第27話 皇后様は嘘をついている

 処刑に臨むオリガは、これから首を縛られるというのに、化粧の仕上げをさせられていた。粉をはたいて、唇に紅を乗せ終えると、再び衛兵たちに腕を縛られた。

「近くで見ると、ごっつい手だなあ、色気も何も感じねえや」

 下品に笑うバンサの衛兵たちを、オリガはじろりと見下した。

 一年前、バンサ国に来航したときに比べて、身長も恰幅もグンと伸びている。衛兵たちが見ているのは、隠しようのない男の体だ。それでも、オリガはわざとらしく鼻で笑い、嘲るように言い返した。

「色気の良し悪しも分からぬとは、余程、心も身体も清らからしい。せめてもの慰めだ、存分に触っていいぞ」

 オリガが抽象したことの意味を悟ると、衛兵たちは顔を真っ赤にして、槍を突きつけた。

「黙って歩け、死刑囚め!」

 オリガは喉の奥で笑いながら、足を踏み出した。


 バンサ国の風習により、処刑に向かう囚人が歩けるのは、黒い砂利を敷き詰めた専用の道だけだ。

 砂利が軋み、衣装の衣摺れと合わさる。足が進むたび、小波さざなみみたいな音がした。オリガは、嫌でも故郷を思い出した。海に飛び込む馬、砂浜を歩く牛。陽炎に揺れる水平線。懐かしい光景が、次々と瞼に浮かんでくる。

 そこに、いるはずのない少女が、渚を横切った。傷跡の目立つ顔が愛おしい。最後の抱擁が、鉄格子越しだったことを、恨んでいるのだろうか。痛々しいほど真っ直ぐな眼差しに捉えられ、オリガは息が詰まりそうだった。

 しっかり胸に抱えられなくて、一番後悔しているのは自分のくせに。



「おい、着いたぞ。前を向け」

 聞きなれない声が、オリガを揺さぶった。

 黒い砂利の道は途切れ、いつのまにか処刑場に着いていた。観衆たちのどよめきに包み込まれ、オリガはこれから登る絞首台を見上げた。あまりにも高いので、先端を見る前に気絶してしまいそうだ。それとも、ただただ、死に怖気づいたのか。

「大丈夫、痛みはなく、一瞬で終わる」

 慰めるような声がかけられ、オリガは視線を下ろした。そこにいたのは、新しい国務大臣の、アレンという男だった。ドゥンの義兄にあたる優男で、ダオウ上皇の腰巾着だともっぱらの噂だ。彼の助言は、オリガの恐怖心を打ち消すどころか、余計に燃え上がらせた。

 覚悟していたはずなのに、オリガの足が目に見えるほどに震えている。

「囚人よ、階段を上れ」

 そこへ、ゾッとする声がした。振り向くと、高座にいるダオウ上皇と目があった。老齢の帝王は、面白い見世物を待つような顔で、“早く登れ”と、肘掛に投げた指先を、細かく動かし笑っていた。


 オリガは、上皇に並ぶ主賓たちの顔ぶれを見渡した。ダオウ上皇の側近や、取り巻きたちばかりが、一様に意地の悪い笑みを浮かべている。

 しかし、その中に見覚えのある顔を見つけ、オリガは息を飲んだ。実兄の、ユープー皇帝ラルゴがそこにいたのだ。

 兄は、今にも死にそうな顔で、黙って弟を見ていた。何日もまともに寝ていないことがわかる目元に、げっそりやつれた頬が痛々しい。

 涙が滲んだラルゴの目を見て、オリガは思わず乾いた笑いをこぼした。

 ラルゴも、この一年間、どれほどの苦労を重ねたのだろうか。必死になって和平条約の崩壊を防ぎ、国内の問題にも取り組んできたのだろう。

 その結果が今日の処刑なら、致し方がない。

 オリガが微笑みかけると、ラルゴは息を詰まらせ、俯いた。

 そのとき、オリガは再びせっつかれた。

「早く、上りなさい」

 その声を聞いて、オリガは目を剥いた。姉のニジェンが、ラルゴの護衛になりすまし、主賓席の中に混じり込んでいたのだ。ニジェンの顔は、野望にギラギラ燃えていた。戦争への足がかりにするために、双子の弟と地獄に落とそうとする姫君は、槍を持つ姿がよく似合う。

「ユープー国の罪を償いなさい!」

 ニジェンの声が轟くと、離れたところにいるダオウ上皇もほくそ笑んだ。


 オリガは絞首台を見上げ、固唾を飲んだ。すぐ後ろには、逃げ場を防ぐようにアレンが控えている。オリガは、小さな声でアレンに話しかけた。

「死ぬ前に頼みがある。王宮の牢屋に、少女が二人、捕らえられている。だが、彼女たちは無実だ。俺が死んだ後、彼女を自由にしてくれ。それを約束してもらわないと、おれは地獄に落ちるに落ちれない」

