第5話 フラグ回収は突然に

暴走トラックから子供を守って死んだ私は、なんと大好きだった乙女ゲームの世界に転生してしまった。


プレイヤーから選ばれなければ、悪役令嬢として断罪されるのが確定!?


せっかく生まれ変わったのに、そんな人生は真っ平ゴメンだ!!私は攻略対象者達にもヒロイン達にも関わらずに生きていくのだ!


――そんな私の決意も虚しく、事態は予期せぬ方へと進んでいく。



『お父様のご事情は分かりました。ですが、私は殿下に気に入られるつもりはありません。……それでもよろしいですか?』


誠に不本意ながら、メルロー王国の第一王子カージナス殿下のに選ばれてしまった私は、昨夜お父様にそう宣言した。


この世界での『ローズ・ステファニー』は、何が何でも絶対に、傍観者であると決めたからだ。


攻略対象キャラには、無闇に近寄らず、好意も持たず、ヒロインを虐めない(これが一番大切)。


さすればスローライフへの道は開かれん!!

――――そう思っていたのに。



「お嬢様!!第一王子殿下がご来訪になられました!」

「ええ……!?」


*******


「急に訪ねたりして、悪かったね」

メルロー王国の第一王子のカージナス殿下は、その言葉とは裏腹に、全く悪びれた様子もなく私を見ていた。


「いえ、メルロー王国の臣下たる我が家が、掌中の珠であらせられる第一王子殿下のご来訪を、迷惑だなんて思うはずがありませんわ。心より歓迎いたします」

私はその視線を受け流して、教科書通りの対応を返した。


仰々しい言い方は、わざとである。

『ステファニー家としては歓迎するけれど、私個人としては迷惑だから早く帰れ』と暗に含ませる。


準備が大変な侍女達には申し訳ないが、お茶の席は中庭に用意してもらった。

不本意にも二番目の婚約者候補に選ばれた私的に、部屋の中だと息が詰まりそうだったからだ。


爽やかな風が私の頬を撫でると、心地良さからほんの少しだけ気分が晴れた気がした。

テーブルを挟んで、対峙するような形で座っているカージナス殿下に、チラリと視線を向けると、胡散臭い笑顔が返ってきた。


「ありがとう。候補に上がった令嬢方とは、私が自ら出向いて直接話をしたくてね」


ティーカップをテーブルの上に置いたカージナス殿下は、ゆったりと椅子にもたれ掛かり、長い脚を組んだ。

この場において優位である者の動きであった。


肩まで伸びた艷やかなサラリとした黄金の髪と、サファイアのような青色の瞳。彫りの深い目元と、スッと通って高い鼻梁。バランスよく整ったその顔は、誰が見ても美しいと思うだろう。


そうだけは抜群に良いのだ。


育成者プレイヤーによって、攻略対象キャラの性格が変わる【My Lover Prince】。略して【マイプリ】。

この世界がマイプリならば、私の目の前に座って、優雅に紅茶を飲んでいる『第一王子カージナス』は、どんな性格なのだろうか?


公式設定の『第一王子カージナス』ならば、腹黒王子がデフォルトで、そこにちょっと面倒な性格が付随しているはずだけど……。

名前も顔も知らないプレイヤーが、育てたマイキャラなら、その性格は全く検討もつかない。


「まあ!ご多忙なメルロー王国第一王子殿下が、一候補でしかない私にもわざわざお時間を割いてくださるなんて、大変光栄に存じますわ」

「……そんな堅苦しい話し方をしなくて良いよ。ああ、そうだ。私のことはカージナスと呼んでくれないかい?」

カージナス殿下は苦笑いを浮かべた後、にこやかにそう言った。


「いえ、それは流石に……」

名前なんかで呼んだら私達が親しい間柄みたいではないか。


?『カージナス』だ。二度目はないよ」

にこやかな笑みと有無を言わさぬ圧力に、私は息を飲んだ。

そう命じられてしまば、私なんかでは断ることができないことを、既にゲームで学習済みだった。

ちゃっかりと私のことも名前呼びだし。


……ああ。

目の前にいる『第一王子カージナス』は、公式設定の腹黒王子だ、と理解した瞬間だった。



「畏まりました。……カージナス様」

そっと溜め息を逃がした私は、無駄に逆らうようなことはせずに素直に従うことにした。


……ここで押し問答しても私が疲れるだけだ。

腹黒王子は自分の意思を簡単には変えないのだから……。


素直に従うことを選んだ私を実に楽しそうに眺めていたカージナス殿下。もとい――カージナス様は、ふと私から視線を外して、周囲へと視線を巡らせた。


「ステファニー領は、とても良い所だね。領民は温厚だし、自然が溢れて豊かだ」

「……ええ、領主である父や領民達のお陰ですわ」


腹黒王子が世間話をする為だけに、わざわざ来るはずがない。……一体何を考えているのだろうか?


