正義はコンビニの中にあり

ちはる

正義はコンビニの中にあり

 咲良さくらはとあるコンビニでアルバイトをしている。


 ある日、咲良がコンビニの裏の倉庫に入っていくと、店長が頭を抱えてデスクに座っていた。


「店長、どうかしたんですか?」咲良は尋ねた。


「ああ咲良君。実は最近ね、万引き被害が深刻なんだよ。店の売り上げもいまいちの時にね、万引きは痛いよね。君、何か知ってる?」


 実は、咲良には思い当たる節があった。来ては30分から1時間ほど滞在して帰る若い男性客がいるのである。彼はいつも、なぜかもじもじしながら100円のコンビニコーヒーだけを買ってイートインコーナーで飲み、その後店内を少しうろついてから帰る。しかもお金がないのか、咲良がコーヒーと一緒に他のお菓子や肉まんを勧めても一度も買ったことがないのである。怪しいことこの上ない。


「店長、思い当たる節があります」


「何? 本当かい?」


 咲良が説明すると、店長も確かに怪しいと同意した。


「いやね、転売目的で盗む人は携帯の充電器とか、エロ本とか、化粧品が多いんだ。でもここ最近はおにぎりとか100円のお菓子とか、安いものばかりなんだよ。しかし安いものとはいえ週に何度もやられてるみたいなんだ。防犯カメラを見ても今のところ盗んでる人を特定できなくてね。でもそのお金のなさそうな人なら、生活苦からそういった安いものを盗むのも納得できるね。もし次来たら、僕に教えてくれる?」


「もちろんですよ。一緒に犯人を捕まえましょう!」


 絶対に犯人を私の手で押さえてみせるわ! 咲良は鼻の穴を膨らませて意気揚々とレジに戻った。そしてあの怪しい男が今日は来ていないか、店内を一周して見て回った。


 咲良は正義感にかけては人一倍強かった。将来の夢は警察官か弁護士である。それか、いつか政治家になるのもいいかもしれない。政治家になって、生活に困っている人を豊かな暮らしができるように導くのである。


 この将来政治家になる案は、最近ハマっていたドラクエをクリアしたときに気持ちが最高潮に達した。咲良がこういう性格になったのは、もしかしたら小学校から続けている柔道の先生の教えが影響したのかもしれないし、中学時代の生徒会の活動が評価されて、卒業式でスピーチしたことも影響してるのかもしれない。それに咲良の父親がいつも「人の役に立つことをしなさい」と言い聞かせてきたからかもしれない。とにかく咲良はいつも正義感に燃える、エネルギーあふれる大学生だった。


 それなので、2日後に例の男が現れた時には、緊張のあまりレジの横に配置しようとしていたチロルチョコの箱を落として、床にチョコを撒き散らしてしまったほどであった。


「こんにちは」


 男性は顔を少し赤らめ、いつもより一層もじもじしてみせた。


「ホットコーヒーのSサイズひとつ下さい」


 咲良は返事もせずにコーヒーカップを取り出した。取り出している最中も、男性の顔や姿を観察するのに余念がなかった。細いシュッとした塩顔も、きちんと整えられた黒髪も、ユニクロで買いそろえたような当たり障りのない服装も、今の咲良には何もかも怪しく見えた。


「あの……僕の顔に何かついてますか?」


 男性は咲良の異変に気がついて急に不安になったようだった。咲良はハッとして、大急ぎで笑顔をつくろった。


「い、いえいえ! 何もないですよ、ええもちろん。今日もコーヒーだけですか?」


「その……手に持ってるのはチロルチョコですか?」


 咲良が自分の左手を見下ろすと、先ほど拾ったチロルチョコがそのままになっていた。


「ええ、新発売の『生もちきなこ』です。おいしいですよ」


「じゃあ、今日はそれをひとつもらおうかな」


 若い男性はそれらを購入すると、いつも通りイートインコーナーでコーヒーをすすり出した。


 咲良は男が怪しい行動をしないか常に見張っていたが、なぜか男の方もチラチラとレジを見てくるので、目が合わないようにするのが一苦労だった。


窪田くぼた、ねえ窪田!」


 咲良は一緒にシフトに入っていた後輩店員を呼んだ。


「なんすか先輩」


 窪田はまだ高校生で、咲良と同じ高校の後輩だった。野球部に所属していて、いつもは坊主頭を触って遊んだりしている。咲良は窪田をレジの後ろに無理やりしゃがませた。


「あのさ、例の怪しい人来たから、私あの人見張ってたいからレジよろしくね」


「え! 例のあの人すか」


 窪田はイートインコーナーをのぞきたそうに坊主頭をちょこっとレジ上に突き出してから、また低い姿勢に戻った。


「先輩気をつけて下さいよ。こないだはコンビニの店員が刺された事件もあったじゃないすか。あぶないかもですよ」


「大丈夫よ。でも私が危なくなったら、後ろの倉庫にあるあのデッキブラシで応戦して欲しいのと、すぐに警察を呼んで欲しいの」


「承知ですよ」窪田は親指を立てて見せた。


 咲良はそっと倉庫にいる店長のもとへ行き、例の男が来ていることを報告した。店長の顔にも緊張が走った。そしてドリンクが冷やしてある冷蔵ショーケースの裏に回ると、カルピスを全部取り出して、ショーケースの裏から男を観察した。ちょうどその位置からイートインコーナーが見えるのである。


