EP:2 ようこそ、恐竜の世界へ/Welcome to Jurassic World

 蔵井戸舞華は電車とバスを乗り継いで、新宿第9隔離地区へと向かっていた。


 さいたま新都心から三十分ほど移動すると、東京方面にそびえ立つ巨大な壁が見えてくる。舞華が住む埼玉県から見ても大きさは伺い知れるが、近くで見ると天まで届くような高さであることが、肌身で実感できる。

 

 アノマリー・ポイントを覆うように建造された隔離壁は、かつての東京を知るものからすればとりわけ異質なものだった。まるでストーンヘンジのようにも見える、巨人が積み上げたかのような隔離壁に近づくにつれ、自衛隊や「UN」のマーキングが施された国連軍の車両と多くすれ違うようになる。新宿第9隔離地区――自分たちの世界とアノマリー・ポイントを隔てる境界が、間近に近づいている証拠だった。


 新宿、豊島、荒川、台東、墨田、江東、中央、港、品川、目黒、渋谷――合計11ブロックに分かれている隔離壁の中で、現在舞華が向かっているのは新宿第9隔離地区だった。時空渦災害ディメンショナル・ハザードの影響を受けた、合計11の地区で区分けされた隔離壁が連なって、東京都内に巨大なサークルを形成している。


 バスを降りると、かつての東京とはまるで違った光景が目に入ってくる。舞華が向かっているのは、旧新宿駅西口付近のスラム街だった。


 時空渦災害ディメンショナル・ハザード発生直後、当時の日本政府は非常事態宣言を発令。周辺地域には避難勧告が出された。かつてはオフィスビルや商業施設で賑わっていた都内は、間もなくゴーストタウンと化した。しかし隔離壁が建設された後、自衛隊、国連軍、在日米軍、U.N.B.E.Rアンバーの職員など、アノマリー・ポイントに関わる職務の人間が多数、周辺地区に出入りするようになると、研究施設や宿泊拠点だけではなく、娯楽施設や風俗店などで賑わう歓楽街が形成されていった。


 しかしそれと比例するかのように治安は悪化。違法薬物や銃器の密売が横行するスラム街としての側面も形成された。アノマリー・ポイント出現に伴う新たな需要と供給――東京という街は、時空渦災害発生以前とまた別方面での変化を遂げていた。


 しばらく歩くと、今や廃墟と化したオフィスビルの狭間に、鉄骨とエアーテントで形作られた検問所があった。一見ただの仮設検問所か何かに見えるが――ここはれっきとしたアノマリー・ポイントへの入り口だ。


 隔離壁を建設する際に、調査研究用に残された出入り口が存在する。通称「進入門ゲート」と呼ばれ、国連やU.N.B.E.Rアンバーの調査隊は、そこからアノマリー・ポイントの内部へと赴いている。


 しかし進入扉が何らかの原因で使えなくなった時などを想定し、意図的に設けられた「裏口」が存在する。侵域者シーカーはその裏口を利用し、アノマリー・ポイントへの進入を行っていた。


 裏口の前にはU.N.B.E.Rアンバー所属の警備兵がいた。肩からライフルを下げており、不審げな面持ちで舞華を見つめていた。


 舞華は首から下げた顔写真付きIDカードを警備兵に見せる。すると警備兵は何も言わず、こちらに道を開けた。勿論IDカードに書いてあるのは偽装された身分であり、舞華は国連の外部アドバイザーという位置づけになっている。


「来たな。用意は出来てるか」


 検問所の中に入ると、ベンチに腰かけている男――入江甲介が、手元の煙草を燻らせながら声をかけてきた。齢は三十代の中頃。こんがりと日焼けした肌に、シャツの上からでもわかるほどの筋肉質な体つき。メッシュキャップの下から覗く目元は野生のオオカミのように鋭く、傍らには無骨な銃――FNハースタル社製のSCAR-Hアサルトライフルを携えている。


 入江は舞華がアノマリー・ポイントに侵入するにあたって、仲介役の白井楓から紹介された案内人ガイド役かつ、教育役トレーナーだった。詳しい事情は不明だが、話によると元民間軍事会社PMCSのオペレータだったらしく、彼はその経験を生かして侵域者シーカーになったと聞く。