「何か、私に尋ねたいことがあるようだね?」


悠々と緑の木々を眺めているだけのカージナス様に、焦れていた私に気付いていたのか、こちらを見ずに言った。


「……一つ。質問をお許し頂けますでしょうか?」

「一つなんて言わずに、いくらでもどうぞ?」

柔和な微笑みを浮かべたカージナス様は、私の方へ身体を向き直すと、組んだ両手を膝の上に乗せた。


「では……、お言葉に甘えまして。カージナス様は、ミレーヌ様のことをのにも拘らず、どうして私なんかを候補に推したのでしょうか?」



――デビタントの日。

カージナス様は、ミレーヌ様をエスコートしていた。

まだ婚約者の決まっていない幼馴染同士ならば、おかしくもないことだが……問題は、ファーストダンスに続いて、次のダンスも一緒に踊っていたことだ。

通常、二回連続のダンスは、結婚している相手や、結婚を間近に控えた相手としか躍らないものだ。

それが『暗黙のルール』である。


カージナス様は平然と微笑んでいて、ミレーヌ様は少しだけ戸惑った様子だったものの、直ぐに受け入れていたように見えた。


――それはつまり、この世界の攻略対象者カージナスが、ミレーヌをヒロインとしてということを意味するのではないだろうか?


前世を思い出した私は、それに気付いたからこそ、間違ってもミレーヌに嫌がらせをして、カージナスの逆鱗に触れたりしないように、あくまでも傍観者であろうとしたのだ。


……それなのに、私は攻略対象であるカージナスによって、無理矢理にストーリー上に引き摺り出されてしまった。『強制力』という、抗えない現実を突き付けられた気がした。


私の直球の質問に、一瞬だけ瞳を丸くしたカージナス様は、前髪を掻き上げながら「あはは」と声を出して笑い始めた。


「ふふっ。賢い人は好きだよ?」

楽しそうに笑っているように見えるが、サファイアブルーの瞳は、私の真意を探るかのように冷えきっていた。


「……っ。お褒めいただき、ありがとうございます」

「そう?気持ちが籠もっていないように聞こえるけど?」

「カージナス様の気のせいですわ」

笑うカージナス様に合わせるように、私も微笑んだ。


「私はね。君にとても興味があるんだ。……ああ、そんなに嫌そうな顔しなくても、恋愛感情ではないよ」


私は負の感情を表に出さないように細心の注意を払っていた。前世+今世を合わせれば、カージナス様よりも私は年上なのだ。多少の腹芸の自信はある。


今の私は完璧な令嬢スマイルを作っているので、これはカージナス様からの引っ掛けであるのだ。

……流石は、計算高い腹黒王子。

一筋縄ではいかない相手を前に、更に気を引き締めた。


ここで弱味でも握られたらおしまいだ。

こき使われるだけ使われて――使い捨てられる。

……そんな予感がビシビシする。


こうしてお茶を飲んでいる僅かな間も、カージナス様の瞳は、私の一挙一動を伺っているのだから。


……厄介な相手に目を付けられてしまった。


カージナス様に、目を付けられるようなをしてしまったのだろうか?

殆ど会話をしたことなんて、ないはずなに……どうして?


「どうやら私は、君に警戒されるようなことをしてしまったようだね」

「警戒だなんて……私には手の届かない雲のようなお方が、目の前にいらっしゃるのに、緊張しないはずがありませんわ」

恥ずかしがっている様な表情を作り、瞳を伏せてみる。


……この化かし合いは、いつまで続くのだろうか。


質問を許しておきながら、その答えははぐらかされたまま。答えるつもりがないなら、さっさと解放してくれないかな?

