惜しみなくM

新巻へもん

俺にその趣味は無い

「ねえ。これ、アンタが書いたの?」


 文芸部の部室でダラダラとボードゲームをやっていた俺のところに、サユリがやって来てスマホを突き付けた。卓を囲んでいたヤマ、ヨッシー、カワッチ、シノラー、キーベは途端に居住まいを正す。そして、その視線は俺に刺さっていた。羨望と憎悪の入り混じった光線を浴びて、俺はため息をつく。


 スラリと伸びた手足、そこそこにメリハリの効いたボディ、鼻筋の通った顔立ち。ルックスだけなら総合得点で90点は固いサユリは、俺の腐れ縁の幼馴染だ。そんなサユリに告白をして砕け散った男たちの数は高校に入学以来だけでも両手に余るらしい。それなのにサユリ様に構ってもらえる俺は周囲からすればそれだけで羨ましい限りということだった。


 だが、待って欲しい。このサユリの実態は暴君なのだ。幼稚園の頃から俺は泣かされ続けてきた。池に落ちたサンダルを取りに行かされて溺れかけたこともある。あれ以来俺は水が怖い。小学校2年生の時は、頭上でクシャという音がしたと思ったら、蝉の抜け殻を砕いたものが降り注いだ。これもトラウマになっている。


 さすがに高校生になってからは表立っての実力行使は影を潜めたが、口の方は攻撃力が10倍以上になった。とにかく口が悪い。毒舌というが、本当にテトロドトキシンを含有しているんじゃあるまいか。俺以外には一応出力は下げているみたいだが、告白で玉砕したある生徒はしばらく学校を休んだほどだ。


 サユリの手にしたスマホの画面には、俺が先週末に投稿した小説の新作が表示されていた。こいつにだけは知られたくないと思ってひた隠しにしてきたのになぜバレたんだ? 俺はとっさに嘘をつく。

「なんだよ。藪から棒に。そんなの知らねえぞ」


 腰に手を当てて俺を見下ろしていたサユリはフフンと鼻を鳴らした。

「アンタ。本当に無能ね。勉強もできないし、運動音痴、顔も残念賞で良いところ一つもない上に、嘘つくのも下手くそじゃん」

「なんで嘘だって言いきれるんだよ」

 前半の問題はあえてスルーして、嘘の一点だけを反論する。

「バレバレ。だいたい、このIDの番号、アンタの生年月日でしょ」


 周囲のヤマ、ヨッシー、シノラー、キーベから憎悪の波動が増す。この野郎、サユリ様に誕生日を覚えて頂く栄誉に浴してやがる、その暗い眼は語っていた。

「お前なあ、日本人に限定しても同じ生年月日の奴なんかざっと30万人はいるぜ」

「誕生日をそのままIDに使うマヌケはアンタぐらいよ」


 ぐぬぬ。しかし、この勝ち誇ったような自信はどこから来ているんだ。万一俺じゃなかった時には格好の反撃材料を俺に与えることになる。へっへっへ、お嬢ちゃんよ、この無礼の償いは……そうだなあ、ぐへへ。見上げる位置にちょうど良く存在する物に一瞬だけ視線を向ける。途端に罵声が飛んできた。


「ちょっと、どこ見てんの。ヘンタイ、スケベ。アンタの視線にさらされただけで汚された気分になるわ」

「別に見たくて見た訳じゃねえ。目の前にあっただけだろうが」

「物欲しそうな目をしているから、そう思われるのよ。それより、これよ。コレ」


 スマホをぐいと突き付けてくる。目の前一杯に広がったスマホに隠された視界の端でカワッチの挙動がおかしいのが見える。そこで俺は悟った。親友に売られたのだ。俺がネットの小説サイトに書いていることを知っているのは、俺とカワッチの二人だけ。俺はしゃべってない。ということは答えは簡単だ。犯人はこの中にいます。


