第24章 ライの気持ち

〜ライの気持ち〜



僕は戸惑っていた。

そんな風に言われるなんて。


そもそもの間違いは、僕が春花さんに声を掛けてしまった事だった。


帰ってゆく姿を見て、もう少しだけ見ていたい。という衝動に駆られ、思わず近づいてしまった。


近くで見る春花さんの髪は長く、黒く、流れる墨のように美しかった。

化粧気のない肌は無垢で、陶器のようだった。




春花さんの事はずっと前から知っていた。去年の冬だった。


スタッフの秋穂さんの後を付ける女の子、それが春花さんだった。

最初僕は、秋穂さんの客の彼女か何かが尾行してるのだと思っていた。いつもは客の男がウロついて無ければそれで監視は終了するのだが、女の子がずっと尾行しているので僕も2人を遠くから見ていた。

すると、駅で女の子は秋穂さんに近づいた。面倒な事にならないか僕は聞き耳を立てた。


女の子は【バイトを紹介して欲しい】と言っていた。とりあえず客絡みではないようだ。


随分とあどけない、純朴そうな女の子にはこの仕事は難しいだろう。と思った。


その後、あの女の子がスタッフとして加わった事を知ってすごく驚いた。


一体何があって、こんな仕事を選んだのか、僕は気になり出してしまった。それが春花さんを認識する始まりだった。


僕が声を掛けた事で警戒する春花さんが田山に連絡しようとしたので、なんとか阻止しようと僕は慌てた。


安心感を与える為に、僕が何者かを明かしてしまった。


僕はスグに激しく後悔した。あの訓練の日々は何だったのか。どんな誘惑にもなびかなかった僕が、明らかなルール違反を犯してしまった。もうここにはいられない。

事情を話して日本を離れよう。デニスはどれだけ怒るだろうか。もう僕には仕事を回さないだろう。それどころか用済みの僕は誰かに殺されるかもしれない。


それなのに春花さんは僕の腕を掴んだ。


無機質な僕の心にあらゆる感情が波のように押し寄せる。


僕は春花さんと向かい合って座った。

何を注文したかなんて覚えていない。

こんな状況はありえない。かと言って不自然に振る舞えば怪しまれてしまう。僕は出来るだけ自然に会話する事に徹した。


春花さんは、いつも1人だと言った。仕事中は身体の中に心が無い、自分は操り人形だ。と言った。


そんな春花さんが会話の最後に微笑み、これからも僕に話を聞いて欲しいと言う。


他人から無条件で必要とされるなんて、初めてだった。

僕が今まで生きてきた人生は、ミッションをこなし、要求に応える事でしか僕を必要とされなかった。


僕は何の代償も払って居ないのに、春花さんは僕を求める。

ただ話を聞いて欲しいと言う。


僕は、この美しい女性に必要とされる存在になった事を実感した。


僕の一番大きな存在意義が誕生した。

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