そう、ウンザリし始めた時。


「『シャルル』」

突如、カージナス様が彼の人の名を告げた。


「一年前のデビュタントの時。君は、シャルルにプロポーズをしたらしいね?」

「………………は?」

思いがけないタイミングで、シャルル様の名前を聞いた私は、目の前に居るのが腹黒王子であることも忘れて、呆けてしまった。


「カ、カージナス様!?それをどこでお聞きに……!?」

テーブルに手を付いて立ちがった私は、気付けば前のめりになっていた。

咄嗟に身動ぎした護衛を視線だけで静止したカージナス様は、それはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。


……しまった!!


「さあ……、どうだったかな?」

心から楽しそうな笑顔を浮かべるカージナス様は、私から令嬢スマイルを剥がせたことに大変ご満悦なようだった。


…………やられた。

私は唇を噛み締めた。

年の差なんて、目の前の腹黒王子には大したことのないことだったのだ。


『シャルル』、『プロポーズ』。

この二つのワードで私はまんまと罠に嵌ってしまったのだから。


ああ……使い捨て決定か……。

せめてもの抵抗とばかりに、ツンとそっぽを向いて、椅子に座り直した。

年甲斐もなく子供っぽいが、何でも言えば良いじゃないか。


「へー。脈ありか……」

そっぽを向いてぶすくれていた私には、カージナス様の呟きは聞こえていない。


「ローズ」


ツーン。

一度目の呼び掛けは、悔しいので無視した。


「ローズ?」


ツー……

二度目の無視は……不敬になるだろうか……?

いや、不敬だと言うならば、一回目から既にマズい。不敬罪で家門取り潰しになるなんて、あってはならないことだ。


恐る恐るカージナス様を見てみたが、意外なことに気分を害した様子もなくニコニコと笑っている。

いや、腹黒い笑みを浮かべて――ニコニコ(ニヤニヤ)しているのだ。


……ああ、この笑顔も|。

間違いなく何かを企んでいる時の顔である。

それも、とてつもなく悪ーーーい何かを。


「君にお願いがあるんだ」


ほら、早速来た!

どうせ、汚れ仕事か何かでしょうけど!?


「……何でしょうか」

私は表情を取り繕うことなく無愛想に答えた。


今更、この人に愛想を振りまく必要はないし、本人も求めてはいないだろう。必要最低限の礼儀だけ忘れないようにすれば良いだけだ。


「ミレーヌと仲良くして欲しいんだ」


ほら、来た!!――って…………へ?


「……ミレーヌ様と……仲良く?……とは、どういう意味でしょうか?」

眉間にシワを寄せ、見るも明らかに『警戒しています』という表情を隠さないまま尋ねた。


「そんなに警戒しなくても良いのに。その言葉通りだよ。ミレーヌには、同い年の友達がいないんだ。だからローズに、ミレーヌの友達になって欲しいなって」

「……何を企んでいらっしゃるのですか」


……どうして、友達が少ないところを強調したの?


「企むだなんて言い方は酷いなぁ。でも、そうだね……私のお願いことを聞いてくれるなら、君の望みを一つ叶えてあげるよ?」


カージナス様は、護衛達に後ろを向くように指示すると、椅子から立ち上がって私の横まで歩いて来た。

座る私に向かって前屈みになると――

「『シャルル』。彼を君のお婿さんにしてあげようか?」

私の耳元で、腹黒な悪魔がそう囁いた。


「……っ!?」

耳元を押さえながら立ち上がった私は、カージナス様を睨み付けながら距離を取った。


「うん。やっぱりローズ、君は良いね!私に向けるその嫌悪感剥き出しの瞳は最高だ」

カージナス様は私に向かってパチパチと拍手をしてみせた。


「デビュタントの時、私に全く興味を持たなかった令嬢は、ローズぐらいだった。――それが君を選んだ理由だよ」

「……は?あんな大行列、普通なら並びたくもないですわ」

何だ、その理由は。選ぶ基準がおかしすぎる。


「……、ね」

カージナス様は口元を歪めた。


「え?」

何かおかしなこと言った?

ていうか、あんな大行列に誰が並んだか、並ぼうとしたかを見ていたってこと?

それとも、あの会場にいた全ての令嬢の一挙一動を見ていたとでも?