 

「うん、すぐに準備するからちょっと待って」


 舞華は荷物を下ろすと、慣れた手付きで装備を身につけた。ユーティリティポーチ付きのタクティカルベルトを装着し、アウトドア用リュックに食料や飲料水、応急処置キットが入っているか改めて確認する。


 そして護身用――もとい狩猟用のリカーブボウをバッグから取り出した。アーチェリー競技や狩猟などに使用される近代的な洋弓で、舞華が使うのはHOYT社製のゲームマスターⅡと呼ばれるモデルだった。木材とグラスファイバーで出来た弓は非常に軽量かつしなやかで、狙い易いように光学式の照準器サイトが付いている。


 弦を張り、弓の具合を確認し終わると、腰のベルトに矢筒を装着する。ポニーテールに纏めた頭にアウトドア用のキャップを被り、これで準備は終わり――舞華は入江に目配せすると、検問所奥の扉へと歩を進めた。  


 舞華が侵域者シーカーとして仕事を受託するにあたって、雇い主の白井楓から提示された条件はふたつだった。

 

 ひとつ。専属のトレーナーの元で、半年以上の訓練を受けること。

 ふたつ。必ず同行者の指示の元、行動すること。


 元々陸上部に入っていた事もあり、基礎体力には自信があった。その上で、更に過酷な肉体トレーニングや、富士の樹海での実地訓練を行い、実践的なサバイバル術から、ポイント内部に生息しているであろう先史動物に関する知識などを3か月の間、自身の骨身に徹底的に叩き込んだ。


 今思えばそれは、侵域者シーカーを目指す舞華を止めるための思惑があったのかもしれない――しかし舞華は全ての訓練を、難なく通過した。


 その上で、いま同行している入江甲介――仲介業者である白井楓しらいかえでに紹介された、いわば先輩侵域者シーカーの同行のもと、アノマリー・ポイントの探索を行っていた。 


 今日は既に三回目の侵入になる。初めての時よりかは随分と慣れたものの、未だに緊張の糸が途絶えることはない。


 舞華は深呼吸をして覚悟を決めると、入江の後に続いた。


 分厚い金属製の扉を開けると、地下に階段が続いていた。コンクリートの階段を降りると、隔離壁の下部を通るようにトンネルが掘られている。トンネル内部を真っ直ぐ歩いていくと、かつての新宿駅西口地下道に行きついた。電気の供給されていない真っ暗な地下道を、懐中電灯で照らしながら進んでいく。すると出口が見えてくる。


 階段を登ると、直射日光に思わず目が眩む――


 ゆっくりと瞼を開けると、そこは既に恐竜の世界だった。


 新宿駅西口広場。二年前まで多くの人々が行き交う場所だったここは、今や全く別の光景に変わっていた。小田急百貨店に京王百貨店、バスやタクシーが往来するロータリーに、色々な催し物が行われたイベントコーナー。建物自体は未だかつての形を残しているものの、外壁にはびっしりとツタや苔が生えていた。


 地面を覆っていたアスファルトは所々が隆起しており、シダやソテツなどの裸子植物が所狭しと生えていた。道路ではバスや自動車が地面から生えた植物に飲み込まれ、自然の一部と化しており、分厚い幹の針葉樹が天を目指して伸びていた。


 ここは、もはや人間のいる場所ではない――と主張しているように、廃墟の影からゆっくりと、巨大な影が現れる。


 地鳴りのような足音と共に、ギラファティタンのつがいが姿を表した。


 ようこそ、恐竜の世界へ――そう言っているかのように悠然と現れた二頭のギラファティタンは、キリンのように長い首を伸ばし、針葉樹の葉を食べ始めた。枝から葉をごっそりとこそぎ落とし、ゆっくりと音を立て咀嚼している。人間の存在を意にも介さず、優雅な食事の時間に浸っている竜脚類の姿に、つい舞華は見惚れてしまう。