「カワッチ。てめー」

 俺が立ち上がると机に脚がぶつかり、コマの位置がずれる。カワッチの方に進みかけた俺の手をサユリが掴む。

「で、どうなの?」


 うりうりうり。まるでナイフのようにスマホを俺に突き付けてくる。友軍が降伏した以上は単独抗戦は無意味だった。

「そうだよ。だったら悪いかよ」

 ついに俺は自白する。


 サユリは口角を上げて笑みを浮かべる。何も知らない人にとっては天使の、俺にとっては悪魔の笑顔。

「ふううーん。作者の浅学さが滲み出てるわよね」

 小説の一部を読み上げる。

『申し訳ありませんが、この使命を行うには私では役不足かと思われます』だってさ。なに主君にしょぼい使命を与えるんじゃねえってケンカ売ってんのよ。正しくは力不足でしょ」


 見下ろすサユリの目が冷たい。

「まあ、アンタの場合は知能不足だろうけど。それで、よく小説なんか書ける気になるわね。読者の評価も全然だし、そもそも誰も読んで……」

 いいじゃないか。俺が好きでやってることなんだから。そりゃ、誤字は恥ずかしいけどさ……。


 俺は反論する気力も失い、また椅子に座り込んで下を向く。視界がぼやけそうになるのを唇を噛みしめてじっとこらえた。まだまだ出来が悪いのなんて作者の自分が一番知っている。それでも書きたくて懸命につづった物をここまで貶さなくたっていいじゃないか。


「あ。部活に遅れちゃう。それじゃ、この薄暗い部屋で楽しく青春してるといいわ」

 サユリは最後まで憎まれ口を叩いてバタバタと去って行った。顔をあげると相変わらず5人はうっとりした表情をしていた。誰かがぼそりと言う。

「俺もあんな風に罵倒されてみたい……」


 俺は他人の趣味に口を挟むつもりはないが、こいつら嗜好が特殊過ぎる。まあ、こうやって付き合う分には気持ちいい連中だ。俺が沈み込んだことにまるで気づかぬように、乱れたコマを直してゲームを再開する。サイコロを2個振ってヨッシーがガッツポーズを決めた。

「よっしゃ、3だぜ。実はそこに居た、成功だ」


 部室で暗くなるまで遊んでから家路についた。俺はサユリに抉られて塩と唐辛子をすり込まれた傷がうずき心ここにあらず。最寄り駅の改札にICカードをタッチして顔を上げると、うんざりした顔でチャラい感じの男に手を振り上げているサユリが見えた。

「おととい来やがれ」


 サユリはタッと駆け寄ってくると俺の前に立った。すぐに口から罵詈雑言を繰り出してくるかと思ったら、珍しく天井を見上げている。俺も見上げたが特に面白いものは見えず、視線を戻す。

「あー。さっきはちょっと言い過ぎた」


 手を後ろに組んで、足の先で地面に何かを書くように動かしているサユリ。ゴキブリでも見つけて踏みつぶしているのかもしれない。それきり黙るので、仕方なく俺は返事をする。

「気にしてないよ。どうせサユリに色々言われるのには慣れてるから」


「そういう訳にはいかないよ。そうだ。シンジにこのサユリ様とお茶をする権利をやろう。ローズでパフェを奢れ」

 ラビアンローズ、通称ローズは駅前のオシャレな喫茶店だ。カップル率95%で男性のみの入店は不可。そんな店なのに何故かメニューは安くてボリュームが多い。


「なんで俺が奢らなきゃいけないんだよ」

「私みたいな美少女とローズに行けるんだよ。アンタには一生無い機会を与えてやろうというんだから当然、当然。さ、行くよ」

 こうなると俺に選択権はない。さっき、ナンパに失敗した男の、あんなのに俺は負けたのか、という悔しそうな姿を見ながらサユリについて行く。


 店に入り、いらっしゃいませ、という声に迎えられ、窓際の席に案内された。カラフルなメニューを食い入るように見つめていたサユリが顔を上げる。開いたページにはスペシャルローズフルーツパフェ。ローズの看板メニューでサイズが3つある。安いローズでも比較的に値が張った。


 サユリは声を落として、ささやくように言う。

「アンタの小説。話は面白かったよ。ちょっとだけだけど。続きを楽しみにするぐらいには」

 

 俺は笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえる。

「スペシャルローズフルーツパフェのMサイズとコーヒーを」

 今月の小遣いが底をつくけど構わない。注文を取りに来たウェイトレスに、ローズにLは無いので一番大きいサイズを告げる。


 サユリがニッと笑った。なんか嵌められたような気もするけど、まあいいや。



 

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