第19話 爪痕

 加藤が鳥居を出た後、白銀神社には静寂が訪れる。

 華月は、軽い足取りで境内の壁を時計回りに歩く。


「さて、人間に憑依した状態の妖刀では神を斬ることは出来ない。この間は、上手く人間への神の憑依を引き剥がすことは出来たが、この問題は未解決のままだ」


 境内には、いつ付いたのか想像することも出来ない古い傷があちこちに見える。

 爆発痕のような物や、切り傷など種類も枚挙に暇がない。

 そして、つい先日の襲撃でつけられた新しい傷を眺め、華月は頬を緩める。


「まぁ、久しぶりに賑やかではあったな。面倒ごとではあったが、中々に楽しめた」

「それは良かったですな」


 華月の背後から、男性の声が響く。

 鳥居を跨ぎ入ってきた男は、白い装束に身を包み、半分の髪は白く染まりつつも、立派な髭を蓄えていた。


「誰だ?」

「昭彦に御座います」

「昭彦? 知らんな」


 華月は冷たく言い放つが、昭彦とは何者なのか思い出すことに集中していた。


「相変わらず、他人には疎いですな。まぁ、私も崇仁様も、ここには2、3度しか来たことがないので、覚えていなくても仕方ないことでは御座いますが……」

「おぉ、崇仁の孫か! 大きくなったな」

「はい。この度は私、昭彦が後を継ぐことになりましたので、ご報告に上がった次第です」

「お前が継ぐのか? では、父君は元気か?」

「元気では御座いますが、齢85の父上には難しいかと」

「この間まで100歳超えの老人をトップにおいていた奴が何を言うか?」

「組織の若返りということです」


 華月は昭彦の顔をじっと見つめる。

 人はすぐに歳をとりゆくもの。

 たかだか、100年でも世界は大きく変わる。

 華月には、それが羨ましくもあった。


「わざわざ報告に来る必要はない。次からはいらん。トップであるお前が言っておけ」

「我々にとって、貴方は神白様が大切になさった妖怪。半ば神格化されているのです。今更何を言っても無駄です」

「神になるなど、この上ない屈辱だ。私は腐っても大妖怪でいたい」

「では、貴方をここに閉じ込めた神白様も嫌いですか?」

「……ということは、お前も40超えということだな。子どもを産む予定はあるのか?」


 しばらくの沈黙の後、華月は話を逸らす。

 この事には、できる限り触れて欲しくないという事を示していた。


「今の所は御座いませんが、好意を寄せてしまう女性はおります」

「おぉ、青いのぉ。まぁ、頑張れ。もし子どもができたら、連れてこい」

「はい」


 吹き抜ける風は、髪を揺らす。

 昭彦は、華月を見つめる。


「私は子供の頃、貴方に見惚れていました。とても美しく、目を離す事が出来なかったのです」

「ん?」

「華月様は、恋をしていますか?」


 華月は、滅多に表情を変えることはない。

 しかし、昭彦の言葉を聞くや否や、笑い始める。


「私が恋することはない。もう老人だからな」

「今でも、貴方のことは美しいと思いますし、見惚れてしまいます。老人だなんて言わずに、胸を張ってみては?」

「しつこいな。私の恋は何百年も前に終わっている。貴様らのせいでな」


 異様な雰囲気が境内に立ち込める。

 華月から漏れ出る殺気に似た雰囲気は、まるで全てを拒むかのように、昭彦に襲いかかる。


「まさか……もう知っていらっしゃるのですか?」

「ふん。私は何も知らん。だが……察することはできる」

「左様ですか……申し訳ありません」


 空を見つめて話す華月は、どこか儚げな顔をしている。

 華月が描いた未来が訪れることはもうない。

 それを華月自身は分かっていた。


「では、私はこれで」

「待て」


 その場を去ろうとする昭彦を、華月は止める。

 その表情は、何かの決意が滲み出るように、しっかりとしていた。


「加藤には手を出すな。奴は私が守る」

「しかし、人間と妖怪のイザコザを仲裁するのも陰陽師の務めです。見て見ぬ振りは……」

「貴様らには任せてはおけん。加藤は私が守る」

「分かりました。可能な限り、手は出しません」

「……もう行って良い」


 昭彦は、何も言わずにその場から立ち去る。

 華月にとって、最も信用できるのは自分だけだった。

 再び訪れた静寂に身を委ねながら、華月は本殿へと戻る。

 

「次は、同じ失敗はせんぞ。私は私のやり方で、前に進む」


 音のない世界で、華月の存在は闇の中に消えていった。

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