…………いや、十分に有り得る。

流石は、公式設定の第一王子カージナス。

腹黒いだけでなく、ずる賢く執念深い。

狙った獲物は決して逃さない狡猾さを秘めていた。

圧倒的な敗北感が私を打ちのめしてくる。


「容量オーバーのようだから、今日のところは失礼するよ。ミレーヌの件、前向きに考えておいて」


カージナス様はクスクスと笑いながらクルリと踵を返し、私に背中を向けたまま片手を振った。


ゲームを攻略しただけで、この王子をどうにかできると思っていた私が甘かった。



『もう二度と来るな!!』

込み上げてくる叫びを喉元で必死で堪え、見送りのために頭を深く下げた。唇を強く噛み締めながら……。



**


「……今日のローズはどうしたんだ?」


ディナーの席で、大好きなワインにも手を付けず、ニコリとも笑わない私を見たお父様は、強面の顔に『心配』という文字を貼り付けながら、コソコソとお母様に話し掛けている。


「実は、カージナス殿下が訪ねていらして……それからなんですのよ」

お母様は苦笑いを浮かべながらチラリと私を見た。


「……ああ。なるほどな」

お父様は何かを察したとばかりに大きく頷いた。


意外にも、お父様は空気の読める男性だったらしい。空気の読める人は素敵だ。


お父様とお母様の声はしっかりと聞こえているし、心配してくれているのにも気付いているけど……今日は駄目だ。

敗北感が強過ぎて、大好きなお酒にも手を伸ばすことすらできない。


「ご馳走様でした……」

お腹なんか空いているはずもない。


サラダを弄んでいたフォークを静かにテーブルの上に置いた。部屋に戻ろうと立ち上がった私をお父様が慌てて呼び止めた。


「ロ、ローズ、待ちなさい!……め、滅多に手に入らない幻の泡を貰ったのだが、一緒にどうだ?」

必死に言ったお父様の脇から、執事のシリウスが歩み出た。


……そ、その手にあるのは、ま、まさか!?

エルサームの幻の泡!? しかもピンク!?

『幻』と言われるぐらいに、かなりの貴重品であり、高位貴族でも滅多に手に入らないワインなのである。


「ぜ、是が非でも、いただきますわ!!」

私は急いで席に座り直した。


先程までの気鬱が一気に吹き飛んだ。

我ながら現金ではあるが超高級な幻のワインを飲まなかったら、絶対に後悔する。

これを飲まずには死ねない!死ぬならこれを味わってからだ!


シリウスがグラスに注いでくれるのを今か今かと、ワクワクしながら待つ。


ああ……綺麗な色。


グラスの中に注がれた上品なピンク色は、まだ見ているだけだというのに、私の頬を赤く染め上げて行く。


「ローズ様。どうぞ」

「ありがとう。シリウス」

グラスを受け取った私は、そっとグラスを揺らしながら、まずは注がれたエルサームの幻の泡を視覚で楽しんだ。


グラスが揺れる度に、豊潤な葡萄の香りが鼻を擽る。パチパチと消えては生まれる小さな泡が美しくて愛おしい。気を抜いたら緩みっぱなしになりそうな頬に力を込めた。


最高級のワインには敬意を払う必要がある。


十分に視覚で楽しんだ後は、グラスを傾けて口に含ませた。


コクン。

一口で分かるこの美味しさ。


あっという間にグラスが空になってしまう。

噂に決して劣らない素晴らしい味だった。


「お前の機嫌が治って良かったよ」

お父様はグラスを片手に嬉しそうな顔で私を見ていた。


「お父様、ありが――」

「カージナス殿下に感謝だな。ローズの機嫌を治してしまうほどのこんなに良いお酒をくださるとは」


お礼を言おうと口を開いたが、ご機嫌になったお父様に邪魔をされた。


「は?」

な・ん・で・す・っ・て!?


「あ、あなた!あなた!」

「ん?どうした。お前も遠慮しないで飲みなさい。せっかくの殿下のお心遣いなのだから」

慌てるお母様と、徐々に冷え切っていく室内の空気に、全く気付かないお父様。


――前言撤回。

お父様はやはり空気を読めない男だった。

素敵だなんて思うんじゃなかった……。


怒りのあまりに瞳が細くなっていく。


「……私、お父様とは三日間ほどお話しませんので」

「ろ、ローズ!?」

悲痛な叫びを上げるお父様を無視して、二杯目の入ったグラスを傾けた。


お酒に罪はない。

お父様の分は、私が飲み尽くしてやった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る