おじさんがすき

@kuronekoya

前編 〜〜主任さん〜〜

 私たちの主任はたいてい定時で帰ります。

 もちろんひとりでは帰りません、スタッフみんなも帰して最後に帰ります。

 たまに直帰のはずの部下が出先から難題を押し付けられて帰って来たりしたら、目処がつくまで一緒に残って仕事します。決して叱ったり、ひとりで残したりはしません。


 私たち業務二課では、課長とその補佐職の係長、そして数人の主任がいて、基本的には主任の下、だいたい6〜8人のチームでひとつの仕事をします。退職、休職、転勤、昇進、採用……色々あって人数は流動的ですが、だいたいそれくらい。

 全員で当たる大きな案件がメインですが、恒常的に誰かふたりくらいで担当する細くて長い案件もあり、そしてまた数人のチームで担当する臨時の案件――営業がポッと取ってくるようなお仕事です――もあり。


 私たちの主任の場合、その数人のチームをさらに分けて担当する案件の人員配置がまた絶妙なのです。

 きのこ派かたけのこ派か。

 カレーは辛口で鶏肉が好きな人。

 さいたま市在住かつレッズサポに限る。

 洋画は字幕で見る派か吹き替えで見る派か。

 面白半分で選んでいるように見えて、みんなの個性や趣味をちゃんとわかっているのです。その上で、ウサギさんチーム・カメさんチームみたいなフェイクをかけて、そのプロジェクトが最適に回るよう、でもいつも同じ組み合わせにならないように気にかけているのです。


 その上で、敢えてステージが違うもの(チョコレートで言えば、ジャンポール・エヴァンとリンツとか)を秤に持ってきたりして、後で遺恨を残さないように上手く采配するのです。



 私たちの主任は、締め切りがタイトでデスマーチ必至な案件や、どう頑張っても黒字化できない真っ赤な案件を営業が受注してきたりしたら断固拒否します。

 もちろんただ駄々をこねるだけではどうにもならないので、要求されている要件を削るとか、ギリギリ受容できる見積書を作って営業に同行して頭を下げます。それでも先方が折れてくれない時は、こちらから違約金を払ってでも受注をキャンセルして、営業の代わりに始末書を書きます。


 そこまでするので、営業課からは意外と嫌われてはいません。

 むしろ時々一緒に飲みに行ったりするくらい仲のいい人もいるようです。


 飲み、と言えば歓送迎会以外は基本的に主任はめったに参加しません。

 何かしら業務時間外に話をする必要があるならランチに誘います。

 その時は、案件にもよりますが会社の経費か主任の自腹です。


 夜は誘いもしないし、誘われても歓送迎会のように一週間以上前から企画されている何かしら名目がある飲み会でもないとたいてい断ります。

「オジサンがいたら言いたいことも言えないだろう」と。


 そのかわり、参加した時には「端数分くらいは出させてよ」と言いながらこっそり幹事に諭吉さんを握らせるそうです。


 飲み会の席では決して話の中心にはならず、みずからあちこち動いて、みんなの話をつまみ食いするように話に混ざっていきます。

 話題の持ちネタが多くて若い人にもついていけるし、決してオジサン臭い説教はしないし、みんなけっこう主任とお話するのは好きみたいです。

 けれども主任は一箇所にはとどまらず、必ず全員と話をします。

 口下手で「人間観察が趣味なんです」と、いつもひとりで手酌で飲んでる「魔法使い」にも話しかけるし、彼に気を使わせすぎることなくちゃんと会話がキャッチボールになっているところなんかすごいと思うのです。


 エビフライの尻尾は食べるかどうか、ガンダムはファースト以外は認めないか否か、女性のうなじと足首とどっちにそそられるか(このへん、セクハラにもつながってくると思うのですが、主任の話の持って行き方が上手いので、変にセクシュアルな方に話は伸びないのです)、スポーツする人ならミズノとアシックス、旅行が趣味ならるるぶとまっぷるみたいに、絶妙なバランス感覚で話を広げるのです。


