていた。


これは今までの絹代には無かった事だった。

ライに話して声にする事で絹代の思いが頭の外に出てゆくのは、絹代が自分の意思を客観的に見るのにとても大切なプロセスとなっていた。


この作業は、絹代に思わぬ影響を与えた。


自分の意思を尊重することは、自分自身の尊重にもつながっていったのだった。

絹代は少しずつではあるが、自分を守りたい という気持ちを持つようになっていった。

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