「その少女とは、一体何者だ」

 アレンが怪訝そうに尋ね返すと、オリガは微笑んだ。

「なんの関係もない。でも、愛しているんだ。その子のことを」

 アレンは目を丸くした。死に臨むオリガの顔から恐怖心が消え、柔和な笑みさえ浮かんでいる。

「……いいだろう、必ず約束する」

 アレンは声を沈ませた。国に殺される男の最後の頼みが、恋人の命乞いとは。こんな青年を、地獄に追いやる自分の、なんと小賢しいことかと、アレンは思い知らされた。

 義弟のドゥンは、ずっとこんな男と一緒に、はかりごとをしていたのだ。最初はなんてバカな真似をしたのかと思ったが、今なら納得できる気がした。

 オリガは、神妙な面持ちのアレンを見て、胸を撫で下ろした。

 そして、地獄への階段を、一歩ずつ上り始めた。



 その頃、王宮の一室では、ドゥンが窓辺に佇んで地上を見下ろしていた。

 王宮の外壁には、国力を誇示する旗が、何本も刺さっている。風が吹くたびに大きくたなびいて、ドゥンの視界を何度も遮った。

 お団子頭の女中が、この旗を伝って王宮の本殿から、皇帝夫妻の寝所に忍び込んだと話していたのは、ちょうど一年前だった。

 ドゥンは、部屋の扉を見た。室外には見張りの衛兵がいて、ドゥンが部屋を抜け出さないように見張っている。

 頼みの綱のサザは、昨日から姿が見えなくなっていた。

 もし、現状を変えようと思ったら、方法は一つしかない。


 ドゥンは裾の長い衣装をたくし上げ、腰の部分に結び目を作った。身軽になった下半身を窓枠にかけると、窓の留め具を慎重に外した。

 遥か下の地上から、柔らかな風が吹き上げた。

 ドゥンは、一瞬の迷いもなく、風の中に飛び込むように、外壁の旗を握りしめた。



 処刑場は、異様な興奮に包まれていた。

 新皇后が偽物だったという事実は、バンサ国中に大きな衝撃を与えていた。平和な治政が訪れると、国中が期待していたのに、まさか裏切られるとは、誰が予想しただろうか。

 オリガが扮したニジェン姫は、もともと敵だったユープー国からの使者である。野次馬の中には、「それみたことか」とふんぞり返る人がいる。そうかと思えば、平和が失われた悲しみに苛まれ、涙を流す者もいた。

 絞首台に登りきったオリガは、全ての人の顔がよく見えた。自分の行いが、これほど多くの民衆に深い傷を残すなんて。このとき、初めてわかった。

「名もなき囚人よ。一歩前へ」

 絞首台の上では、処刑人たちがオリガを待ち構えていた。彼らは、ネックレスを送るようにオリガの首に輪縄を通した。

 オリガは、ぴったり閉じられた落とし戸の上に立たされた。処刑人が留め具を外すと、下方に開いた戸口から、囚人は地上へ落下する。そのとき、囚人の体を支えるのが、首に通された輪縄だった。

 いよいよ、そのときが近づいているのだ。

 耳元で太鼓が鳴り響く気がした。オリガの心臓が、最後に足掻くように激しく脈打ち出したのだ。もう、兄の顔も姉の顔も、見るに見れない。目に入れた途端に、泣き叫んでしまいそうだった。

「囚人よ、お前はバンサ国とユープー国の和平への道を断絶するために、皇族になりすまして婚姻交渉を破滅に追い込んだ。その罪状に相違はあるか」

 処刑人が、書状に書かれた罪状を読み上げ始めた。オリガは舌を噛み切りそうになりながら答えた。

「相違ない」

「お前は、バンサ国の民衆を欺き、バンサ王族を罠にはめ、権威を失墜させた。その罪状に相違はあるか」

「それも、相違ない」

 オリガが同じ答えを繰り返すと、処刑人は書状を丸めて閉まった。

 この一連の答弁は、バンサ国の処刑前の儀式だ。処刑で命を絶つとはいえ、囚人は死者が住む冥界に送られるのである。そのために、囚人は、死する前に、背負った罪を全て下ろしていかねばならない。処刑人は、絞首刑の上で僧侶のように問いかけるのだ。

今生こんじょうに別れるにつき、最後にお前に問う。明らかにしていない、嘘偽りはないな」

 オリガは、ゆっくりと目を閉じた。今までで、一番長い瞬間だった。

「……ありません」

「よろしい。では、祈りなさい」

 処刑人が、落とし戸を支える縄に手をかけた。観衆たちは息を呑み、静かな恐怖に包まれた。


「嘘つき!」

 一瞬の静寂に、鋭い声が轟いた。観衆は飛び上がり、処刑人でさえも手を止めた。オリガは目を見開き、項垂れていた頭を、ゆっくりと持ち上げた。

 観衆の中に、埋もれてしまいそうな二つのお団子髪を見つけた。小さな体を必死に伸ばして、人混みに消されないように立っている。

「その人は、まだ嘘をついています!」

 女中服姿のコチュンが、絞首台の上のオリガを指差した。

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