 目玉焼きの焼き加減やゴミの分別みたいな形而下的な話。ノーベル文学賞の海外小説から今期アニメ化のコミックまで幅広い守備範囲。マクロな経済学や世界情勢から、この季節のスーパーでのキャベツの最安値まで把握する豊富な知識。


 かと言って、それでマウントを取りに来るでもなく、その知識を駆使してひと回りも歳が離れた部下相手に上手く話を引き出すのです。


 それが、小さなチーム分けを成功させる秘訣だと思います。


 こんなこと、酸いも甘いも噛み分けたベテランにしかできないことでしょう。


 ……そう、黒根主任はオジサンさんなのです。

 同期の出世頭はそろそろ課長職に就いているくらいの歳です。

 なのに未だに平社員のいっこ上、現場にも出る主任のままなのです。

 40を手前にしてメタボ気味だし、こころなしか頭髪も寂しげで……。


 下からはこんなに慕われているのに、せっかく営業が受注してきた(大赤字になるのは火を見るより明らかなんですが)案件をキャンセルしたり、就業規則を盾に建前をぶって毎日部下も含めて定時退社(同じ課でも他のチームは終電、会社泊はしょっちゅうなのです)したりと、上にはとても受けが悪いようなのです。


 けれど、ちゃんと主任のチームは利益(見かけ上の売上じゃなくて、ちゃんと「利益」ですよ!)を上げているし、営業とも仲がいいし、私たち現場の生の声を伝えてくれるから、同期入社の課長さんたちも上から何か言ってきてもその都度なにかとかばってくれているそうです。



 主任の武勇伝は他にもいろいろあるそうですが、とりあえず私が聞いた私に関するお話を。


 私の前任者は現在産休からの育休中です。

 当初、人事部は彼女が復帰するまで現有の人員で課を回すように、と増員の稟議を却下したのだそうです。

 なにしろ主任のチームにいる部下は、みんな定時退社するし有給休暇もバンバン使うしですから、人事部から見れば「手分けして少しずつ残業すればなんとかなるだろう」という認識。私だってそう思います。


 それを「ひとり分の仕事を複数人に分割する非効率、恒常的な残業が続くことがいかに集中力やモチベーションの低下に繋がるかと、それに起因する売上の減少とコストの上昇のシミュレーション」を作り、派遣社員を雇うよう人事部に押しかけプレゼンをしたとか。


 そして、育休中の彼女が復帰した時にその派遣社員――私のことですよ――が一人前になっていたならば、そのまま社員として雇用してその分の売上を上げてみせる、と啖呵たんかを切ったのだそうです。


 主任の部下の皆さんは、もうまるで宗教のごとく主任に心酔して団結していて、他の部署の人たちからは「黒根組」(「黒根」は主任さんのご名字なのです)なんて呼ばれています。

 新人でしかも派遣社員の私なのに、初日からチームの一員として暖かくというか暑苦しいくらいに快く迎え入れてもらいました。


 そこまでしてもらっているのですから、私だって頑張ってしまいます。

 今のところ主任や皆さんの足は引っ張らずにいられているかな、とこっそり自負しているのです。


 定期的な人事異動で「黒根組」出身者は、異動先の上司との相性次第で化けるか退職するか極端なのだそうです。

 薫陶が過ぎるのでしょうね、きっと。



 でも……楽しそうに仕事をしているように見えて、同期入社の人たちとは年々肩書やお給料に差がついていくことをどう感じていることでしょう?

「僕は、広く遠くを見るのは苦手だから」とおっしゃいますが、心の底ではどうなのでしょう?

 私と共稼ぎなら生活も……って想像するのは、はしたないことでしょうか。


 期間内にそれなりの結果を出さなければ仕事上の縁は切れてしまう私ですが、プライベートで主任さんを支えてあげたいと思うのは身の程知らずというものでしょうか。


 そう、黒根主任の左手の薬指には何もはまってはいないのです。

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