第21話 神の掟

 ドッジボールという悪夢の時間は、加藤にとって想像以上に長く感じられた。

 というのも、球技が苦手な加藤にはドッジボールなど苦行以外の何物でもなかったためだ。


「あぁ……暇だ」


 早々に外野に追いやられた加藤は、数多くいる外野陣に紛れて、のんびりと休息をとる。

 ボールの主導権を握ったとしても、加藤にはどうすることもできないと、クラスメイトの誰もが知っていた。

 そんな加藤のそばに三木がこっそりと近寄る。


「先輩、ちょっといいですか?」

「何だ? 今俺は外野の役割を全うしている最中なのだが?」


 外野としてボールを持つこともない加藤は、時間を持て余していたが、それを言ったら男としてお終いだとでも言うかのように突っぱねる。

 しかし、いつになく真剣な三木の表情に負けた加藤は、話を聞くことにした。


「今日の放課後、演劇部に来て欲しいんです」

「どうして?」

「最近、休んでる子がいるんです。ずっと、学校に来てなくて……」

「それで?」

「同じように休んでた寒川先輩を救った加藤先輩なら! って思ったんです」


 加藤は困っている人を助けない鬼のような人ではない。

 故に、断りきれないのが良い意味でも悪い意味でも、加藤らしさというものだ。


「はいはい、行きますよ」

「さっすが、先輩!! 頼りにしてますね♪」

「いや、俺なんか何の役にも立たないよ。それでも良いの?」

「先輩ならきっと解決してくれます! だって、先輩は私の救世主なんだから!」

「やめてくれ……」


 三木の輝く瞳に、少し申し訳なくなる。

 自分自身のことを”頑張ってようやく人並みのことができる凡人”だと、加藤は客観的に評価しているし、誰かに過大評価されることを良しともしていない。

 しかし、三木の前ではかっこ悪いところを見せられないと、加藤は誓っていた。


「あの日から、俺は救世主でなければならないんだ……」


 自らの口で小さくそう呟き、加藤はもう一度固く決意したのだった。


***


 今日は快晴であり、まるでこの世に蔓延する問題の数々など気にも留めない少年の心のように、雲一つなく晴れ渡っていた。


「最近、よく客が来るな」


 本殿から響き渡る美しい声は、鳥居まで綺麗に聞こえる。

 風は優しく吹きわたり、銀色の髪は太陽の光に照らされ、小麦色に見える。

 

「アナタに会いたくてねぇ」

「やれやれ……ここに来るのは野蛮人か老人ばかりだな」

「そう言わんでくれ」


 鳥居から姿を現した老人は、杖をつきながら一歩一歩本殿に近づく。

 その姿は、歩くだけで精一杯であることが感じられる。


「アナタは何も変わらないのね。私なんて、もう先は長くないわ」

「ふん、私は大妖怪だからな。羨ましいか?」

「いいえ……長生きしたって良いことはあまりないわ。アナタの方こそ、羨ましいのではなくて?」

「……」


 華月は少し目を細めつつ、老人を見つめる。

 老人は、柔らかい笑みを浮かべつつ、華月を見上げる。

 人と妖怪、両者の間に横たわる乖離は、簡単には言い表せないものなのだ。


「私は……」

「言わなくても分かるわ。考えているのは、神白様のことね」

「何も知らないくせに、そんなことがよく言えたな」

「そうね……軽率な発言だったわ」


 華月は老人の姿を眺める。

 華月にとって、人間という存在は一言では言い表せない。

 人間は妖怪にとっての食料だなどという単純なものではないのだ。


「それで、何の用だ?」

「この世を去る前に、神白様に参っておきたくてね」

「いいだろう。好きにすれば良い」

「ありがとう」


 老人はゆっくりとした足取りで本殿に近づく。

 スロープなどあるわけもなく、大きな段差となっている階段を、一歩一歩時間をかけて登る。


「アナタも、バカなことは考えないようにね」

「……」


 華月は沈黙で答える。

 太陽は相変わらず頭上高くで輝き、白銀神社を照らす。


「あと、あの坊やのことだけど……」

「何だ?」

「このあまり巻き込まないで欲しいの。まだ子供なのよ」

「元はと言えば、貴様らが起こした火種だろう? どの口が言う」

「それは……申し訳ないわ。でも今の若者たちに罪はないはずよ」

「私は、人間と話すことも許されないのか?」

「そういう運命だったのです」


 老人は本殿へと入る。

 華月は、老人の姿を見ることなく鳥居を見つめる。

 その拳はきつく握られ、歯を噛みしめる。


「だから人間は嫌いなんだ……今ここで息の根を止めたくなる」


 ”今までお世話になりました。見守っていてくれてありがとうございます”


 本殿から聞こえてくる老人のか細い声が、かろうじて聞こえる。


「なぁ……白坊、お前の道は間違っていたのか? 私には分からない。だが、未だにお前のことを尊敬し、死の間際に礼を言いに来る奴もいる。


 感じることさえ難しいそよ風が、境内を吹き抜ける。


「だが……時の流れは残酷だな。お前の思想も、周囲の環境も……そしてお前自身についても、どんどん変わっていく。私だけが取り残されたかのようだ。そして皮肉にも……お前の存在が、人間と妖怪だけでなく、人間同士の関係も狂わせる。来る者来る者、お前に感化されている。私は……やはり、お前との約束を守れそうにないな……」


 華月は消え入りそうな声で呟き、本殿に映し出される黒い影の中へと消えていった。

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