第2話 憂鬱が過ぎる

――誠に不本意ながら、二番目の婚約者候補となった私。


「……お嬢様。天使のように綺麗なお顔が、残念なことになってますよ?」

鏡越しに、私の専属侍女であるエルザが、苦笑いを浮かべながら、真っ直ぐに長く伸びた白銀色の髪をブラシで梳かしてくれている。


「これからの一年間が、憂鬱で、憂鬱で、憂鬱でしかないのだもの。仕方ないじゃない……」

鏡に映るエルザをチラリと見た私は、深い深い溜め息を吐いた。


「お相手は、誰もが結婚したいと憧れる第一王子殿下なのに、ですか?」

「……私は、少しも憧れてないわ」

寧ろ迷惑である。


「あらあら。他家のご令嬢がお聞きになったら、卒倒してしまいそうですね」

エルザはクスクスと笑いながら、器用に私の髪を編み込んでいく。


エルザの手にかかれば、どんなに寝癖の付いた髪であっても、あっという間に綺麗に整っていくので、私の目はエルザの手元に釘付けになってしまう。


……いつ見ても、まるで魔法のようね。


エルザは今年で二十二歳になる。

元々は私の乳母だった人の娘で、エルザが五歳になった時から専属となり、身の回りのお世話をしてくれている。 私からすれば、もう一人の姉とも呼べるくらいに近しい存在だ。

素の自分を取り繕わなくても済む相手がいるのは大きい。


「……早く、一年が過ぎてくれれば良いのに。そうしたら、私は自由だわ」

「殿下との婚約が成されなくとも、別のお相手の方と婚約されるのでしょう?」

「それはもう仕方ないわよ。私の務めだもの。貴族として生まれてきた以上は、覚悟している。……ただそれは『王族』相手ではないわ」

「まあ、普通はそうですよね」

会話しながらでも、器用に動き続けるほっそりとした指を見つめながら、私はまた溜息を吐いた。


ステファニー侯爵家には、娘が二人しかいない。

姉が嫁いでしまった今、ステファニー侯爵家の行く末は、ローズの肩にかかっていると言っても過言ではない。

婿入りしてくれる次男以下の貴族子息を見つけて、共に家を継いでもらわなければならないのだ。第一王子になんて構っている時間はない。


……考えたくないことだが、ローズが婚約者に選ばれた際には、将来生まれる子供の内の一人が、ステファニー侯爵家を継ぐことで落ち着くだろう。

考えたくないので、置いておくが。



「……でも、そうね。誰かと結婚しなければならないなら、私は……シャルル様がわ」

「シャルル様……ですか?」

「あ、ええと、オルフォード辺境伯の三番目のご子息よ」

「ああ、辺境伯のご子息様でしたか」

パチパチと瞳を瞬かせたあとに、エルザは大きく頷いた。


北東西を海に囲まれたメルロー王国。

その最南、隣国マルガーニ王国との境目にあるのが、オルフォード辺境伯領である。

隣国との境目であるオルフォード辺境伯領は、『メルローの要』と呼ばれている。


我が家のお姉様こと――ミモザがマルガーニ王国へ嫁いでからは、互いに良好な関係を築き上げているようだが。昔はもっとピリピリとした危うい関係であったのだ。


昔からそんな防衛の要たる地を任せられてきたオルフォード辺境領に対する国王の信頼は厚い。爵位こそは伯爵だが、その地位は侯爵家と同格――または、それ以上であるとされている。


現オルフォード辺境伯には、三人の息子がいた。

二十八歳になる長男は、二十二歳という若さで王国騎士団長を勤め上げたほどの人物で、現在は王国騎士団を辞めて結婚をし、次期辺境伯として父親の補佐をしながら勉強しているところだという。


二十二歳になる次男は、辺境伯領の私設騎士団に所属しており、有事に備えた厳しい鍛練を日々受けているらしい。いずれは家督を継ぐ兄の補佐に就き、施設騎士団長としてオルフォード辺境伯領を共に護っていくだろう。


――そして、三男のシャルル様。

私と同い年の十七歳であるシャルル様は、肩ほど伸びた癖のない漆黒の艶のある髪に、黒曜石の様な神秘的な黒い瞳を持った中性的な整った顔立ちをしている。

家長である父親の方針で、オルフェード辺境伯領の私設騎士団ではなく、王国騎士団長に所属している。可愛らしくも格好良いお顔で、スラリとした身体つきであるが、服を脱いだら腹筋が六つに分かれているという――噂のある方でもある。


「お嬢様はオルフォード様と面識がおありなのですか?」


私を椅子から立たせたエルザは、寝間着であるキャミソールワンピースの肩紐のリボンを解いた。

それがシュルンと床に落ちると、直ぐに下着の上にコルセットを当て、背中部分にある編み上げるための紐をギュッ、ギュッと順番に締め上げていく。


「あ、あるわよぉ!?」


エルザがとても涼しい顔で、骨が軋むほどに締め上げてきたせいで、咄嗟に悲鳴混じりの変な声が出た。

毎日のことながら、この時間が一番の苦痛である。

コルセットを付け終わり、息も絶え絶えになっている私に構わずドレスを着せていく。

因みに、エルザはドレス選びのセンスも抜群である。

紫色のサテン生地の上に、薄紫色のチュールやレースを幾重にも重ねたドレスは、とても軽いだけでなく、動きやすい。


「箱入りのお嬢様なのに、ですか?」


箱入り――というより、引き篭もりというのが正しような?

