第26章 二人のやりとり

〜二人のやりとり〜


ライは絹代との関係性に特別な感情を持っていた。本来なら親密になってはいけない女性スタッフとの接触は、背徳感からか、ライの心を揺さぶり続けた。

ましてライは絹代の事を美しいと思っている。

ライは明らかにミッションから離れ、ルール違反をしている。そうと分かっていても絹代と会うのを辞められない。


デニスからのミッションの中で、女性の誘いというものも当然あった。ライはどんなに女性に迫られても秘密を明かさなかったし、動揺もしなかった。


でも絹代相手には何もかもが上手くいかない。深い海の様な瞳に、菩薩のアルカイックスマイルを思わせる顔つき。

絹代に見つめられたら、ライは正気では無くなる。


これが俗に言うなのかは分からない。もう、そんな事はどうでもいいとライは思っていた。


ライの心を初めての感情が埋めて行く。満たされた、心地良い、浮き足立つような、そんな気分だ。


次に二人が会ったのはそれから3日後だった。


約束の駅で絹代は白色のブラウスにグレーのパンツ姿で現れた。


思わず笑みを見せたライに向かって絹代は、


「よく私に気付きましたね。地味だって言わないのですか?」


と聞いた。


「何が地味なんですか?」


「服です。」


「あぁ、そうですか?どんな服も良く似合っていますよ。」


「男性が褒める時は、下心がある時だと言われました。」


「私は絹代さんの客ではありません。正直な気持ちなので、駆け引きのようなつもりもありません。ただ、下心だと言われると、困ってしまいます。」


「そういった言葉とは無縁だったから、勘ぐってしまうのです。派手な色の服は両親が許しませんでしたから。小さな頃は女の子らしい服にとても憧れましたが、いつのまにか抵抗する気力も無くなってしまいました。」


「そうでしたか…。服は絹代さんの美しい身体を覆い隠す布にすぎません。何を着ても絹代さんの本質に変わりは無いはずです。」


絹代は目を伏せた。


しばらく歩いて、二人は近くの店に入って食事を共にした。


「ライさんは私を否定しないのですね。」


「否定する理由がありませんから。」


「私はずっと否定されて来ました。何をやりたいと言っても両親は許可してくれませんでした。

両親の決めた事に従っていれば、彼らは満足でした。

かと言って褒められる事もありませんでしたが…。

正確に言うと、両親では無く、イディブレインと言う思想組織が決めた事だったのかもしれません。」


「組織?何ですかそれは?」


「簡単に言えば、宗教のようなものだと私は思っています。偶像崇拝はありませんし、神の様な存在もありません。より良い生活を送る為の知識を出し合い、人として高潔な精神を保とうと活動しています。」


「それは良い事ではありませんか?」


「私には自分で決断が出来ない人達の集団に見えます。失敗を恐れるあまり、あらゆる選択を組織に委ね、責任から逃れているような…。

自分に自信が無くて、それなのに高尚で在りたいと思う願望だけが肥大した人達です。そして彼らは、失敗した人を見て愚かだと蔑むのです。自分達が挑戦も出来ない臆病者である事を忘れて。

果敢に挑み、戦った人達を馬鹿にする姿を私はずっと見て来ました。その姿を高潔とは思えなくて…。」


「そうでしたか。自分と考えの違う人間を否定するのは、高潔とは違うかもしれませんね。」


「そうなんです。その思いはそのまま私自身に向けられて、組織の人達を否定している私自身も、高潔では無いのだって気付かされて自己嫌悪で潰されそうになるんです。」


「高潔である必要はあるのですか?」


ライに問われて、絹代は考えた。

絹代の父と母は事ある毎に、【高潔な魂でありなさい。】と言った。


少しの沈黙の後、


「私が高潔であろうとする必要は、高潔を目指さなくなったら、父と母が悲しむから私は高潔でいようと苦しむのかもしれません。

今やってる、この仕事だって、両親に知れたら気が狂うと思います。両親からの独立の為とはいえ、下着姿で奉仕する私を、私自身が一番蔑んでいるんです…。」


「ご両親を悲しませないように、高潔で有ろうと苦悩するなんて、ご両親の事を愛しているんですね…。」


そう言われて、絹代はハッとした。

愛してる?両親を?まさか。


傷付けたく無いと思うのは、愛してるから?

落胆させたくないのも。

この仕事を隠すのも。


絹代の頬を涙が伝った。


「愛してるのでしょうか?両親を。」


「そのように感じました。苦しいのは、自分にとって相手が大切な存在だからだと思います。

ご両親の期待に応えようと、必死に頑張って来た絹代さんをご自身が蔑む必要はありませんよ。」


絹代の涙は顎の先からポタリポタリと落ちてブラウスを濡らした。


従って来たのは私。

抵抗しなかったのも私。

もう、諦めてしまったのも私。


自我を通さず、両親の歪んだ庇護の下、絹代は育ってきた。


「でも今、私は、両親から決別しようと画策しています。両親への裏切りでは無いですか?」


ライは少しだけ笑みを浮かべて絹代に諭すように話しかける。


「裏切りが苦しいのも、愛してるからだと思います。僕も最近そんな思いを抱いていますから。この言葉は、僕自身にも語りかけているものでもあります。」


ライが絹代に投げかける言葉は、ライ自身に投げかける言葉でもあった。


死と隣り合わせの幼少期。

デニスに育てられた少年期。

本当の指示者が誰かも分からずに、指示に従い続けた青年期。


ライはデニスに従う事で生きていく事ができたから、ミッションでのルール違反は、デニスに対する裏切り行為となる。

それなのに絹代と会うのを辞められなくて、苦しい。


苦しいのは、デニスに対して恩義を感じていたし、今まで、デニスに喜んで貰いたいと思ってミッションをこなして来たからだ。

ライにとって、デニスは大切な人なのだ。


ライも絹代も、今やっと自我が目覚めたのだろうか?


子供の頃に駄々をこねて無いと、大人になってから色々と無理が生じてきて足掻く事になるのだろうか?



ライは静かに、泣いている絹代の姿を見ていた。


「絹代さん…、苦悩して、足掻いて、失敗して、考え抜いて、汚れて。

その経験こそが、精神を高潔へと導くのだと僕は思います。

苦しみを知らない精神は、高潔にはなれません。一度も過ちを犯していない人間がどこに居るのでしょう?僕は多くの人を裏切って来ました。」


ライがこれまでにしてきた事は、企業から情報を盗み出し、多くの違法物を運び、幼い子供をさらった。他にも数え切れないほど罪を犯している。

ライは過ちを犯す為に生かされてきた。

ミッションの内容の事なんて考えてこなかった。ただ従い、報酬を貰い、生きる。


絹代はライの本当の仕事を知らない。

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