ふたつめの遺言書

迫 公則

第1話





 祖父の遺言書があることは知らされていた。

 自分が死亡するとすぐに、棚の引き出しに書いて入れてあるから読みなさいと言われていた。祖母が去年亡くなり、両親は兄が3歳、私が生まれるとすぐに交通事故で亡くなった。我々兄妹は祖父と祖母に育てられたのだ。

 祖父は祖母が亡くなるとすぐに具合を悪くし、入院となった。兄とそして妹である私の二人の孫に看取られ、安堵した祖父は最期を飾った。死亡理由は心不全だが、百歳近くまで生存したので、大往生だと言えるかもしれない。

 兄はもう40歳を過ぎており、私も30歳代だがアラフォー世代だ。二人とも未だ独身だった。遺言書は我々たった二人の家族にあてたものであることはわかりきっていた。

 祖父を見送り、葬儀の前に兄妹で早速開いてみた。古い封筒に遺言と書かれてあったので、随分前に書かれたのであることは想像できた。日付を見ると相当前に書かれたものらしい。


遺言書 久堂朋英{くどうともよし}、久堂夏南枝{くどうかなえ}両孫殿(これは我々の名前である)


一、葬式、葬儀その他それに準ずる告別式等はしないこと。


一、死亡時変死体であるとき解剖の必要性があれば拒否しないこと。自然死・病死であればそのまま死亡診断証を作成されたし。


一、棺は安価なものにすること。段ボールでも構わない。しかるべき火葬場で火葬し、拾骨はしないこと。また、納骨・散骨等もしないこと。


一、墓は建てないこと。また位牌も作らないこと。


一、財産は無いに等しいが、もしあればお前たちの他に血のつながりのある者は居ないので、法定通りに分配すること。マイナスの遺産であれば相続放棄して良い。


一、私とかかわった時間や思い出は忘れ去ること。しかし、一年に一度くらいは思い出しても構わない。


一、とにかく私はこの世に存在しなかったものとして、兄妹息災でいてほしい。輪廻を信ずるものとしてはそうでなくてはならない。私は生まれ変わり、時々お前たちに会いに訪れるかもしれない。その時は私と分かっていても、知らないふりをしてほしい。

以上


 書面の右下に祖父の名前、久堂源一郎と書かれ、印鑑が押してある。

「えっ?これだけ……?」

兄が虚を衝かれたような声で言い放った。

 私もはじめはびっくりしたが、祖父の思っていたことがわかるような気がした。祖父は人の前に出て何かを指揮するような人ではなかった。ただ、陰で人に尽くすような人であった。家でもリーダーシップは発揮しなかった。

 これは一般的には悪いように思われがちだが、兄も私も好きなように子供時代を過ごさせてくれた。兄はそこそこ受験勉強をしていたようだが、私はあまり勉強もせず、二人は別々の国立大学の医学部に合格できた。卒業後二人とも外科医としてそれぞれの母校の大学病院に残ったが、兄は現在名の知れた大病院のたいそうな役職をもらっている。

「じいさん何考えてんだ」

私は兄が祖父のことを「じいさん」と呼んだことがないのに…。と恨めしく思った。

 祖父の遺言通り葬式はしなかったが、初七日の法要はするなとは書いてなかったた為、家族だけで初七日だけはすることになった。家族といっても祖父の子の兄弟は居ず、実子の父は一人っ子。母はすでに他界していたので、家族は我々兄妹二人りしかいない。母の妹(つまり叔母さん)はいたが、ずいぶん前から体を悪くして病院を入退院を繰り返しているという。仕方なく、兄妹だけの初七日となってしまった。

 その日の午後に祖父の知り合いで、茅原という初老の弁護士がやって来るとのことだった。連絡は受けていたが、何のことのかわからなかったので、二人とも多少の不安は隠せなかった。

 しばらくして、静寂に包まれた中、茅原は現われた。

「お二人共お初にお目にかかります。私はあなた方の祖父に当たる久堂源一郎様にお世話になったことがあります弁護士の茅原と申します」

「じいさんがあなたにどんな世話をしたんですか?」

「兄さん!」

私は兄の突然の失礼を嗜めた。

「お二人とも、まあまあ。私が現在ここにいるのは源一郎様のお陰でございます。それは後ほど…今日伺ったのは、源一郎様の訃報を受け、そして四十九日の法要をしないとの知らせを同時に受けたからです。ですから居ても立ってもおられず、馳せ参じた次第です」