外出しないようにしていた時期があるので、そう思われていても仕方ない。


「……デビュタントの時、シャルル様に一緒に踊って頂いもの」


ようやく息が整ってきた私は、ドレスの背中にあるファスナーを上げてもらいながら、フーッと息を吐いた。


「シャルル様は跡継ぎではないし、辺境伯のご子息だから、お父様もきっと快諾してくれるはずだって思っのよ。そう思っのだけど……」

「……?先ほどから話し方がおかしくありませんか?どうして、そんな遠い目をなさるのです」

エルザが首を傾げる。


「え?そ、そうかしら?多分、エルザの気のせいよ!」

「…………そういえば、お嬢様は……オルフォード領のワインがお好きでいらっしゃいましたね」

「え、ええ。大好きよ」

「オルフェード辺境伯のワインと言えば、王宮の各催しには必ず用意されるほどの逸品」

「ええ、そうね。そう聞いているわ」

「確か……お嬢様が、初めてお酒を召し上がったのは、デビュタントの時でしたよね?嬉しそうに教えてくださいましたものね」


鏡越し、にこにこと笑う私を見つめているエルザの瞳が、どんどん細くなっていく。

そうして極限まで瞳を細めたエルザは、核心をついたのだった。


「お嬢様。デビュタントの時に、何かやらかしましたね?」

「!?」


『やらかしましたか?』ではない。

私がやらかしたことは、既にエルザの中では確定事項なのだ。

だてに幼い頃から一緒に過ごしてはいない。

エルザは私が思っていた以上に私を理解してくれていたようだ。


「な、何もやらかしてないわよ!?」

「誤魔化せるとお思いですか?」

「ご、誤魔化すだなんて!私はただ、シャルル様をダンスにお誘いして、『是非、私のお婿さんになって下さい!』とお願いしただけよ!?」

「……十分にやらかしているではないですか」

エルザは、額に手を当てながら盛大なため息を吐き、天を仰いだ。


娘が爵位を継げないこの国では、好条件のお婿さんは早い者勝ち。争奪戦必至案件である。

捕食者と化した肉食令嬢による、壮絶な婿取り合戦が繰り広げられることも珍しくはない。

如何に早く、誰よりも好条件を提示して婚約を結ばねば、誰かに奪われてしまう。

故にが基本だ。


「まさかステファニー家の鈴蘭姫が、そんな大胆な行動を起こすなんて……」

「どうせ誰かと結婚しなくてはいけないなら、少しでも好きになれる要素の多い人の方が良いじゃない!?」


エルザの責めるような視線に耐えかねた私は、取り繕うように言い訳めいた弁解を始めてしまう。


全く知らない相手よりも、少しでも好ましく思える相手を選びたいと思うことは、間違っていなと思う。

……例え、利害が一致した上での愛のない政略結婚になろうとも、家族にはなれるはずだから。


更に幸か不幸か、第一王子カージナス殿下とデビュタントが同じだったことも、ローズの行動を後押ししてしまった。

全員が全員ではないだろうが、シャルル様に狙いを定めたローズのように、このチャンスを絶対に見逃すまいと令嬢達が思ったのは、当たり前のことである。



「ま、まあ……そうですね。やってしまったことを今更悔いてもどうにもなりませんものね。それで、お返事はどうだったのですか?お嬢様が殿下の婚約者候補に選ばれてしまった今では、どちらにせよ一旦保留でしょうけれど」

仄暗い瞳になりかけていたエルザの瞳にどうにか光が戻った。


「そ、それが…………覚えてないの」

「…………は?」

もじもじと両手を絡ませながら誤魔化すように笑うと、エルザは瞳を見開いたまま固まった。


「エルザ?」

「……突っ込みたいことは、山ほどありますが……」

眉間を人差し指でグリグリ揉み込んで、私を見たエルザの瞳からはまた光が失われていた。


……沈黙が痛い。


刺さるようなエルザの仄暗い視線は、私の内面を見透かしているかのようで、気まずい思いが次から次に込み上げてくる。


「……オルフォード辺境領のワインを召し上がられたお嬢様は、その味を大層お気に召された。気持ち良ーく三杯ほど一気に飲み干したその足で、酔った勢いに任せて告白をなされた――と、そんなところでしょうか」

「ど、どうしてわか……もごっ」


まるでその場にいたかのようなエルザの言葉に、驚きながらも大きく頷きかけて、慌てて口元を塞いだが……時すでに遅し。


「……お嬢様。今後、外ではお酒を召し上がらない方がよろしいかと?」

ゾクッとするほどに綺麗な笑みを浮かべたエルザに、私は口を塞いだまま何度も大きく頷き返すことしかできなかった。


――そう。

エルザの言う通り、ワインを三倍飲んだ勢いでシャルル様の元に向かった私は、ダンスをしながらお願いをした。…………ところまでは覚えているのだけど、その先を全く覚えていなかったのだ。

飲みすぎたせいか、断られたショックで忘れてしまったのか。

今の私には分からないし、今更確かめようもないことだった。



ふと気が付くと、心配そうな顔でエルザが私を見つめていた。


「お家のことも大切かもしれませんが、お嬢様の御身の方がエルザは大切です。くれぐれも無茶はなさらないようになさって下さい」


エルザが心の底から私を案じてくれているのが分かるから、私は素直に謝った。


「……うん。ごめんなさい」

そして、クルリと踵を返してエルザに抱き着いた。


「あらあら。私のお嬢様は、幾つになっても甘えん坊さんなのですね」

私より頭一つ分背の高いエルザの優しい声が降ってきた。


エルザの柔らかい温もりを感じながらそっと瞳を閉じる。


優しくて、私に甘い、大好きなエルザ。

もう一人の姉のような存在の大切なエルザ。


私は、そんなエルザにも言えない秘密がある。

それは―――私に前世の記憶があるということだ。

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