2 「禁止」と「消尽(蕩尽)」 

 ぼくがバタイユをはじめて読んだのは20歳の頃です。そのせいか、バタイユは若いうちに読んでおくのがよいと思っています。老いてから読むと、いまいちノれないのでは?と思います。その理由は、このエッセイにざっと目を通していただければ、わかっていただけるような気がします。

 

 バタイユはたくさん文章を残していますが、ぼくにとってバタイユの「骨」をつかむには、晩年の著作(未完成品を含む)、3部作とセットで語られることの多い『呪われた部分』『エロティシズム』『至高性』だけで充分だろう、と思っています。もっとも、我が家の本棚にはバタイユの著作が10冊ほどあり、一応は読んでいますが・・・


 まずは『呪われた部分』(1949)から見ていきましょう。

 冒頭から、すぐに「骨」が見えてきます。それはバタイユをよく知っている人にとっては有名ですが、「消尽(翻訳の違いによっては蕩尽)」という概念、キーワードに集約されるものです。

 

 消尽とは、富やエネルギー等が無駄に(どちらかというと華々しく)捨てられていくことです。


 バタイユは、生きとし生けるものの世界(生命の世界)において、エネルギー(富)は常に過剰である、と洞察しました。これはバタイユにとって公理とも言えるもので、あらゆる議論の前提になっています。

 とはいえ、‘そんなことはない。現実を見よ! たとえば世界には貧困が蔓延しているじゃないか’とかいう一般的な感情から、‘むしろ逆だろ。エネルギー(富)は常に不足しているんじゃないか’とかいう意見を持たれる方がでてくるかもしれません。

 これについて、バタイユの見解を踏まえるなら、おおよそ次のように反論することができます。

 

 経済を、富(エネルギー)の流れや分配のシステムだとするなら、限られた範囲においては、なるほど「貧困」はあるでしょう。が、生きとし生けるものの世界全体、普遍的な見地からは、やはり富は過剰だろう、と。

 バタイユは、前者の見方を「限定経済」と言い、後者の見方を「普遍経済」と呼んで区別しています。もちろんバタイユは「普遍経済」的見地に立っています。


 まだちょっと、よくわかりませんよね?

 エネルギー(富)は常に過剰、という主張は、どのようにイメージしたらよいのでしょう。


 たとえば、太陽を想起しましょうか。太陽は燦燦と輝き、エネルギーを地表にもたらしますが、植物がそこから自身の成長に回収していくエネルギーはわずかであり、多くは捨てられていきます。

 また、ぼくたち人間は毎日たくさん食べますが、そのすべてを成長や個体維持のためのエネルギー、栄養として100%活用しているわけではありません。必ず過剰な部分、無駄が発生しています。

 バタイユのいう「生きとし生けるものにとってエネルギーが過剰」、というのは、与えられたエネルギー、そのすべてを自身にとって有用なものとして回収し尽くすことができない、という事実を指しているのです。


 あるいは、「普遍経済」的見地というなら、全体的に眺めるというなら、‘それならそれで、中学校の理科で、「エネルギー保存の法則」なんてのを習ったぞ’とかいう意見があるかもしれません。‘エネルギーは一定だ! 過剰じゃない’とか。

 それはぜんぜん別の話です。

 生命にとって、環境がもたらすエネルギーは自身のために回収しきれない、ということを言っているのですから。

 とはいえ、あえてエネルギー保存則の土俵にのってみるなら、それは活用されずに熱として拡散していくエネルギー、捨てられていくエネルギーを足しての一定、保存則だ、ということをお忘れなく。

 繰り返しになりますが、バタイユの言う過剰とは、「有効活用されず、捨てられていく」ことですから、保存則の話とは意味合いが異なります。


 と、こういう話し方をしていますと、‘なんだ、バタイユの言っていることなんて文学(空想)じゃないか’と受け取られかねないですね。

 実際、『呪われた部分』を読んでみたものの、肌に合わず、ページを繰るのを止めてしまった人は結構いるのではないか、と思います。


 そこで、ちょっと別の角度からバタイユを擁護してみようと思います。

 バタイユは『エロティシズムの歴史』(1976)の中で、人間と動物が異なる点は、人間に理性があることではなく、「禁止」されていることがあるからだ、としています。

 簡単に言うと、動物にはすべて許されているが、人間には「禁止」されていることがある、たとえば近親婚など、ということですが、少し補足というか、ぼくなりに解釈を加えてみたいと思います。


 動物の世界は、本能の世界です。

 本能を先天的なプログラム、あるいはエンジンだとするなら、動物は本能という名のエンジン、あるいはプログラムによって動かされて、ある範囲を逸脱することなく、安定的に生きています。一つの閉鎖的なシステム(円)を描いていく、とイメージしてもよいかもしれません。