「いったい誰から知らせを受けたんですか?」兄が執拗に訊いた。

「それは後ほど…私は源一郎様から遺言書を預かっております」

「え?」

「え?」

私たちは同時に声を上げた。

「最新の公正証書です」と、茅原弁護士は重々しく、且つ意味ありげな口調でそう言った。日付を見ると最近作成されたようだ。

茅原は「読み上げましょうか?」と、訊いてきたので、私達はそうしてもらうことにした。

「わかりました。ここに何が書いてあっても慌てることなく、冷静な態度でご配慮いただければと思います」

(随分ともったいぶった言い方だな)と兄は思っているに違いない。私も同じようにそう思った。

「わかっています。我々も子供じゃありませんので…」と、兄が皮肉たっぷりに言った。

 「それでは読み上げます。『遺言の書、孫たちよ訊いてくれ。遺産その他はないものと思っている。ただ、あるのは昔から住んでいる今の家と土地。私が20年ほど前になろうか、どこかの祭りの骨董市で手に入れた安物の骨董品の皿と壷だけだ。気に入ってずっと手放したくなかった。また養女にした芙美子のこともある。』」

「ちょっと待って!その芙美子さんって誰ですか?」

今度は私が取り乱したように言った。

「お驚きも当然と思いますがまず書いてあることを読み終わって、それは後ほど…」

私はさっきから感じていた、どこから来ているか分からない違和感、頭のどこかに確実にあるような妙な記憶を感じていた。でも、どうしても思い出せない。

「では、続きを…『芙美子と言えば皆はっきり覚えていないかも知れない。芙美子は私の今は亡き息子の嫁の妹だ。幼い時から病気がちで現在はどこかで療養していることだろう。詳しくは茅原弁護士に訊いてほしい。私は芙美子には本当に迷惑をかけた。元来お前たちの母方の家は貧乏で質素な家であった。それを見かねて、私は芙美子を養女にし、引き取った。養女と言う名目の結婚かも知れぬ。そこはいろいろと勘ぐってもらってもかまわない。しかし、我々は純愛だった。結婚という形をとれなかったのは私にはすでに別居はしていたが、お前たちでいう祖母――女房が居たし、世間の目を芙美子が恐れたからだった。そして、私の法律上の養女とした。我々の関係は女房は勿論、世間にも内緒の秘密の関係だった。

 それからしばらくは平穏な日々が続いた。そんな時だった。誘拐事件が起こったのは。お前達二人を誘拐した何者かは、多額の身代金を要求してきた。今の金額にすれば相当な額になっただろう。私は警察には連絡せず知り合いの茅原氏に相談した。茅原はてきぱきと犯人の要求通りに対応した。そしてお前達孫は解放された。

 茅原がどんな手段でお前たちを解放させたかは訊かないことにした。きっと正しい手段で行ったりはしなかっただろう。茅原はそういう男だ。

 その後茅原氏は芙美子を嫁に欲しいと言ってきたのだ。芙美子は(甥と姪を救うのに尽力を受けた人の願いは断われない)と言った。そうして芙美子は茅原のもとに嫁いだのだった。

 私は死ぬほど悲しく、愛おしかった、たったひとつのものをなくしたような気がした。

 そうしてるうち別居をしていた女房が帰ってきた。一緒に生活をするには、互いに憐憫の情があったのかもしれない。

家族4人で何とか暮らしていくうち、誘拐事件はなかったかのように再び平穏に時は流れていった。そして今‥‥』」

「ちょっと待ってください、茅原さん」

「なんでしょう?夏南枝さん」

「私、叔母さんことは微かに覚えています。それが突然いなくなったのは、あなたと結婚されたということですよね?」

「そのようだな。俺も今はじめて知ったよ」

普段おとなしく智慧のある兄が怪訝な表情で茅原を見た。

「実はそのことはご存知かと思っておりました。その経緯について詳しいことは後ほど…」

茅原は平常心を維持して、

「遺言書にはまだ続きがありますので、読み上げます。『思うことは、あの誘拐事件もそうだが、芙美子が幸せにして過ごしているかということ。私が願うことは、嫁いだ先の茅原家と久堂家ともに助け合い、盛り上げ、前に書いた遺言書もその通りにして欲しい。それだけである。以上』」

最後に日付・住所・名前・印鑑の押印がされてあった。まさに久堂源一郎の公正証書らしさが滲み出た文書だった。

 「私の妻、あなた方の叔母にあたる芙美子は今は身体を悪くして療養中ですが、幸せにしております。それから私は芙美子を若い時から見初{みそ}めておりました。ですから数年前にこの遺言書の公証人であり、遺言執行者であることから、本内容を読み、源一郎様の私に対する感情等は私は知っていました。芙美子が源一郎様とそういう関係だったことも少々驚愕はしましたが、何もないことにして考えないことにしました」

