第2話 影の世界

 校舎に流れるチャイムは、授業の開始を知らせる。

 校外まで響く音は、山の上に立地することを是としていた。


「間に合ったのは良かったけど……今日は小テストあるの忘れてた……」


 チャイムの余韻が残る中、冬の強風が山肌を撫でる音が耳に入る。

 教室内の生徒が、目の前に広がる白い紙に全神経を集中させている中、加藤はペンをくるくると回しつつ、今朝の出来事について思考を巡らせていた。


「あの巫女さん……美しかったなぁ……」


 風の音色が教室を支配していなければ、周囲に聞こえていたかもしれない。

 試験中の高校2年の教室は、それほど異様だった。

 世の高校生は、こういった難関を乗り越えているのだ。


「はいっ、そこまで。回収っ」


 教卓で睨みを利かせていた教師は、時間きっちりに高校生の手を止めさせる。

 ほぼ白紙状態の答案用紙を、後ろから回ってきた答案用紙に重ねて無表情で前の人に渡す。

 加藤はテストの点数だけが全てではないと言わんばかりに、お昼休みに突入した世界でドヤ顔をしながら席を立つ。


「あの……加藤君……」


 加藤の席は窓のすぐそばの列であり、後ろから2番目というそこそこの立地条件を確保していた。

 声をかけてきた主は、加藤のすぐ後ろに席を構える女生徒だ。

 名は寒川一美そうがわひとみ、いつも本ばかり読んではいるが、成績は決して良いわけではない。

 とはいえ、運動神経は良い方で、見た目と中身の乖離が著しい生徒である。


「寒川さん、どうしたの?」

「えと……その……」

「……とりあえず、昼ごはん食べよう」


 答えあぐねる寒川を見て、加藤は時間的猶予を与えるという意味も込めてお昼を一緒に食べること提案する。

 お昼休みに入った途端に人々の声が校舎中に広がる中、寒川と加藤は人混みに埋もれた食堂をスルーし売店に向かう。

 加藤はおにぎり、寒川はパンを購入し、お昼を食べるのに定番な屋上へと2人は足を運んだ。


「ここのおにぎりは美味しいよね~」

「うん……」

「で、何があったの?」

「……」


 普段であるならば、元気のよい天真爛漫てんしんらんまんな寒川をいぶかしみつつ、加藤は次の言葉を待つ。

 寒川は、小さく深呼吸をすると、控えめな胸の前で手をギュッと握りしめる。

 

「私……憑りつかれたみたいなんだ……」

「憑りつかれた?」

「うん……この間、遊び半分で近くの御神木にぶら下ってたんだけど、そうしたら太い枝ごと折れちゃって……」


 寒川は、子供の頃から木登りをするのが好きであり、未だによく登っている。

 とはいえ、御神木に登るほどヤンチャだと知る者は少ないだろう。


「おぉ……それで、どんなことがあったの?」

「ずっと誰かに付けられてるような気がして……」


 寒川は食べかけのパンを口元から遠ざけ、地面を見つめる。

 これほど元気のない寒川を見るのは、加藤にとって初めてのことだった。


「あれれ? 加藤先輩!!」

「三木? お昼に会うなんて珍しいな」


 小さな女生徒が屋上の扉を勢いよく開け、辺りを見回して加藤の方を見つけたかと思うと、大声を上げた。

 彼女は加藤の後輩であり、演劇部に入っている”三木春香みきはるか”だ。

 身長は150 cmと低いが、オレンジ色に近い鮮やかなブロンドヘアをしている。

 加藤とは昨年の入学式に出会い、三木にとって同級生以外では最も親しい友達となっている。


「むっふっふぅ~。 クラスの皆から頼りにされている私は、お昼も皆のために東奔西走しているのですよ!」

「そっかぁ~。誰にも相手にされていないのかぁ~。可哀相なやつだなぁ~」

「むっきぃ~。ちっがうもん! 今日はたまたまお弁当忘れて、行列に割り込んでやっとのことでおにぎり買って帰ったら、皆食べ終わってただけだもん!」

「まぁ、そんな日もあるさ。気にすんな」

「ありがとぉぉぉぉ」

「泣くなよ……」


 周囲の生徒からすると定番となりつつある2人の会話が、お昼時の屋上に響く。

 こうして三木は、何事もなかったかのように加藤の隣に座る。

 

「それで先輩、何の話だったんです?」

「いや……お前、オカルト系の話信じてたっけ?」

「大丈夫だよ! 私は何でも信じる子だよ!」

「それはそれでどうかと思うけどな」


 おにぎりにかぶり付きながら、加藤は寒川の方を見る。

 寒川は俯きながら、黙々とパンを食べている。


「それで、実際に人影はみたりしたのか?」

「えと……昨日は、部屋の中でもずっと見られてる気がして……」

「ま……マジですか……?」

「おい三木、ややこしいから、本人以上に怯えんな」


 震えあがる三木をなだめ、加藤は寒川に語りかける。

 

「とりあえず、その神社に行ってみるから、どこの神社か教えて」

深山みやま神社ってとこ……」

「分かった。任せとけ」

「よっ、先輩!! カッコいい!!」

「恥ずかしいから、辞めてくれ……」


 こうして、この話はここで終わり、各々の教室へと戻っていった。

 

***


 放課後になり、校舎に響く人々の声が徐々に薄れていく。

 1人校門に立ち、寒い空気の中、深山神社の方に向かう。

 深山神社は、隣町にあるが遠いわけではなく、徒歩数十分で行ける位置にある。

 というのも、山を下り、すぐ東に歩くだけで隣町に辿り着くほど町境に蛍雪高校は位置しているのだ。


「ごめんな」


 山を下る途中、加藤は山の中を見つめ呟く。

 今日は、朝の神社を通る余裕がないということは分かっていたが、お昼休憩の時はそのことをすっかり忘れてしまっていたのだった。

 

「もうすぐ週末だし、暇ができたらまた来るから」


 誰にも届かない小さな言葉で呟く。

 無意味な物なのかもしれないが、それでも言っておかなければならないと加藤は思った。

 辺りは紅く染まりつつある中、加藤は1人歩き続けて、何の事件も起こらず深山神社に辿り着く。


「この鳥居も朝の鳥居と同じくらいオンボロだな……」


 加藤が朝見た鳥居は、長い歴史を有するように見える古っぽさが漂っていた。

 屋久島のような神秘的な木々に囲まれているわけではないのに、目の前の鳥居も同じような古さを感じさせる。

 こうして、鳥居をくぐった加藤は境内の中にひっそりと佇む本殿に辿り着く。


「随分と時間が経ったな。朝以来だ」

「あの時の……蒼銀の巫女さん!?」


 加藤の目の前に、胸を張り腕を組んだ蒼銀の巫女が姿を現す。

 朝の時とは違い、巫女は銀色の髪を結びポニーテールを作っていた。


「蒼銀の巫女か……気に入らん呼び名だ」

「蒼銀がいやでしたか?」

「いや……巫女の方だ。神に仕えるなど屈辱的だ」

「え? でも、巫女さんなんじゃ……?」

華月かげつだ」

「え?」

「私の名、華月雪かげつゆきだ。君は?」

「俺は加藤駿、よろしく」


 こうして2人は、2度目の邂逅を果たした。

 

 

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