 ところが、人間の本能は壊れています。あるいは、エンジンは常に暴走しかねない状態にある、と言ってもよいでしょう。

 この壊れた本能、暴走しかねないエネルギーを、精神分析学の用語を借りまして「欲動」と呼んでおきましょう。


 人間の世界は、本能ではなく「欲動」の世界です。この「欲動」に突き動かされますと、たとえば性欲など、異性愛に留まらず同性愛もあり得るようになりますし、異性の身体への執着から逸脱して衣類(下着)への執着へ移ったりします。簡単に言いますと、たとえば「欲動」に基づく性欲は、潜在的には、どんなものに対しても発情します。それが、壊れた本能をもつ人間の世界です。


 だからこそ、たとえば何に対しても発情する可能性があるからこそ、そこに「禁止」の立て札が設置されます。

 ‘それはやっちゃダメよ’と「禁止」が設定されます。

 動物には本能があるから「禁止」が要りません。逸脱しませんから。

 しかし人間の本能は壊れているがゆえに「禁止」が要請されるのです。


 この「禁止」は、「抑圧」と言い換えてもいいでしょう。「禁止」されればされるほど、「抑圧」されればされるほど、エネルギーが鬱屈としていきます。パンパンに膨れ上がった風船をイメージしてもよいでしょう。いずれ臨界点に達します。

 そして、パーン!

 「禁止」されればされるほど、萌える人がいます。そして、パーン! 


 この‘パーン!’が、バタイユのいう消尽の一側面です。『エロティシズムの歴史』では、「侵犯」という概念を使っています。

 しかし‘パーン!’が、システムの全体的な破滅(風船の破裂)、つまり人間の世界の破綻、に至ってしまっては元も子もありません。

 となると、風船を破裂させず、上手にガスを抜いていく、という類のテクニックが必要となります。


 つまり人間の世界は、普遍経済的には、「禁止」があるために、常に鬱屈とした(捌け口を求める)過剰なエネルギーが風船の中に溜まっている。

 だからこそ、何らかの捌け口、ガス抜きをしないことにはとても維持できない、ということになります。


 民俗学に詳しい人なら、‘なんだそれ、農村における「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」の話(循環)じゃないか’と思われるかもしれませんが、そう思われてもじつは大過ありません。わりと単純な話だったりします。


 ここで、もう一度繰り返しておきましょう。

 動物の世界は、本能により、逸脱のない、いわば円環的なシステムを描きます。環境がもたらず富(エネルギー)は常に過剰ですが、それこそ本能により、その一部を円環の中(成長と個体の維持)に回収するのみで、残りは捨てます。

 どこまで回収し、どこからは捨ててしまうか、その線引きは本能がします。あるいは欲求が、と言ってもよいでしょう。お腹が膨らんだら、食べるのは止めます。


 ところが、人間の場合は異なります。たとえ話をしますと、お腹が膨らんでも、単に食べるのを止めるのではなく、‘もっと他においしいものがあるのではないか?’と考えたりします。もっとおいしいものが食べたい、と、おいしいものを求めはじめると、それはキリがなくなります。だから、‘そのへんで、やめとけ’と、「禁止」が入ります(王様しか食べちゃダメとか。逆に、僧侶は節制とか)。あるいは、‘同じ人間を食べたらどうなるんだろう’と、考えることもできます。が、‘人間は食べちゃダメよ’と「禁止」が入る。

 「禁止」とは、壊れた本能の補完装置であり、絶えず円環から逸脱しようとする人間の営みを、無理に、力づくで、円環内へ抑え込もうとするものです。

 ゆえに、どこかでムリが生じるのです。


 ‘パーン!’です。


 人間が人間であるがゆえに、「禁止」を必要とし、その「禁止」が、むしろ内在的に過剰な(暴発する)エネルギーを生んでしまう。

 

 動物は、なんでもは食べない。ゆえに、普通に過剰分はしれっと消尽します。


 人間は、なんでも食べてしまう(食べようとする)。それを「禁止」により、抑え込もうとするから、一部、吐きだしてしまう。

 吐きださないことには、収拾がつかない。

 この吐きだしてしまうのが、食べきれない部分、消尽となります。


 ところで、そんな消尽の在り方の、どこが問題なのでしょうか?

 ‘べつにバタイユ、たいしたこと言ってねぇじゃん’と思われたかもしれませんが、じつは、これは結構たいした問題だと思います。

 というのも、以上は、「禁止」をキーに消尽を説明しましたが、今度は「暴力」をキーにして、消尽を説明しなおすと、ナルホド問題だ、と、そこらあたりの事情がクリアになってくることでしょう。

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