 時空渦災害ディメンショナル・ハザードにより、中生代の自然環境に変容してしまったここ、東京。


 かつての舞華にとって恐竜とは、恐怖の象徴そのものだった。


 災害発生当時、目の前で肉食恐竜に襲われる人々の姿を見た。腸を捌かれ、生きたまま捕食される男の姿を今も夢に見ることがある。


 それでも、巨大な竜脚類を見上げていると、どこか形容しがたい感情が湧いてくる。太陽に照らされ、地面に巨大な影を落とす竜脚類の姿からは、どこか幻想的な雰囲気を覚えた。途方も無い存在を目の当たりにした時の感覚。このような生物が、かつて地球の歴史上に存在したのかという、純粋な驚きがあった。


「どうした、置いていくぞ」


 入江は恐竜などとうに興味がないというように、舞華の数メートル先へと進んでいた。舞華も頷いて、彼の後に続いた。



EPISODE:2


"Welcome to Jurassic World"


 蔵井戸舞華は、薄暗い森の中で息を潜めていた。

 欝蒼と生い茂る木々の向こう。

 舞華の瞳の中に映るのは、遠い時代に絶滅したはずの生き物だった。


 全長はおよそ2メートルに満たないくらいの大きさで、淡い緑色の皮膚の上に、茶色の縞模様が浮かんでいる。頭の先にオウムのような嘴が付いており、森の中に湧き出る泉に口を付け、水を飲んでいる様子だった。


「ヒプシロフォドンだ。群れからはぐれたんだろう。警戒してる様子はない……仕留めるなら今だ」


 舞華の隣で、入江甲介が耳打ちする。


 距離は茂みを挟んで10メートルと離れていない。ここから狙えば確実に仕留められるだろうと、舞華にも自信があった。


 この植物食恐竜は、今からおよそ約1億3000万年前――本来であれば中生代白亜紀前期に生息した生き物だ。


 しかしこの場所――アノマリー・ポイントでは話が別だ。


 先史時代の自然環境に変容してしまった東京。そして人間と恐竜。本来ならば交わらざる種族でありながら出会ってしまった事、それ自体を不幸と思うしかない。


 舞華は背負っていたリカーブボウを構えると、右手で矢をつがえた。

 静かに弓の弦を引き、息を止めて集中する。

 照準器サイトの赤点に標的が重なったタイミングでそっと右手の指を離すと、

矢は獲物の急所バイタルゾーン――前足の付け根あたりに吸い込まれた。


「いいぞ、命中だ」


 命中した直後、ヒプシロフォドンが驚いてその場から逃げ出した――と思いきや、数秒後に痙攣を始め、その場から動かなくなった。


 様子を見に行くと、既に獲物は事切れている様子だった。矢は狙い通りの場所に突き刺さっている。舞華が放った矢が致命傷になったことは明らかだった。


「やったじゃないか。だいぶ筋が良くなってきた」

「これくらいなら余裕になってきた。もうちょっと大型のでもいけると思う」


 入江のおかげか、取り分け目立った危険には遭遇していない。

 だがいつ何が起こるのか分からないのがアノマリー・ポイントの怖さだ。今この瞬間も、茂みの向こう側から何かが襲いかかってきてもおかしくはない。


「そうだな……だがもう日が暮れる。今日はこの辺にして、そろそろずらかろう。奴らの縄張りからはだいぶ離れてるが、用心するに越したことはない」


 入江が言うとは、小型の肉食恐竜のことだ。

 血の匂いを嗅ぎつけるとハイエナのように集まってきて、気が付けば周りを囲まれている。時に人間以上に知恵が回る、賢く残忍な狩人の群れ。


 舞華はうなずくと、すぐに仕留めたヒプシロフォドンの処理に取り掛かった。


 今回の目的は、剥製目的の恐竜狩りだった。


 元々、野生動物の剥製は、富豪やハリウッドセレブの間でも非常に人気が高い。他にも虎やライオンの毛皮、象やサイの牙や角など、密猟された動物の部位や剥製が不法に流通していることが、現在国際的な問題となっている。恐竜や古生物の化石も同様で、盗掘された貴重な標本が、オークションで人知れず流通している。


