第23章

季節は夏になろうとしていた。

この日の待ち合わせは夜の7時だった。


いつものように駅の近くの路地で待っていると、田山さんからキャンセルの連絡が入った。こんな事はこれまでにも何度かあった。


私は帰ろうと思って歩き出した。

その時、声をかけられた。


「春花さん、ですね?」


そう言われて、顔を上げると外国人の男性がいた。


今日はキャンセルなのに、声をかけられるなんて、何だろう。


「田山さんに連絡します。」


私がそう言うと、男性は慌てて、


「分かっています。今日はキャンセルなんですよね。僕がそれを田山さんに連絡しましたから…。コーディネーターのライと言います。初めまして。」


「田山さんを知ってるんですか?」


「はい。院長と田山さんから依頼されて、お客様の管理の仕事をしています。」


「コーディネーターの方がいるなんて、知りませんでした。」


「本来なら、女性スタッフにはコンタクトはしませんから。」


「それがどうして?何かあったんですか?」


私が首を傾げると、彼はうつむいた。


「どうか許してください。あなたの黒い髪があまりに綺麗で、声をかけてしまいました。」


私の心に黒い影がよぎる。


「あの?何をして欲しいのですか?」


「少し、少しだけ、話をしてみたかったのです。それだけなんです…。僕は、あなたとお客様がちゃんと落ち合う事が出来るかサポートして居ました。ですから、あなたの事をいつも見ていて、いつか話をしてみたいといつも思っていたのです。」


「気づきませんでした。」


「僕は耐えるべきでした。それなのに。きっと魔が差したのでしょう。すみませんでした。もう、二度とあなたの前には現れません。どうか忘れてください。」


彼は逃げるようにその場を離れようとしていた。


そして私は思ってもいない行動に出る。


彼の手を掴んで、


「良いですよ、話しましょう。ヒマですから。」


と言ってしまったのだ。


自分でも何故こんな事をしたのか分からない。

オドオドする彼があまりにも不憫に思えたからなのかもしれないし、男性に対して免疫がついて、大胆な行動に出てしまったのかもしれない。


彼は驚いて、


「いえ、でも。」


と、うろたえている。


「話したかったと言ったのは、あなたですよ?嘘をついたんですか?」


「とんでもありません、嘘ではありませんよ。」


彼は目を見開く。


私は自分自身が急に恥ずかしくなってきた。

そして彼の手を掴んだまま、近くにある喫茶店に入った。


「誰かとこんな所に来るのは初めてです。」


私は言った。


「そうなのですか?」


「私はいつも1人ですから。」


「僕もです、一緒ですね。」


「こうして誰かと話をするのもです。」


「お客様とは話をされないのですか?」


「あんな上辺だけの言葉、いくら交わしても会話とは言えません。仕事中、私の心は私の身体の中にはありませんから。」


彼は少し悲しそうな顔をして


「お仕事の事を聞くなんて、無粋でした。すいません。そんな気持ちになっているのに仕事をしているのは立派です。」


と言った。


「私が両親と決別する為です。私が一人で生きていく為には、どんな仕事もします。」


彼は


「両親と決別する必要があるのですか?」


と聞いた。


「両親の側に居たら、私はただの操り人形ですから。長い時間をかけてでも、私は自分自身で人生を選択したいのです。」


「操り人形、ですか…。考えてしまいます。もしかしたら僕も操り人形なのかも知れません、気づきませんでした。」


「ライさんにご家族は居ますか?」


「みんな死にました。父の事はわかりません。僕をここまで育ててくれた人はいます。でも、もう会えないかもしれません。」


「複雑なのですね。聞いてしまってすみません。」


「いいえ。でも、家族が居るのに苦しいなんて辛いですね。」


「家族って、期待してしまうじゃないですか、次は理解してくれるかも知れないって。でもその度に打ちのめされると、自分の存在意義まで分からなくなります。何故産んだのだろうって。」


「存在意義ですか…。」


「ライさんは自分の存在意義はなんだと考えていますか?」


「仕事をする事だと思っています。それが育ててくれた人への恩返しだと思っていますから…。春花さんの今のところの存在意義は、両親から決別する事にしたらどうですか?」


「そうですね…。私、初対面の人にこんな事を話しているなんて、自分でも驚いています。

友達も居ませんでしたから自分自身の気持ちとか、家族のことを誰かに話した事が無かったんです。なんだか今、凄くスッキリしています。こんな気持ちになるなんて驚きました。」


「心に溜まっていた思いを吐露して、少し気が楽になったのかも知れませんね。良かったです。」


私は自然と笑顔になっていた。そして、その事に気付いて我に返り、頬に手を当てた。


私が誰かと話をして笑顔を見せるなんて、こんな事今まで無かった。


両親にもと言われてきた。


私から笑顔を奪ったのは両親なのに…。


そして私は彼にこう言った。


「ライさんご迷惑で無ければ、これからも私の話を聞いてください。お願いします。」


と。

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