 それから5分ほど例の男は動きを見せなかった。咲良が脇目も振らず見張っているところへ、なんと運悪く常連のおばさんが姿を現した。


 そのおばさんはとても愛想の良い人で、いつもお弁当やおにぎりを買うついでに世間話をしてきた。その話の長いこと、店長や窪田にはとても相手ができなかったが、咲良は最後まで笑顔で対応できた。しかし今日に限っては身の入った対応などとてもできなかった。おばさんが動くのに合わせて、咲良の位置からは例の男性が見えたり、おばさんに隠れたりした。


「でね、そのご近所さんたらすごいのよ……が……で……だったの。それでね……で、……だったのに……なくて」


 おばさんは完全に自分の世界に入って気持ちよく話している。


「それでね……だったんだけど、あなたはどっちがいいと思う?」


「はい、そうですね」


 咲良は例の男性の方に注意を向けながらしごく適当に返事をしたので、おばさんはいささか気を悪くしたようだった。


「ちょっとあなた、さっきから聞いてるの?」


「え? はい、いえ、聞いてますよ」


「じゃあどっちが……」


 そのとき男性が動いた。何やらごそごそしているが、おばさんが動くので見えづらい。そして次の瞬間、男性が新品の汗拭きシートを手に持っているのが見えた。このコンビニで売られているのと全く同じものである。咲良の心臓が突然激しく動き出した。


「ちょっとお客さん! 何を持ってるんですか!」


 咲良はそう叫ぶと、レジのカウンターを飛び越えて仰天するおばさんを置き去りにし、男性に突進した。男性は驚いて立ち上がり後ずさりした。逃げられる! そう思った咲良は男性の腕をつかむと、「でやー!!」と叫んで小学生の頃から何度となく練習してきた背負い投げで男性を軽々と投げ飛ばした。


 男性は元々細身だったこともあり、冷蔵ショーケースの前まで飛んでいってぺしゃんこになった。


「いたたたた……いったいこれは」


 男性はそう言って顔を上げると、ポカリスエットとミネラルウォーターの間に不自然な穴があり、その向こう側には薄暗い影のかかった店長の顔があった。ショーケース越しに店長と男は目があってしまった。


「ひぃー!」


 男はまたも後ずさったが、追いかけてきた咲良と、裏から出てきた店長と、デッキブラシを持った窪田に押さえられて身動きが取れなくなった。


「ちょっとあなたたち! これはなんの真似ですか? 僕が何をしたと言うんです?」


「とぼけるんじゃないわよ!」咲良が叫んだ。


「汗拭きシートを取ったでしょう! 出しなさい!」


「汗拭きシート? そんな! 僕は取ったりしませんよ! これは別の店で買ったものです」


「別の店で買ったレシートはあるかね?」


 店長が尋ねた。


「それは……ないですけど」


「ちょっと裏まで来てもらおうか」


「いや、取りませんよ! 取る理由がないですから」


 店長と咲良が男を段ボールだらけの倉庫に連れて行き、説得を試みたが男は「僕は取らない」の一点張りだった。


「そもそもね、君、よくうちに来ては長い時間イートインコーナーにいるらしいじゃないか。いったい何をしに来てるんだね?」店長が質問した。


「それは……」


 男は急に顔を赤らめ、もじもじし始めた。


「さあ、言いにくいことは今のうちに言った方がいいぞ」


 そのとき、店内から女性の叫び声が響いてきた。次の瞬間、窪田と、窪田に腕をつかまれたあの話好きのおばさんが裏に入ってきた。


「店長! この人がまだ店にいて、この菓子パンを取ってるのを見ました。さっきの騒ぎで店員が減ったときから狙ってたみたいですよ!」


 おばさんはその場にぺったり座り込むと泣き出してしまった。


「許してちょうだい。どうしても取るのが止められなかったのよ! 最近は仕事も上手くいかないし旦那とも関係が悪いし。ストレスが溜まってたの! 自分でもおかしいって分かってたけど、万引きするのが快感だったのよ!」


「じゃああんたは何も取ってないのかい!」


 店長は驚いて立ち上がり、申し訳なさそうに男性を見た。


「だから最初からそう言ってるじゃないですか」


「でも、じゃあいつもイートインコーナーで何をしてたんですか?」


 咲良も驚いて男性に質問した。咲良は今や顔から火が出そうだった。何もしてない客を背負い投げしたのである。


「それは……それは、だから……つまりあなたに会いたかったんですよ」


「え? どういうことですか?」


「咲良さんに会いたかったからここに来てたんですよ! いけませんか?」


「……」


 男は顔を真っ赤にしてうつむいた。咲良もそれにならった。そんな理由だったなんて! ならさっさと声をかけてくれればよかったのに。


 その後、おばさんは警察が来るまで裏のデスクでおとなしくしていた。店長は男性に平謝りに謝った。男性は温厚な性格のようで、すぐに店長を許してくれたし、訴えたりしないとも言ってくれた。


 事が収まったのち、倉庫から出た男性を咲良は追いかけた。


「あの、本当に申し訳ありませんでした」


 咲良は膝に頭がつくほど頭を下げた。


「背負い投げなんかしちゃって、本当にごめんなさい。怪我はなかったですか?」


 男性は微笑んで咲良に向き合った。


「大丈夫ですよ。こんなことでもなかったら、僕はグズだしいつまでたってもきっかけをつかめずにいたかもしれないから」


 そう言うと、男性は小さな銀色の紙を取り出して咲良に渡した。紙からは甘い匂いがした。今日買っていたチロルチョコの包み紙のようだ。包み紙の裏には「奥畑壮太おくはたそうた」と書いてあり、その下にLINEのIDも書いてあった。


「連絡を期待してます」


 奥畑はそう言い残すと、コンビニに通い出して以来、一度も見せたことのないまぶしい笑顔を放ってから去っていった。

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