 案の定、アノマリー・ポイントに生きた恐竜がいると知った金持ち連中は、肥えた目を絶滅動物たちに向け始めたのであった。


 セレブの豚たちへの貢物を持って帰るのは癪だが、アノマリー・ポイントに潜る口実を作るには、いっぱしの侵域者シーカーとして認められる他、方法はない。侵入の準備にも資金がかさむため、せめて報酬で元手を取らなければいけない。


 舞華は腰のベルトからナイフを引き抜くと、手際よくヒプシロフォドンの腹部を開いた。腸を傷つけないように気を付けながら内臓を取り出すと、鮮やかな赤色が舞華の手を染めた。取り出した内臓は、泉から少し離れた場所に埋めておく。これで血の臭いに惹き寄せられた肉食恐竜が現れる心配が少なくなる。


 入江曰く、草食恐竜のレバーや心臓ハツなどの部位は中々に美味らしいが、今日はあまり食べている時間は無い。入江は仕留めたヒプシロフォドンをビニール袋に入れると、ドライアイスと一緒に大きなダッフルバッグに詰めた。


 森から外に出ると、木々の向こうに夕焼け空が広がっていた。同じ夕焼け空でも、隔離壁の外で見る時とは違い、不思議と鮮やかに見えた。


 この夕焼けを、永理も見ているのかな――と思うと、ふと胸が張り裂けそうな思いに襲われる。

 

「何してる。早く行くぞ」

「……ごめん、ちょっと考え事してた」


 舞華は気を引き締め直すと、シダ植物で埋まった道を再び歩き始めた。

 

「例の、幼馴染のことか」

「……そう。今日の探索でも、何も見つからなかったなって」


 正直なところ、舞華は気を落としていた。既に三回目の侵入にも関わらず、生存者についての痕跡や手がかりを何も見つけられなかったからだ。


 本来課せられた、侵域者シーカーとしての仕事は、入江の指導の元きちんとこなしている。しかし舞華の目的は、あくまで幼馴染の永理を探すことだ。


 永理の生死。その手がかりが得られなければ、わざわざリスクを払う価値はない。


「この辺りはあまり水源や物資に期待できない。人が集まるとしたら、きっと別の場所だろう。まだ国連の調査が進んでないポイント中心部に行けば、何かわかる事もあるかもしれない――だが」


「お前にはまだ早い、でしょ」


「そういう事だ。この辺りでも、少し離れれば肉食恐竜の縄張りだ。慎重に行くに越した事はない。もう少し先まで踏み込めれば、わかる事も増えるはずだ」


 入江はそう言うと、再び出口に向けて歩き出した。


 舞華は入江の背中を追いながら、考える。


 アノマリー・ポイントへの侵入を開始する前の訓練期間から数えると、既に入江とは半年以上もの付き合いになる。にも関わらず、お互いの事情には踏み込まないという、暗黙の了解のようなものが出来ており、既に三回も侵入を共にした間柄にも関わらず、彼の素性は殆ど分からないままだった。


 舞華の側としても、個人の事情に踏み込まれたくはなかったし、侵入にあたりガイド役になってくれる人がいればそれで十分だった。


 寡黙で口数も少なく、無骨な男――というのが舞華から見た率直な印象だった。しかし金銭や名声目的で潜っている侵域者シーカー連中とはまた違う、言葉にしづらい人の良さというものを、入江と過ごすうちに感じていた。


 ポイント探索に関して、舞華はずぶの素人だ。入江は領域内のガイド以外にも、狩猟の際に必要な知識や、肉食恐竜との遭遇を避ける術などを教えてくれた。


 無謀にも侵域者シーカーになりたがった生意気な小娘に対し、彼は特別扱いすることもなく、生き残る為に必要な事を教えてくれる。

 

 あいつに、何があったんだろう――どうして入江が侵域者シーカーになったのか。舞華は柄にもなく、そんな事を考え始めた。


                 *


 無事アノマリー・ポイントからの脱出に成功すると、舞華は入江が運転する車に乗り、さいたま新都心にある白井楓の自宅に向かった。


「今回も生きて帰ってきたな。成果はどうだ?」

 