(そうだったのか)と、我々は茅原に少し同情した。

「それから財産分与ですが、この土地、家、骨董品の価値を調べさせてもらいました。土地は当時の地価が高騰し、何十倍もの価値があります。家の価値は古い家なので零に近い価値です。それから骨董品の2点の価値も専門家に見てもらいました。相当の価値のあるものでした。それで、財産分与の割合が遺言書にはなかったので、相続人は源一郎様の子、つまり養女の芙美子一人になります」

「我々孫には権利がないのかよ」兄が慌てた声で言った。

(なるほど、そういうことね)私は心の中でゆっくりとかみしめるように言った。

「法定相続人ではありませんので…。詳しい内容は後ほど…」


 「わかりました」私は静かに言った。

「ありがとうございます」茅原はさらに静かな声で言った。

「そうではないんです」今度は少し大きな声で言った。

「あの時の、昔まだ子供の私たち兄妹を誘拐した犯人が今分かったのです」

「お前何を言い出すんだ?」兄はかなり慌てていた。

「それは後ほど…よ。後ほど…という言葉、私たちが誘拐されていた時、犯人の顔はわからなかった。でも、その『後ほど…』と言う口癖。あの時もたくさん発していた」

「そうか?俺はわからなかったけど…」

その時の兄に洞察力というものはなかったのであろう。

「茅原さん、先ほどから思い出せなかったけど、今、あの時の犯人はあなただと断言できます」

「すごい記憶力ですね、夏南枝さん。さすが外科医になられるほどの頭脳だ」

「俺も外科医なんだけど…」兄が申し訳なさそうに、誰に言うわけでもなく呟いた。

「ですがね、仮に私が犯人だとしても、未成年者略取及び誘拐罪は3ヶ月以上7年以下の懲役また、営利目的等略取及び誘拐罪は1年以上10年以下の懲役。そのそれぞれによる時効は3年未満の懲役又は禁錮については5年、10年以上の有期の懲役又は禁錮については、20年の時効ということになっています。誘拐は30年も前のこと。つまり、もう時効はとっくの昔に過ぎているんですよ」

「ところがセンセ、身の代金目的略取等の罪は無期又は3年以上の懲役、つまり無期懲役が十分考えられる。無期の懲役又は禁錮については30年の時効ということを忘れているんじゃないですか?弁護士センセ!」

私は確かにこの初老の弁護士を揶揄していた。また、甘く見過ぎていた。

「はっはっは。やっぱり私は甘く見られていたんだ。先に言ったのは、法定刑が確定した後の話で、可能性の話ではないんだな。それは刑の時効と言って、刑法第32条だ。外科医の大センセ」

 私は悲しいくらいの下手をやらかしたのだ。私の拙い知識では太刀打ちできない。追い打ちをかけるように茅原は手を緩めなかった。

「刑法第224.225条にも書いてあるが、これは刑罰であって、時効のことじゃない。普通時効と言っているのは控訴時効のことで、身の代金目的略取・誘拐罪の公訴時効は5年だよ。30年というのは君の勉強不足だ。にわか法曹家では的を射ておりませんね」

「なるほど、先ほどは私がからかわれただけだったんだ」

「からかうとはとんでもない。あなたが法律に詳しいようだから、ちょっと遊んであげただけですよ」

「今は参ったと言っておくけど、誘拐の罪は消えない」


 「待ってください」

だれかが部屋に入ってきた。

「芙美子!」茅原は驚いた。我々兄妹も驚きは隠せなかった。

「あなた、もうやめてください。私は久堂家の財産をもらおうとは思っていません。源一郎さんにはお世話をかけました。その上まだ顔に泥をを塗るようなことはしたくありません。相続は放棄いたします」

芙美子は療養所を抜け出してきたようで、歩きもよろよろだった。

「まったくお前って奴は。もういい!」

と言って茅原は出て行ってしまった。出てゆく前に私がまた伝えたのは言うまでもない。

「誘拐の罪は償ってもらう」と。


 あたりが静かになった。もう誰も口にするものはいない。

 私が幼い時、芙美子叔母さんのことは覚えていた。ただ、忘れかけていた思い出を置き忘れていたのだ。

 兄はそういう私を不思議そうに見ていた。


          (終)

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