人を食う機械(下)


 機械が突然ごうごうとうなりを上げて作動しはじめたのです。

 しかも垂らしていた腕を堂々と振り上げるじゃありませんか……。

 みんなはあっと息を呑んで呆気に取られてしまいました。場長も含めたその場の誰もが呆けたように機械を見上げ、先輩がひきずりこまれていくのをじっと見ていたのです。先輩もなにも云わず、いや、おそらく何かを口にする間もなく、まっさかさまに口の中に落ちていきました。

 あっしはその時になってようやく、Tが場長に訴えに行けなかった心境というのがわかったんです。理解したというより身にしみたといった方がいいかもしれません。気が小さいとか腰が抜けていたかどうかなんていうのはちっとも関係ないんです。人ってのは、とっさにああいう事態に陥ったときにはまったく身動きがとれないもんなんです……。誰がTを気弱だなんて責められましょう。

 呆気に取られている間でも時間は過ぎていきます。

 機械はどうやら先輩だけで飽き足らなかったようで、下で梯子を支えていた同僚までも素早くつまみ上げちまって……。つかまれた同僚の一人が、「操作盤!」と叫びました。

 でも、誰も動けないんです。

「操作盤!」と、もう一度同僚が叫びましたが、その声はすぐに悲鳴に変わりました。その恐ろしさといったら身の毛がよだつほどの叫びでした。普段は鐘を鳴らしてごまかしているんですが、牛や豚も命を失う寸前にはきっとあんな鳴き声を上げているんでしょうね……。

 絶叫がかき消えて、ごうごうという機械の音がまた耳に付くようになったころ、Tが弾かれるようにして操作盤に取りついてボタンをがちゃがちゃやりました。

 Mも含めて四人を食った機械は拍子抜けするほどにあっさりと停止しました。

 でも、そのころには機械の下の口から毛やら服やらが混じった挽肉が出てきてしまっていて……。

 一緒に流れ出た血も、なんだか機械が「もっと食わせろ」と唾を垂らしてるみたいで不気味でした。


 これがあの加工場で起きた恐ろしい出来事の一切です。

 でも、これは力織機に腕を巻きこまれた工員の話、煙突から落下した掃除夫、噴き出した火で大やけどを負った火夫、こんなのと同じ類の、帝都じゃよくある事故の話にすぎないんでしょうね。誰かが誰かを殺したというんじゃないのですから。ああ、帝都では誰かが誰かを殺すのも珍しくはないのでしたっけ。そっちは記者さんの専門ですね。


 どうしてあんなことが起こったのか、ですか?

 わかりません。最後に機械を操作したTが云うには、スイッチはずっと切ってあったのに動いていたんだそうです。お話ししたように機械が動く前には場長も先輩も操作盤を確認しています。

 だから突然作動するなんていうのはちょっと普通では考えられないんです。

 あっしは機械が自分の意思で動いたように云いましたが、あの時は本当に機械が人を引きずりこんだように見えたんです。Tが口にした「Mがひきずりこまれた」という意味そのまんまに。

 すぐに警察を呼びましたけど、「うちじゃ機械なんて捕まない。聞いたところ誰かが悪用したって話じゃなさそうだから、監督官庁に届け出るように」と云ってすぐに帰ってしまいました。

 で、お上からのお達しで加工場は閉鎖されました。

 といっても入り口を封印しただけで、血を吸った機械も建物も中にそのままです。それも二年前までの話だそうですけどね。今は西部市の爆発事故の被害を受けてすっかり更地になってますよ。

 A社長はすぐ別の場所に加工場を確保して、従業員もそのまんま引き継いだんですが、あっしはこの一件を機に辞めました。同僚の悲鳴が忘れられなくて、なんだか次には自分が同じ目に遭うのではないか……、そう感じた途端に空恐ろしくなったからです。

 時間とともにそんな怖さもすっかり失せましたが、当時はそれを理由に辞めるほど怖かったんです。


 わざわざお話に来たのは加工場を辞めてから何度も、『人を食う機械』の話を耳にしたからです。人の口に戸は立てられないといいますが、あの話はどう聞いても加工場の事故をほのめかしていました……。あの機械に関する根も葉もない噂も耳にしました。機械は大戦時代には軍の研究施設で用いられていたもので、社長がその払い下げを安く手に入れたってやつです。その施設では人体実験をしていて……、みたいな話ですよ。ええ、そんな古い機械を使ってるわけがないんです。


(ここで記者、事故の挽肉をどうしたのか問う)

 え? とんでもない!

 事故の時に出てきた肉はそのまま破棄しましたよ。他のみんなに聞いても同じ答えです。そんなもの出したら信用にかかわりますからね。社長や場長が許すわけありません。あっしはそれを伝えたくてこうして打ち明けているんですよ。あんな話が本当だと受け取られたらたまりません。他の加工屋にも迷惑がかかります。後ろ暗い話なんて誓ってありません。

 機械に何らかのいわくがあるのかないのか、あっしにはさっぱりわかりません。

 ですが、どこかから漏れた事故の話がせんにあって、後からそれらしい逸話として付け加えられていったとしか考えられません。


 これが『人を食う機械』の真相です。

 ……あっしが今でも本当に恐ろしいと感じているのは『人を食う機械』の話や、挽肉になった同僚の悲鳴じゃないんです。目の前で起きる予想外にとっさに対応できる人間がいないという状況。本当に恐ろしいのはこれなんですね。


【記者後記】

 氏が語ったように、例の工場はすでに跡形もなくなっている。『人を食う機械』はまさに幽霊や妄想の類に他ならないことを、固く付け加えておく。

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人を食う機械 蒸奇都市倶楽部 @joukitoshi-club

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