 楓は相も変わらず足の踏み場もない部屋で、マルチディスプレイ化したデスクトップPCに向かっていた。足元にはとうに捨てる機会が失われたゴミ袋がいくつも床に散乱しており、入江と舞華はゴミを掻き分けながらリビングへと向かった。


 入江はダッフルバッグから、ビニール袋に入ったヒプシロフォドンの遺体を取り出し、リビングの机の上に置いた。腐敗防止の為に入れていたドライアイスの煙が漏れ、冷気が足元まで伝わってくる。

 

「状態は……まぁ悪くない」

 

 楓は特に珍しそうな顔もせず、ヒプシロフォドンの状態を確認していた。


「すぐに業者に取りに来させる。いつも通り、報酬は規定の口座に振り込んどく。ご苦労だったな」

 

 入江は黙ってうなずくと、玄関から出ていこうと振り返る。

 特に用事がないならと、舞華もそれに倣おうとしたところ、


「あ、ちょっと待て。蔵井戸はそこに残れ。ちょっと話がある」

「何よ、話って」

「そうケンカ腰になるなよ……私はお前の雇い主だぞ? ちょっとは敬意ってもんをだな」

「私の話はちっとも聞いてくれなかったくせに、よく言うじゃん」


 舞華が侵域者シーカーとして活動を始めた理由。

 それは行方不明になった幼馴染――沢渡永理を探すためだ。

 しかし事情を話しても、楓が真面目に取り合ってくれることはなかった。 


「……それは悪かったと思ってる。今回の話はその件についてだ」


 楓は舞華に「まぁ座れ」と言い、湯気の立つマグカップを差し出した。

 

 淹れたての珈琲の香ばしい香りが鼻腔をくすぐるが、舞華は手に取らなかった。怪訝な舞華の表情を察すると、楓は差し出したマグカップに自分で口を付け、新しい煙草に火を付けた。


「お前が言っていた例の留守番電話――気になったから解析にかけておいた」

 

 舞華は一瞬驚いて、返す言葉を失った。


「なに、どうせイタズラだって取り合ってくれなかったじゃない」

 

 今からちょうど半年前、舞華の親友だった沢渡永理から携帯電話に着信があった。

舞華と共に時空渦災害に巻き込まれ、アノマリー・ポイントに取り残された永理。

生死不明の状態となって長い時間が経っており、彼女の生存を、誰しもが諦めかけていた矢先に、不可解な着信があったのだ。


『わたしはここにいるよ』と一言だけ吹き込まれた留守番電話のメッセージ。


 留守番電話のことを話しても、まともに話を取り合ってくれる人は誰もいなかった。両親はおろか、唯一の相談相手だった陸斗にすら「誰かのいたずらじゃないか」と言われてしまった。警察やU.N.B.E.Rアンバーにも掛け合ったが、まず門前払いが関の山。誰にも頼れないとならば――自分で探しにいくしか方法はない。


 侵域者シーカーを目指すにあたり、楓に相談したところで反応は同じだった。留守番電話のメッセージと、失踪前に撮影した動画を入れたSDカードを合わせて渡したものの、案の定鼻で笑われてしまった。


 だから舞華は、自分から侵域者シーカーになると志願したのだ。狂気的とまで言える態度で楓を根負けさせ、半年間の訓練に耐え抜くことを条件として、侵域者としての仕事を仲介してもらうことを了解してもらったが、あれからずっと、留守番電話のメッセージについては無視されているのだと思っていた。


「あの後私も、少し考え直した。なんだ、その……疑うようなマネして悪かったと思ってる。私にも実は、引っかかる部分があったんだ」


 楓はばつの悪そうな顔をして、左手でリング状のピアスをいじっていた。


「何度も話したと思うが、ポイント内部ではあらゆる通信機器が無効化される。携帯電話やインターネット、衛星電話や無線……米軍やNASA、国連の研究チームらがあらゆる手段を駆使した結果、ポイント内部での通信は不可能と断定された」


 それは舞華にとっても既に知っている情報だった。


 アノマリー・ポイント発生初期から、ポイント内部では原因不明の磁気異常が発生し、そのせいで通信機器に致命的な影響が出ているらしい。


 では、いったい何故、領域内にいるはずの永理から着信があったのだろうか。


「最新鋭の通信機器が機能しないのに、たかだかスマホで電話ができるわけがない。逆探でもできればどうにかだが、そこまで出来るコネは私にはない」


 じゃあどうやって、と舞華は言った。


「だから、いわゆる声紋分析ってのをやってみた。人間の声っていうのは様々な周波数の音の集まりで構成されていて、機械で分析すると指紋みたいに、個人で異なった模様として表現することができる」


 舞華は黙って、楓の話に耳を傾ける。


「私の友人に、そういうのを研究してるやつがいてな。発音や会話の速度、アクセント、さらには喉の作りなどの肉体的特徴――いまじゃバイオメトリクス認証や犯罪捜査にも使われてる分析法だ。この間お前にもらった、仲良しムービーと留守番電話とで比較してみたところ――これがビンゴだ」


「じゃあ、やっぱり」


「100%決定ってわけじゃない。合成音声や録音の類っていう可能性のほうが高いくらいだ。だけどな、私もお前の話をあながち嘘とは言い切れなくてな……というのも、最近、私が仲介するシーカーの間で変な噂が流れてる」


 楓は机の引き出しから茶封筒を取り出すと、片手で寄こした。


「……これは」


 舞華が封筒を開けると、中にはプリントアウトされた数枚の写真が入っていた。写真には泥に残された靴痕に、誰かがキャンプをした後のような焚火の燃え跡、捨てられた空き缶や瓶がはっきりと写っていた。


「ここ最近、アノマリー・ポイントの内部で、人間の生活痕が目撃され始めてる。どれも見る限り新しいものだ」

「……でも、侵域者シーカーU.N.B.E.Rアンバーの調査隊が何度も出入りしてるんでしょ。その中の誰かが現地でキャンプするってこともあるんじゃないの」


 舞華はあくまで平静を努めて言った。


「その可能性は無くもない。ただ、国連の調査隊は、アノマリー・ポイントへの影響を鑑みて、外部から持ち込んだものを領域内で廃棄することを禁じている。侵域者シーカーも同じだ。国連に目が付けられないよう、侵域者シーカー連中も、無駄なヘマは侵さないはずだ」


 侵域者シーカーは、法を破ってまで領域内に侵入を試みる、れっきとした犯罪者だ。しかし得体の知れぬ地域に自分から入り込もうとする、無謀とも言える彼らの欲望と挑戦が、アノマリー・ポイント内の地形や生息する先史動物の生態などを解明してきたという実績があるのも、また事実だった。


 あくまで取り締まり自体は続いており、現に多数の逮捕者も出ている。捕まれば禁固刑、あるいは懲役は免れない。しかし完全に侵域者シーカーがいなくならないのは、国連がお目こぼしをしている証拠でもあった。ゆえに、下手な行動をして国連に再び目を付けられるわけにはいかないと、侵域者の間でも、暗黙の了解ルールが出来ていた。


「それどころか、調査隊に侵域者シーカーと、消息が途絶えた人間の数が増えている。元々、二年経った今でも謎だらけの空間だ。何が起きても不思議じゃない」


「……結局、行って直接確かめないとダメってことね」

「あのな、仕事を忘れるなよ。そもそもお前があそこに行く理由は――」

「分かってる。任された仕事はきちんとこなす。決まりさえ守ればこっちの自由。

そうでしょ」


 楓は観念したかのように、大きくため息を吐き、肩をすくめた。


「ああ、その通りだ。全く、お前の勢いと思い切りの良さには呆れるよ。だったらその覚悟を見込んで、もう一つ頼みたいことがある」


 続けて、楓はある男の写真を差し出した。


 年の頃は40~50代と言った所か。度の強い黒縁の眼鏡が特徴的な、痩せぎすの男だった。白衣を着た姿が研究者然として見えるが、それ以外に大きな特徴はない。


 しかし、舞華は男の顔に見覚えがあった。


「……この人、大学の教授でしょ。確か災害時に行方不明になったって」

「城南大学理工学部、先端物理学研究所の主任研究員、瀬名秀章せなひであき教授だ」


 瀬名は自身の研究室にて実験の最中、時空渦災害に巻き込まれた。現在の消息は未だ不明。一説によれば、彼が行っていた研究――次期主力エネルギーに関する実験が、時空渦災害の直接的原因になったとの噂もある。事件発生直後、マスコミはこぞって陰謀論と変わらない憶測を取り上げ、毎日のように彼の顔がテレビに写った。原因不明の災害を目の前にし、世間の鬱憤や不安は行き場を失っていた。次第に瀬名秀章せなひであきは世間の生贄――仮想敵パブリックエネミーとして、全世界に顔が知られるようになった。


「もし、彼が生きていたら。あるいは生存していたと見られる痕跡が見られたら、私に知らせてくれ。どんな些細なことでもいい」

「別に良いけど……彼とはどんな関係?」

「2年前、私は大学で、彼の研究室に所属してた。災害発生当時、瀬名ゼミの面子メンツは研究発表のために長野の学会にいた。だからたまたま難を逃れたが――逸見教授は、あの時も大学で実験を続けていた」

「……なるほど、あんた、彼の教え子だったってわけね」


 テレビで嫌というほど名前を聞いた有名人と、楓が近い関係とは――舞華は意外な気分で話を聞いていた。


 舞華自身も時空渦災害の立派な被害者だ。もはやテロリストまがいの扱いで報道されていた瀬名教授に対して思うところは沢山ある。


 しかし彼の研究が災害の直接的な原因となった証拠は存在しない。根も葉もない噂に踊らされるほど、舞華も馬鹿ではなかった。


「色々変なウワサを聞いてると思うが、彼は自分の研究が未来の地球を救うと大真面目に信じていた、今どき珍しい研究者だ。東京全土を吹っ飛ばすような実験に手を染めるようなマッドサイエンティストじゃない。果たして生きているのか死んでいるのか――どちらにしても、彼の嫌疑を晴らしたい……ってのが私の本音だ」


 楓は手元の煙草を燻らせながら、憂いげに目を伏せる。


「もちろん、タダでとは言わない。お前の友達探しにこっちも全面的に協力する。必要があれば、優先的に依頼を投げてやる。報酬も弾む。それでどうだ?」


 少しだけ、舞華は考えるように下を向いた。


「WIN-WINの関係ってことね。わかった。あんたの先生探しに、私も付き合う。何か見つけたら、真っ先に連絡する」


 話は終わりだ――と告げると、舞華は部屋から出て行った。


 ドアの閉じる音が聞こえると、楓は新しい煙草に火を付けた。深く息を吸い、肺に溜まった紫煙をゆっくりと吐き出す。


「……あの向こう見ずな感じ。命取りにならなきゃいいんだが」

 

 楓は知っている。


 東京時空渦災害以降、アノマリー・ポイントに潜りたがる侵域者シーカーは沢山いた。絶滅したはずの古代生物が生息する、人跡未踏の未知の領域ロストワールド。富と名声を求めて冒険心に駆られた愚か者から、領域内に取り残された家族や友人を助けようとする英雄気取りの人間まで、潜入を試みた人間が、どのような末路に至ったか。


 入江のように、何度も生還できる人間は本当に一握りだ。侵入して以来、音信不通になった侵域者シーカーの多くは、遺体すら見つからない事が多い。肉食恐竜にでも食われたか、あるいは何らかの事故に巻き込まれたか。


 潜入の際に怪我をしようが命を落とそうが、全ては完全なる自己責任だ。それでも自分が仕事を依頼した侵域者シーカーが帰ってこないとなれば、思うところがないわけじゃない。


「あんたは……今の私を見て何て言うだろうな。先生」


 散らかった机の脇に置いてある額縁を見て、楓はひとり呟いた。


 それは楓が大学の研究室に所属していた時の写真だった。白衣を着た楓の隣には、眼鏡をかけた痩せぎすの教授――瀬名秀章せなひであきが写っていた。

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